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読まれなくてもnoteに書き続ける理由

記事を書き終えるたびに、出来はどうであれ、やはりかわいい我が子を送りだす気持ちで投稿ボタンを押す。
 
スキのハートマーク💗の横に数字が入らないまま放置されると、心配になり、気持ちもへこむ。

フォロワーの推移も伸びが鈍化し、(というか減ってる?)自分はつまらない人間なのだ、と心も折れる。 

なのに、なぜ書き続けるのか?

自分なりに考えてみたので、ここで整理したい。

①自分のためのセラピー
②自分の存在を認めてほしい
③Noterの皆さんに対する親近感
④Noterの皆さんは心が広い
⑤人は忘れる生き物だから、今の想いは書き留めておきたい

①自分のためのセラピー


私の場合、一番はこれ。たびたび記事でも触れているが、今年に入り、精神的に落ち込むことがあり、自分自身との対話が増えた。内なる声をきちんと受け止め、書き留めて、言語化することで、苦しみは軽減したと感じている。 

②自分の存在を認めてほしい


いわゆる承認欲求ということなのかもしれない。自分の身近ではわかってもらえないけど、こういう自分を知ってほしい、認めてほしいという気持ちがどこかに間違いなくある。それってほとんどの人が持っているものではないか。AIに話しかけても、ハートのない優しい言葉で返されるだけだし。
 

③noterの皆さんに対する親近感


クリエイターは洞察力が鋭く、物事を斜めからみる人たちが当然多いのだけど、それに加えて、繊細な人たちが非常に多い(気がする)。
 
自分軸をしっかり持っているが故に周囲から浮く、「自分は自分」と思っても人の態度やしぐさで、感情を読み取りすぎてしまう、故に傷つきやすい。
 
記者をしていたこともあり、私は周りからは社交的で、コミュニケーション力があるとみられているが、実際は人見知りだし、今でいう、Highly Sensitive Person(非常に感受性が強く敏感な気質をもった人)だと思っている。
 
記者時代を振り返ってみると、グイグイと取材先に不躾な質問や生意気な態度をとっていた敏腕と言われていた記者の中でも鬱の傾向があったり、繊細な人が結構いた。
 
ここで、言いたいのは、このnoteというコミュニティに入ったことで、似たような感覚を持つクリエイターの皆さんとの連帯感を得られることができた、と勝手ながら思っている。
 

④noterの皆さんは心が広い


「こんなこと書いても誰の役にも立たない」と感じ、投稿をためらうこともあるが、基本受け入れてくれるような気がする
 

⑤人は忘れる生き物だから、今の想いは書き留めておきたい


私自身は結構、物事に執着し、忘れたいことも忘れられないタイプなのだが、時とともに記憶は弱まる。
他愛のない日常の中でも、何かしらの経験に対してでも、自分の気持ちにはきちんと向き合いたいな、と感じる。その瞬間の気持ちは書き留めておきたい。
 

書き続けることは、自分自身に対しても、まだまだ関心があるという証。

これからもよろしくお願いいたします!
 
https://twitter.com/ATF_TOKYO

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