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心の引っ掛かりがようやく形を成してきた⑤

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M川さんは相変わらず頻繁にうちにやってきてはわたしにお浄霊をした。
その状況にはなにも疑問を持っていなかったが、仮病なのにわたしの状態が本当に悪いかのように接することに対してだけ、正直ほっとする気持ちと不思議な気持ちが混在していた。

そして今考えると、学校を休みがちなことについて父親に何も言われたことがなかった。
というか、父はTHE昭和の父親という感じで、仕事以外家庭のことや育児にはノータッチだった。
当時はそれが普通だと思っていた。
それしか知らなかったから。
裕福ではなかったが不自由もない暮らしの中で、家族で出かけた思い出がないことにも疑問を持っていなかったし、
母親が異常にお人好しなことにも気づかなかった。


父親と住んでいたのは小学2年生まで。
3年生からは兄が高校生になるタイミングでもあったので、これ以上転校は繰り返せないと、父親は単身赴任をするようになり、わたしたちは母親の地元に住むことになった。

ここからいよいよわたいしの不登校は本格化していく。




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