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モハメド・アリ(と)の思い出

パリ2024オリンピックがいよいよ開催される。 

私はオリンピックファンではないが、基本ミーハーなので、日本選手の活躍が期待できそうな競技や涼しい気分になれそうな水泳はみてしまいそうだ。
 
そして、開会式で聖火台に点火する最終ランナーが誰か、はいつも注目している。
 
最終聖火ランナーは、通常、その国を代表するスターが担い、その人物を通して、開催国から世界にメッセージ的なことを伝える場でもある。
今回メディアによると、フランスのサッカー界のスター、ジネディーヌ・ジダン氏が最有力らしい。 

ここで見出しに戻るが、私の印象にもっとも残っている最終ランナーは、1996年のアトランタオリンピックの際に登場した伝説のボクサー、モハメド・アリ氏だ。 

アリについては、説明は不要かもしれない。『蝶のように舞い、蜂のように刺すーFloat like a Butterfly, Sting like a Bee』 は彼を形容するフレーズだ。
 
彼は、1960年のローマオリンピックで、ボクシングライトヘビー級で金メダルを獲得した。帰国後に、金メダルを首から下げ、白人が経営するレストランに入店しチーズバーガーを注文したところ、ウェイトレスから「黒人に食事は提供しない」と言われ、「アメリカを代表して金メダルを取っても黒人差別を受けるのならば、この金メダルには何の価値もない」と考え、メダルを川に投げ捨てたとされている(諸説あり)。 

そして1960年代半ば、ベトナム戦争への徴兵を拒否。ボクシングのライセンスをはく奪され、チャンピオンの座から“追放”された。
 
メディアからも当初、バッシングを受けたが、反戦的な発言を止めなかった。彼は、お金を稼ぐために、大学のキャンパスで何百もの講演をこなしたとのことだ。

モハメド・アリは、どんな権力にも怯まず、自らのボクサー人生を賭け、社会的な差別や人種差別など徹底的に抗議し、社会を動かしたアスリート界のヒーローだ。

なので、パーキンソン病を患っていたアリが、震える手でオリンピックの聖火を点灯した時は、世界中の人々が感動した。

それから7年後

私は、ワシントンDCに住んでいたのだが、ある日、ホワイトハウスからそう遠くはない大通りを歩いていた。テイラーメイドのスーツ専門店の前に人だかりがある。 

なんだろう?

野次馬根性丸出しで、その群れに加わる。

なんと、モハメド・アリがいるではないか! 

彼も、不自由な身体なのに、自分を待っている人だかりを意識して、ファイティングポーズをして人々を沸かせる。
 
なんてチャーミングな人だろう。

彼のユーモアとサービス精神。つかの間ではあったが、アリが歩んできた苦難に満ちた人生と重ねあわせ、その偉大さを実感した

2016年にアリは亡くなったが、まさに歴史的な人物に出会えた(見ることができた)私はラッキーだ。
 
あの5分間のアリ(と)の思い出は、今でもずっと心に焼き付いている。 

(写真はWikipediaから転載)

https://x.com/ATF_TOKYO

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