一人芝居の中の自分ーある小説を通して
昨日、4カ月でフォロワー1,000人達成、という記事を投稿した。
フォロワーさんが増えていくたびに、嬉しい気持ちと同時に少し誇らしげな自分がいるのも事実だ(SNS初心者が陥りやすい感覚なのかもしれない)。
身バレしないよう、記事では、現在勤務している会社の業種や自分の職種には一切触れていない。そしてそれは職場においても、一緒だ。
noterとしての自分を明かしてはならない。
なのに、人間(私だけ?)の心理として、嬉しいこと・誇らしいことは話したくて仕方がない。
平日の昼休みにランチを食べながら、
「書くことは大好きなんだよね」「ブログをやっていて、そこそこ読まれているんだけどね」、同僚にそれとなく匂わせている自分がいる。
「へぇー、すごいですね!どんな内容ですか?」と聞かれ、「うーん、色々自分の思っていること書いているだけだよ」、まずい、と我に返り、言葉を濁す。
相手が知らないことをいいことに、冗舌になってしまった。
〈この自分の言動は、何かとかぶる。。〉
ああ、あの小説か。
松本清張の「顔」という作品だ。何回かドラマ化もされているので、あらすじをご存じの方もいるだろう。
簡単なあらすじはこうだ。(注意:ネタバレあり!)
(以下ネタバレ!)
結末を言及するのはここでは控える。
そもそも、私は殺人犯でもないし、悪事を働いているわけでもない。noteに投稿しているだけだ。
それでも、以下の構図が浮かび上がってしまう。
・小説:売れない俳優が映画で抜擢され、世の中で認められたいという願望が広がるが、顔が知られることで、殺人犯として暴かれるのではないか、と恐れている。
➡職場でも、文章の書き手として認められたいという願望が強いが、noterとしての顔が割れてしまうと、会社で話題になるのではないか、と恐れている(ただ恥ずかしいというだけの小さな話だが)。
・小説:顔を見られたと思っていたが、石岡が全くもって覚えていないことから、犯人の井野は大胆に彼に話しかける。
➡同僚がnoterとしての私を知らないのを良いことに、話をどんどん切り出していく。
ここまで書いていて、ただの一人芝居であることに気付く。自意識過剰にもほどがある。
自分の中だけにとどめておこう。
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