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【戦争と人口爆発】20世紀の革命的な農業技術発展が変えたもの

トラクターや化学肥料などが登場した20世紀以後はそれ以前と比べて、農業のスタイルというのが大きく変わりました。
農業技術の発展は食糧増産や農作業の効率化・省力化を実現した一方で、環境破壊や格差拡大など地球規模の新たな問題も生み出しました。

今回はそんな農業技術発展が現代にもたらしたことについて書きます。

先にまとめです。

まとめ
20世紀はこれまでにない規模の2度の大戦と人口爆発を経験するという時代でしたが、その中でトラクターや化学肥料などといった革命的な農業技術が生まれ、軍事利用・平和利用の双方を経験して現在の農業を支える技術となっています。
しかし、農業の技術発展は増加する人口を支えたことや他産業の発展にも寄与したこととは裏腹に格差拡大や外国企業への依存、環境破壊など新たな課題も生み出しました。
そういった課題に立ち向かうべく、有機農業やスローフード運動などの取り組みも拡がってはいますが、再び食糧危機が懸念されていることを考えると、農業が今後どうあるべきなのかを1つの答えだけで決めることはかなり難しいなと思います。(人々が幸せになるための技術発展であってほしい)

戦争と関わりがある4つの農業技術

ロシアのウクライナへの侵攻からもうすぐ1年。日本でも台湾有事が今後起きるだろうと言われている中で、防衛費の増額など「戦争」という言葉が人生至上最も現実味を帯びてきています。

よく、インターネットやコンピューターは戦争から生まれたという話を聞きますが、食べ物という命の根幹に関わるものを作る「農業」も戦争と深い関連があります。

20世紀は人口爆発が始まった時代であると同時にこれまでにない規模の2つの大戦を経験した時代でもありました。
人が産まれる「人口爆発」と人を殺す「大戦」という相反する2つを成し遂げるために、その時々によって農業技術は平和利用と軍事利用という形でその力を発揮してきました。

「戦争と農業」という本から20世紀に誕生した農業技術を紹介します。

20世紀に誕生した農業技術

農業機械

1892年、アメリカの技師によって世界で初めて鉄車輪のトラクターが誕生しました。
想像に難くないかもしれませんが、トラクターの登場は戦車の誕生につながります。トラクターの歴史は戦争の歴史と重なる部分も多く、多くのトラクターメーカーが第一次世界大戦から使用された戦車の生産を受け持っていました。農業に人手が掛からなくなったことで兵力にまわせる人員が増えたという間接的な効果もあります。

またトラクターの誕生により、農地の大規模化による効率化が可能となったことでソ連ではそれまでの小規模な農地をまとめ集団農場や国営農場として運営できるようになったという側面もあるようです。

化学肥料

トラクターの誕生は2つの新たな課題を生みました。
一つは堆肥不足を招いたこと、もう一つは農法を土壌の健康を損なうやり方へシフトさせたことです。
トラクターの誕生により、それまで田畑を耕す役割を担っていた家畜の出番が激減します。家畜が減ったことで家畜の出す糞尿を堆肥として使える機会も減ってしまうのです。
また、トラクターは田畑を耕す以外にもいっぺんに単一の作物を植えたり収穫する場面で威力を発揮します。しかし、単一作物の栽培が主流になると土壌内の成分が偏るようになってしまいます。
これらの課題を解決するために生まれたのが化学肥料です。

空気中の窒素を固定する技術であるハーバー・ボッシュ法は肥料の三大栄養素の一つである窒素を効率的に大量生産できる革命的な技術であり、増加する列強の人口を支えるための重要な技術でした。

そんな化学肥料の合成技術は火薬の製造という形で軍事転用されました。

農薬

害虫や雑草を駆除するために使われる農薬が戦争と関わりがあるというのは想像に難くないと思います。
化学農薬が誕生する以前も「毒ガス」は第一次世界大戦から使われていましたが、1938年に誕生した化学農薬はその後、ベトナム戦争で撒かれた枯葉剤が有名ですが戦争でも使われるようになります。

品種改良

品種改良は戦争と直接的な関わりがあるわけではありませんが、農薬や化学肥料の利用を促進するという意味で関わりがありますし、大量の食糧増産に貢献したこととは裏腹に現在の固定的な格差を生み出した要因の一つでもあります。

それまでの自家採取によるタネから毎回購入する必要のあるF1品種に取って代わられたことで抱き合わせ商法のように農薬や化学肥料の購入も必須となります。

農業技術発展とグローバリズムの関わり

ここまで戦争と関わりのある農業技術について見てきましたが、これらの農業技術は現在のグローバル化した農業と深く関わっています。

ネパールのある村での水牛を使った田植えの様子(2019年)

機械化以前のグローバル化:三角貿易

20世紀以前にも大陸間を跨ぐようなグローバルな貿易はありました。
西ヨーロッパ・アフリカ大陸・アメリカ大陸で主に行われた三角貿易はとても有名ですが、大規模で単一の作物を作るプランテーションが始まったのもこの頃からと言われています。
大量生産と国際貿易というグローバリズムの要素を満たした三角貿易ですが、この頃の農業は機械化されたものでなく、またアフリカ大陸やアメリカ大陸の人たちはそのほとんどが一方的な被害者となっており全く恩恵を受けていないという点で、20世紀以降の農業技術発展によるグローバル化とは異なるものです。

農業技術の発展は世界に恩恵をもたらした

20世紀の農業技術発展はアジアなどの途上国で増大する人口を支えたことや農業の効率化による他産業の発展をもたらしたという意味で現地の人々にも恩恵をもたらしています。

  • 食糧危機の回避
    食糧危機を回避し、人口増大を支えた農業技術の発展。
    その代表例が「緑の革命」です。
    緑の革命とは、1940年代から1960年代にかけて、高収量品種の導入や化学肥料の投入により、穀物の生産性が飛躍的に向上し、世界の人口増大による食糧危機を乗り越えることに成功した出来事です。
    特に東南アジアでは主食であるコメの生産量が1950年比で4.5倍となるなどとてつもない効果がありました。
    以前は効果が少なかったアフリカでも、近年では効果が出始めていると言われています。

  • 農業の効率化による他産業の発展
    農業の生産性が向上することで、それまで農業にかかっていた労働力を他産業へ移動させることができます。
    農業よりも工業やサービス業の方が生み出せる金額が大きいため、農業人口の他産業への移動が世界の経済発展に貢献したという側面もあります。

一方で新たな問題も引き起こした

  • 格差拡大
    世界の需要を超える食糧増産に成功したがゆえに穀物価格が下がり、末端の農家へは金銭的な恩恵が少なかったことや、高収量品種や農業資材を買うことができる金銭的余裕を持っている地主や農家とそうでない人たちの間で格差が拡がったということが指摘されています。

  • 多国籍企業への依存
    農業生産国ではそれまで使っていた地元の資源ではなく、タネ、肥料、農薬などを輸入して行う農業が常態化したことにより、そういった農業に必要な資源を販売してくれる多国籍企業なしでは農業が成り立たない状態となりました。

  • 環境破壊
    これは先進国でも声高に言われている問題ですが、森林伐採や土壌環境の悪化、農家による健康被害など農業は環境破壊の側面があることも今では広く知られています。

技術発展へのアンチテーゼ

上記のような問題を解決するための取り組みとして最近では有機農業やスローフードなどの取り組みがあります。しかし、その一方で穀物メジャーと呼ばれるような世界的大企業の存在があったり食糧危機も懸念されているなど、世界の農業は今後何を目指していけばいいのか明確な答えが出しづらい状況になっていると思います。

インドネシアのある村で取り組まれている有機農業

アンチテーゼとして始まった有機農業やスローフード

  • 有機農業
    化学肥料が使われるようになる前の農業はもちろん有機農業や無農薬の農業なのですが、化学肥料や農薬などの化学合成物質で植物をコントロールするのではなく、自然の性質を利用する持続的な農業として初めて有機農業を体系化したのは1940年に有機農業のバイブルとも呼ばれる「農業聖典」という本を出版したアルバート・ハワードという人物です。
    以後、農薬の危険性を訴えたレイチェルカーソンの「沈黙の春」(1962年)が世界的に大反響を呼ぶなど、それ以降も農薬や化学肥料の使用に反対する人たちがじわじわと増えてきており、現在では農作物に付加価値をつける要素としても有機農業は一定の地位を築いています。

  • スローフード運動
    スローフードはファストフードへのアンチテーゼとして1980年代にイタリアで始まったとされています。
    伝統や地元食材、有機農業や健康的な食習慣などに価値を見出し、食生活だけでなく生活そのものをローカル起点のものにしようというスローライフ運動の1つに位置付けられています。
    日本では地産地消という言葉が生まれて久しいですが、世界ではそれをもっと生活のいろいろな部分に取り込んでいる人たちがいます。

幸せになるための技術発展であってほしい

個人的なことになりますが、私自身は農業技術発展は基本的には良いことだと思いますし、農薬反対というわけでも全くありません。
ただ、技術発展が幸せや豊かさの追求のために存在できているのかどうかは分かりません。
例えば100年前にタイムスリップしたとして、今の技術を知らずに過ごしていたとしたら、その時はその時なりに楽しめたのかなと思ったりもします。

しかし、農業に限らず、技術発展による変化が激しい現代では特に、それをうまくキャッチアップできたり扱うことができる環境にいる人と、そうでない環境にいる人で技術発展により受けられる恩恵の大きさがかなり異なると考えています。

個人的に自分よりも後者に近いと(自分が勝手に)思っている人たちと生活を共にするときに、物理的には同じ空間に生きているのに、全く違う時間軸で生活をしている(と個人的に解釈している)のを見ると、この変化の速さの中に巻き込まれている彼らは幸せになれないかもしれないと(そんなの大きなお世話かもしれませんが)思ってしまいます。

技術発展は人に使われる仕事は奪うが経営者のような人を使う仕事は奪わないと言われます。
その両者で考えると、彼らと表現した人たちは人に使われる側の存在であり、人を使う側の人たちが彼らのような人たちに適切な教育を施そうとしない限り、その関係性は覆らないのだと思います。

ちなみに、個人的な「幸せ観」はこちらに以前書きました。

最後に

今回は、20世紀の農業技術について書きました。

20世紀はこれまでにない規模の2度の大戦と人口爆発を経験するという時代でしたが、その中でトラクターや化学肥料などといった革命的な農業技術が生まれ、軍事利用・平和利用の双方を経験して現在の農業を支える技術となっています。
しかし、農業の技術発展は増加する人口を支えたことや他産業の発展にも寄与したこととは裏腹に格差拡大や外国企業への依存、環境破壊など新たな課題も生み出しました。
そういった課題に立ち向かうべく、有機農業やスローフード運動などの取り組みも拡がってはいますが、再び食糧危機が懸念されていることを考えると、農業が今後どうあるべきなのかを1つの答えだけで決めることはかなり難しいなと思います。(人々が幸せになるための技術発展であってほしい)

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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