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「努力は全てが報われない」”だけど”。〜富士登山から感じたこと〜

「努力は全てが報われない」
大人になって感じる現実の一つ。

今日、富士山を登って、
改めてこれを感じてきた。

この前たまたま見ていたテレビで、
富士山の山頂からの景色が綺麗だったから
なんと無くそれを見たいなと思って行ってきた。

今日は天気が悪いという予報だったので、
正直見られるかは微妙かなと思ってたけど、
ついたら意外と天気が良くて晴れ間もあったけど
案の定上についたら霧がかってて何も見えない。

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この時に、冒頭に書いた、
「努力は全てが報われない」と感じた。

急な坂道をあるいて、岩山を登って、砂利道に足を取られて、
おまけに登山シーズンを終えてたから山小屋もやってなくて、
14年ぶりに登ったけどものすごくきつかった。

こんなに大変な思いをしたのに、
頂上付近では霧でなんの景色も見られなかった。

でも、きっと毎日の仕事もこれと同じなんだよな〜
と思った。

毎日頑張って、いろんな大変な思いをしても、
なかなかうまくいかなかったり、壁にぶち当たったり、
報われないと、また頑張るっていうのはなかなか難しいもんね。

でも、今日の登山で感じたことのもう一つが、
「努力は全てが報われない、だけど、努力の先にしか報われない」
ということ。

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「いい景色見られなかったな」」と思いながら、
早く下山してコーラを飲みたいと考えていたときの写真。

たまたまのラッキーだったと思う。
だけど、頑張って登山をしたからこそ見ることができたし、
いい景色を見るという目標が報われなかったからこそ、
こんなに感動することができたんだと思う。

もし、すべての努力が報われるとしたら、
きっと世界は幸せな人だらけだと思う。
そしてそれは努力ではなく、ただのタスク消化にすぎない。

そのように手に入れるよりも、
泥臭くても、かっこ悪くても、がむしゃらでも、
自分の努力で手に入れた価値は何百倍もの価値がある。

「努力はすべてが報われない」からこそ頑張ることに価値があって、
「報われる」という可能性を得るための対価として努力があるのだと思う。

だけど、今日私自身が感じたように、
「努力はすべてが報われない」のその先に「だけど」が存在して、
その先にしか感じることのできない価値が必ずある。

「こんなに頑張っているのって馬鹿らしい」
「こんなに大変な思いをする必要あるの」とか、
日々の仕事の中では感じることばかりだ。

でも、そこを乗り越えた先にしかわからない価値があるはずで、
それに、頑張ってきた、大変な思いをしてきたというのは、
実はそれだけでものすごく価値がある。

今日の私の話ではないですが、
「登山」という大変な思いをしたけれど、
元々の目的だった「山頂からのいい景色」という報いを得ることはできなかった。

でも、もし同じ状況になったとき、近くの人が富士登山に興味を持ったとき、
私が経験した「登山」というのはきっと価値になると思う。

前に登れたという自信にもなるし、アドバイスをすることもできる。

「報い」を得るためのリスクが「努力」だと先程も書いたが、
ある意味投資のようなものだと思う。

ローリスクのものはローリターンだし、
ハイリスクのものはハイリターンだし。

でも、投資として違うのは「経験」として残ること。
投資は失敗したらお金がなくなってしまうけど、
頑張った経験や、大変な思いという経験が残る。

だから、どうか頑張っている自分を嫌いになんてならないでほしい。
その努力を経験として活かせるのは自分だけだと思うから。

そして、願わくばその努力が叶いますように。





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