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毒親のトモダチ

小学生のころ、
プロフィールカードのバインダーが流行った。
友人たちの名前から誕生日、住所、好きなもの等を
カードに書いてもらって
可愛いバインダーに納めるのがクラス中で流行った。

お正月は、年賀状を毎日ポストに見に行って
友人たちからのハガキを楽しみに読んだ。

そんな私を見て、母は、
『学生時代の友人なんて大人になったら
誰も残らないから』
と言った。

私はそんなものなのかと、とても驚いて、
あの居間の風景や母の顔も忘れられない。

あの言葉が、
今も私を束縛している感じがする。

中学生の時、
父が蒸発している間に、
母が友人と会うから付いてこいと言った。
そんなことは初めてのことだったし、
母からの虐待はひどさを増すばかりで嫌だったが、
断れもせずついていった。
女の人が3人いて、
母の大学時代の友人だという。
父と母がどんなにラブラブだったかという話を
長々とされ、母も現状は言わないので、
私はただ居たたまれなかった。
母からフォローされることもない。
あの人たちと会ったのも話を聞いたのも
あれが最初で最後だった。

そんな母が、今は兄嫁と孫が同じ敷地内に住んでいるとはいえ、一人暮らしをしている。
友人という言葉を使い、
昔の会社の同僚たちと温泉にいったり
ご飯に行ったりと遊んでいるらしい。

あんな母と友人関係を結ぶ人たちがいる。

だいたいの人は私を理解してくれるが
時々親を大切にするようにと言われる時がある。
地方に母を置いて
全く連絡もなく援助もしない酷い娘として
私は友人たちに語られているだろう。
いつかその友人たちと出会うことが会ったら
毒親の思いどおりにならず、
母の毒親ぶりをしっかり伝えたいと思っている。

母は、
いつまでも私をコントロールしたいと思っている。

先日の連絡は荷物を送るがいつがいいかと言うものだった。
金曜日に連絡があって、
日曜日午前中にしてくれというと、
採れたてのものだから土曜日夜じゃないとダメだと言う。

私に用事があることも関係なく
予定をヒアリングしたのかと思えばただの押し付けで
我を通して満足の母。

こんな人と友人関係を続けるのも一苦労だろう。

母を嫌った母の友人も見てきたし
母とうっすら繋がったままで私に時々連絡をくれる母の友人もいる。
私の知らない母の友人。
いるとすれば本当に奇妙だ。

私は幼い頃からの友人と
今もしっかり繋がっている。
困った時は手を差しのべてくれて
嬉しい時は喜んでくれる友人たち。
毒親のことも理解してくれていて
その私を受け入れ毒親話で一緒に笑ってくれる。

偶然に同じ地域で生まれ、同じ学校に通い、
その縁あって今もつながっている友人たち。
同じ景色を見ていた頃とは違って
今は暮らす場所も家族構成も違っている。
離れて暮らしていて頻繁に会うことはないし
連絡をとることはないけれど、
彼女たちの幸せを願い、
私の幸せを願ってくれている、
信頼できる人たち。
会いたいと思えば集まってくれる、
兄の葬儀にも駆けつけてくれた友人たち。

毒親育ちの私の人生でそういう関係を紡げたことを
本当に喜ばしく思っている。

仕事と子育てで自分の時間は持てないが、
我が子のお友達のお母さんたちと
最近交流を持てている。
あくまでも我が子の友人のお母さんとして、
節度を持って、我が子のために接したい。
きっとその中で特別に友人になる人が出来るだろう。
考えただけでワクワクする。
何も搾取しない、ギブ&ギブの友人関係。
私はそんな友達を作りたい。

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