見出し画像

「自分には関係ない」という難しさ

どの国も、これまで積み上げてきた自国の歴史を学ぶ。
昔の人々がどうにか記してきた書物や壁画などから、誰が国を治め、どのように文化が発展し、今日の日本になったのか。

武勇伝ばかりではなく、目を覆いたくなるような残虐な出来事も。

例えば、慰安婦問題。
わたしも女なんで、国ぐるみでなんてひどいことをしたのかと、呆れや怒りのようなものが込み上げてくる。
慰安なんて生ぬるい。
実態は性奴隷だし、英訳もSex Slavesだ。


ただ、わたし個人に対して、責任は一切感じない。
日本軍がやったことだけど、たまちゃんは関係ない。


って、慰安婦当事者やその家族の目の前で言えますか?って話です。
事実、現代を生きる日本人はほとんど無関係。
だけど、知らんぷりはしにくくて、でも謝るのも違う。
この微妙なもやもやに名前をつけるならなんだろう?
同情と罪悪感と当時の軍への怒りをまぜこぜにして、「同悪感」とか?


もっと身近な話にすると、身内に犯罪者がいる場合ですね。
親が殺人を犯したなら、子供は無関係なその事実の償いを背負わなければならないのか。
「自分が異変に気づいていれば起きなかったかもしれないから、責任はあるんです」ってこうべをたれる架空人物が思い浮かんできましたが、
そんなの可能性でしかない。誰にもわからない。巻き戻せない。

ただ、子供が殺人を犯した場合はちょっと違ってくるよね。
虐待とか過干渉とか、親の愛情を受け取れなかったゆえの歪みかもしれない。
そこはまたとっても複雑。


わたしたちの人生はとっても忙しい。
考えなければならないこと、決断しなければならないこと、責任を持たなければならないことがたくさんある。
そんな中で、無関係な罪まで背負わなくていいと思うのです。
というより、背負わせない、むしろ手を差し伸べられる社会になるといいなと思います。


そうなったら、もっと世界が平和になるのになぁ。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?