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「家族はいないけど、家族みたいな人たちと生きる。」はっぴーの家ろっけんで働く前田彰さんと考える、多様な家族のかたち。

あなたにとって家族とは、どんな存在ですか?

その関係性や心に浮ぶ感情は人それぞれ。だからこそ、自分では想像したことのないような多様な家族のかたちが、たくさんあるのかもしれません。

今回お話を伺うのは、多世代型介護付きシェハウス「はっぴーの家ろっけん」で働く前田彰(まえだ あきら)さん
前田さんご自身には血の繋がった家族がいません。けれど「はっぴーの家ろっけん」の人たちが、「家族のような存在」だと言います。
血縁関係や戸籍上の家族だけではない家族のかたちがたくさんあれば、社会はもっと豊かになるんじゃないか。そんな想いから、様々な情報発信をされています。

日常生活の中で感じる自分自身や人との関係性への違和感や疑問について、オープンに語り合える場を、当事者との対談形式で実施するオンラインイベント「Original Life Talk」。
第13回は、前田さんをゲストにお迎えし、「家族観-多様な家族のかたちに気づく-」というテーマでお送りします。

家族とはなんだろう?「家族のような存在」とはどんなふうに生まれていくのか。
イベントに先立ち、前田さんにお話を伺いました。


はじめに

はじめまして。前田彰といいます。最初に、僕のこれまでと現在についてお話します。
僕は、幼少期から母子家庭で育ちましたが、母親や祖父母も亡くなり、親戚付き合いも薄かったため、今は血の繋がった家族がいません。

ですが今仕事をしている「はっぴーの家ろっけん」(以下、はっぴーの家)にいる世代も国籍もバラバラの人たちを、「家族のような存在」だと思っています。
現在は、はっぴーの家での広報の仕事を中心に、その他神戸を拠点に活動しています。

今回の記事やイベントを通して、もっとそれぞれの家族のかたちを共有したい、家族とはなんなのかをみなさんと一緒に考えたいと思っています。

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「帰る場所」との出会い

ー前田さん、どうぞよろしくお願いいたします。まず、前田さんにとっての「家族のような存在」との出会いについてお聞かせください。


2017年の3月に、はっぴーの家はできました。僕が初めて行ったのはできてから半年後、知人がイベントの打ち上げ会場として使っていたことがきっかけでした。
最初は名前しか知らなくて、「怪しいところ」という印象。(笑)ですが、初めてこの場所に足を踏み入れた時、「面白いな。なんか良いな。」と思いました。
「ちょっと関わりたい」という意識が生まれて、その場で代表の首藤さんに直談判して。僕は介護の資格を持っているわけではないので、入居者さんの朝ごはんを作るという仕事をつくってもらいました。それがきっかけではっぴーの家に出入りをするようになりました。

ー出会ってから、「実家だ」と感じるようになるまで、どう馴染んでいったのですか?


うーん、どうなんでしょう。実家より、「実家みたいな」「家族みたいな」という言い方をいつもしているんですけど。「ここが実家だ!」とはっきりこのタイミングで思った、というよりかは、徐々にそう感じていったんですよね。出会ってからことあるごとにはっぴーの家に出入りしていたので。

でもたぶん、出会ってからもうすぐ2年というころ、東京に行くと決めたときが、ひとつ大きなきっかけだったかなと思います。
この時生まれ育った神戸を出るのは初めてだったのですが、実際に地元を離れて距離が遠くなってみて、「ここが帰る場所なのかな」ということを意識するようになりました。
そして東京で1年ほど色々な仕事を経験してから、はっぴーの家に帰ってきました。


はっぴーの家の、多様な家族のかたち

ーまだイメージが湧かないのですが、はっぴーの家の皆さんとはどんな関係性なんですか?


「家族みたいな存在」なのですが、めちゃくちゃ仲良しというわけではないです。
でも、はっぴーの家で過ごしている人たちは、利害関係もなく、「ただそこにいるだけで良い」という雰囲気が漂っていることが特徴的だなと思います。
僕のことを、よく知らない入居者さんもいるし、お互いの名前や年齢、今なぜここにいるのか、ということは知らずに暮らしている人も多いかもしれません。でもなんとなく、みんなが共存している感じが居心地良いなと感じています。


それに、はっぴーの家では、これまで出会うことのなかった人たちに会えるということも、僕にとっては大きいです。
トーゴから来たダンサーがキッチンで調理を手伝っていたり、高校生のときに自転車で一人旅をする中ではっぴーの家に立ち寄った子が、卒業してから介護士として働き始め、劇団で舞台に立ちながら社長秘書としても働いていたり。

国籍や年齢はバラバラのなか、面白いし尊敬する人がたくさんいます。
自分にはできないなと思うような生き方をしている人。逆に、理由は違うけど、お金どうこうじゃなく自分がやってみたいことをやってみるという点で自分も同じやなって感じる人。
自分の意思で生きている、生きようとしている人たちに会えるから、自分にもできるかもってこの場所でより強く思えることが多いんです。

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家族のような存在に気づくまで

ー前田さんは、「家族のような存在」を「築いたのではなく気づいた」と以前おっしゃっていましたが、ただ待っているだけでは、家族のような存在はできない気がします。大切にしていた行動や心がけていたことはありますか?


なんだろう。。僕の、人とのつながりの運はすごく強いと思います。日々ありがたいなと思っていて、本当に感謝の気持ちがあります
25歳で、それまでやっていた陸上のコーチをやめていろんなことに挑戦し始めたんですが、家族も名誉もお金もない。失うものは何もなかったから、「やりたいことはやる」というのは決めていました。

常にアンテナを張って興味のある情報を集めたり勉強したり、会ってみたいなと思った人には会いに行ったり。今考えると失礼もあったのに、繋がってくださった方が多くて、そこからまた次の繋がりが出来て、とそんなご縁が続いていたなと思います。
本当に自分がやりたいことをやるとか、べたな言い方だけど一歩踏み出すとか、そんなことを繰り返していくうちに、いろんな人と繋がっていったんです。

「家族が欲しい!」と思ってはっぴーの家に来たわけではないけど、「居心地が良いな」と思ってここで過ごしていたら、自然とそうなっていったというか。自分がやりたい、行きたい、会いたい、と思う場所に飛び込み続けるなかで、気づいたら「家族のような存在」に出会っていました。
家族がいないことで僕の中にできていた隙間に、がちゃっとハマったのかもしれないですね。自分が求めていたのってこういうものだったのか、と、この場所に来て気づきました。


答えのない日々を、ともに生きる幸せ

ー取材中もいろんな入居者の方を紹介してくれたり、画面越しにおしゃべりしたり。
楽しそうですが、その世代も特性も入り乱れた環境の中、もやもやすることってないんでしょうか。


めちゃくちゃあります。
そういえばある時、外から遊びに来た人に、「はっぴーの家って、全然はっぴーじゃないですね。」って言われたことがあります。確かに、ある意味そうなんですよ。SNSのなかで良いところばかりを見られて「素敵ですね」と言われることもあるけど、中は本当にいろんなことがあって。いわゆるハッピーではないと思います。

「ハッピー」って、もともと80%くらい幸福を感じている人が、ディズニーランドに行って100%になるような幸福感をイメージすることが多いのかもしれません。
でも僕らは、めちゃくちゃなトラブルやヤバイことが起きるマイナス100くらいの状態を、「どうしよう?」ってみんなで考えてやっとゼロとかプラスにしていく。その広い振り幅に対して「ハッピー」と言っているんだと思います。

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ーなるほど。とはいえ、そうお話をしている前田さんもどこか楽しそうなのが印象的です。ハッピーじゃないんだよって言いながらも一緒にいられる、一緒に困っていく。「家族のような存在」に通ずるものを見た気がしました。


僕はそれが自然だと思う。めっちゃもやもやするし、しんどくなることもあるけど、答えのない問いを考えるのが好きなんです。興味があるから、向き合い続けられているのかもしれません。

介護の仕事や生きるとか死ぬとかって、答えはあるけど、その答えは人によって、時によって全然違うなと感じます。
例えば人の物を取ろうとしているおじいちゃんに「ダメだよ」と留めに入って収まる時もあればブチぎれて殴りにかかって来ることもある。ということは、答えが違うということで、留めに入ればいつでもOKではない。
僕はそういうのを観ていて、「違うんだ!」って感じるのが面白くて、答えがないからこそ、自分で考えられる楽しさがあると思っています。


「寂しさ」という心の穴から、新たな関係性を育む

ーモヤモヤも楽しんでいる前田さんですが、ご自身の「家族」への想いを綴ったnoteで「心の穴」について表現されていました。それについてお聞きしたいです。


はっぴーの家で穏やか、かついろんな事件が起こるたびに、「自分ってめっちゃ寂しがりやなんや」とか、「そういえば本当の家族はいないな~」と気付かされることがあるんです。
みんなで楽しく飲んでいる最中に、「うわ、終わるやん、帰り一人だな」と思って寂しくなる瞬間や、人と話して、楽しかったなと思いながらバイバイする時間も苦手です。
一人の時間は大事にしていたいけど、「ひとりぼっち」みたいなものはとても苦手。社会と離れている感じや、コミュニティに居づらい瞬間があったとき寂しくなってしまうんです。


血の繋がった家族はいないから、「はっぴーの家がなくなったら、自分どこ行くんやろう」みたいな感じは、今もずっとあって。本当の意味で戻れる場所がないと感じさせる心の穴的なものがあるのかなと思っています。
人からは「いろんなコミュニティに属していていいね」と言われるけど自分ではそんな感じでもなくて、穴自体は何も変わっていない気がしています。でも、自分で自分を追い込んでしまうタイプだから、埋めた方が良いのでは、その心の穴や孤独感を、埋めたいなと思う自分もいる。そんな感じがあります。

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ー穴を埋めるとは、家族みたいな関係性を築いていくことなんでしょうか。


そうですね。ただやってみたいことでもあるけれど、自分のコンプレックスや寂しいなと思う感情を、自分の居心地の良さをつくっていくことで埋められたら幸せなんじゃないかなと思います。本当に、やってみたいですね。

あとは、小さなことから弱さを開示していくことも、今の自分の一つの課題だと思っています。人との距離感的に、完全に寄りかかるとか全てを曝け出すとかは嫌なんですが、完璧主義な部分があって本当に人に相談しないんです。
でも逆に周りの人に寄りかかったり頼ったりされたら嬉しいじゃないですか?だからもう少し自分も、カッコつけずに相手に曝け出したいなと思います。

ー最後に、これから”家族”をつくっていくために、やりたいこと、大切にしたいことはありますか?


結婚して子どもができる、というのはひとつのイメージとしてあります。
でもそれだけではなくて、他人の子どもを育てるとか、じいちゃんの面倒を見るとか、海外から遊びに来た人と一緒に暮らすとか。
本当の家族ではないけど、兄貴的な人に出会えたり、年に1回しか会わないけど「あいつ元気かな?」って思ったりしあえる関係性ができたらすごく豊かな気がしています。
それが僕の孤独感を埋めることと繋がるような気がするからやってみたいし、そういう価値観が広がれば、似たような人も救われるかもしれないから。つくったうえで表現もしていきたいと思っています。

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おわりに

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
前田さんのお話から、私たちはきっと思っているよりずっと自由に、多様なかたちで、人との関係性を紡いでいけるのだと感じました。

そして取材中、前田さんは何度も、「みんなで考えたい。みんなの話を聞いて、僕自身も家族について、もっと考えたいし知りたい。」と言っていました。
家族について悩んでいる方、人との関係性について考えたい方、安心できる人との繋がりを得たい方、ぜひイベントにご参加いただき、一緒にお話しませんか?

イベント当日は、参加者同士での対話の時間やあっきーさんへの質問タイムもございます。
皆様と「多様な家族のかたち」を共有できることを楽しみにしております。

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お申込みは、以下のイベントページ内の申込みフォームよりお願いいたします!

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話し手:前田彰
https://note.com/akira_maeda
聴き手:宮本夏希
書き手/編集:原田優香、宮本夏希

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