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人生に飽きたのは、自分が弱いから


こんなツイートが目に入ってきた。

私は基本的に、文字情報はかなりのスピードでサラサラ流し見をする。

新聞を一言一句読まないのと同じで、SNS系統の情報もすべては読まない。


そんな中、このツイートに目がくっついて離れなかった。


一言一句を熟読した。


裏切られたと思うのは自分が依存していたからです。


うんうん、そうだそうだ確かに。

私は相手に期待して、依存していた。

だから自分の望むとおりに相手が動いてくれない時、裏切られたと感じていたんだな。うんうん。


勇気がないのは愛されたいからです。

仕事に行く勇気がなくなってしまったのは、

愛してもらえないと感じていたからだ。

これも納得だ。


無理に自分を抑えるのは嫌われたくないからです。

そう、そうやった。

私は人に嫌われたくないから、

本当はこう思う、というのをひた隠しにして仕事をしていた。

仕事じゃなくても、

好きな人から嫌われたくないから、

欲求は強く出さず、とにかく協調を優先してきた。

空気を壊さぬよう、嫌われぬよう。


対立を避けるのは自分の弱さからです。


対立なんか絶対にしたくなかった。

だから私が折れて相手がそれで満足するなら、いくらでも折れたかった。

でもそれは、頭だけが主張していたことで、

本心では少しも譲歩する気なんてなかった。

心のなかでは「自分のほうが正しい」と思っていた。

そしてその正しさを否定されてしまったら、

自分はここに存在できなくなるんじゃないかって不安だった。

弱かった。自分に自信がなかった。



これがすなわち「自分を恐れた」ということです。
自分を軽視する心があるからです。


自分を恐れる。

これはすごい一文だ。

自分のことが怖い。


私は自分が怖い。

事実だと思う。

私の本音は、毒舌だ。

上から目線で謙虚さなんて微塵のかけらもない、

愛のないツッコミであふれる。

四六始終そうなわけではないが、

嫌いな相手に対するそれは、常軌を逸しているのだと思う。


いなくなってしまえばいいのに。

交通事故にでも遭えばいいのに。

訴えられればいいのに。


自分で苦しくなるほどに、相手の不幸が頭をよぎる。


そしてそれを、性善説を信じたいもう一人の自分が必死でなだめる。


今こうして適応障害になり、

うつ症状がでているのは、

そのふたりがもう疲れ切ってしまったということだ。


ふたりともが、私を大事にするために思考し続けてくれていたのに、

私はそのどちらも大事にできなくなった。


すると相手に憎しみを抱くようになります。

結果私は、嫌いな相手を憎むようになり、

そんな状況を水に流せず執着する自分のことも、憎んだ。

自分で自分を憎むのだ。

そうやって懺悔しようとして、自滅する。



でもまだ、私はこのことを受け入れられない。

私が相手を嫌うこと、憎むこと。

そんなのは自分じゃない。


私は愛にあふれて、誰のことも大事にできる人間、役に立つ人間なんだと思いたい。


現実はちがう。


私は憎い。

私を認めない人間が。



醜い心。


私は弱い。


もう自分では世界を平和にすることなどできないのだ。

そう勝手に早合点をして、人生に飽きてしまったのだ。


自分の能力を使いこなせない。


でも今こうして、自分の中身を思うがままに言語化している。

これもひとつの社会貢献になると信じて。





悲しい時、悲しい歌が聞きたくなるように。


自分の内面が醜い時、

それが言葉にされていることで安心できることもある。


視覚化できるというのは、ある種の魔法だ。



岡本太郎さんは、「自分の中に毒を持て」とおっしゃっていた。


私は今、「自分の中の毒を出す」をやっている。


もともと持っていた毒を一旦外に出すことで、

自分の中の毒をきちんと認識する。


毒は、実は薬なのかもしれない。



こうして自分の毒と向き合えるツイートが目について、

私はラッキーだった。


脳みその持つカラーパス効果のおかげだ。


今の自分に必要な情報を集める。



次はどんな情報が入ってくるのやら。


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