考えるよりも手を動かしながら生きてきた、私の20代前半。
人間にはいくつかのタイプがあって、
『考えてから走る人』
『考えながら走る人』
『走り終わってから考える人』
『なんにも考えずに走る人』
…というように分けられるんだけれど、自分ならどれに当てはまる?
そんな問いかけをされたことがあった。
たった4タイプにおさまるの?他にも、
『考えたあげく走り出さない人』
『考えもしないし動かない人』
…なんてパターンもあるんじゃないの?と思いつつ…
私は『とりあえず考えながら走る人』です。
と答えた。
あれから、もう何年もの年月が流れた。
決して順風満帆ではないけれど、いろんなことを思いながら、考えながら、作り続けてこれた。ジュエリーと関わることを続けてこれた。
おそろしくペースダウンするときもあったけれど、走ることを止めなかった。
そんな話を、ちょっとずつ書いていこうと思います。
2000年代前半、ジュエリー職人のいる会社で働きはじめる。
「あなたなら絶対にこの仕事に向いているから、まずはアルバイトに来ませんか?」
…と、体験教室の参加中に職人さんに勧められ、その翌週から突然ジュエリー制作が仕事になってしまったのです。職人さんは、そこの社長さんでもありました。
こう書くと、たまたま縁があっただけでしょう?単なるラッキーな人!と思われそうですが。
(書いていて自分でもそう思ってしまう!)
美術を学び、ある程度は絵が描けるという下地はありました。
ふと思い立って訪れたそのジュエリー店は工房併設で、職人さんの使い込まれた作業台があり、一般的な宝石店のような入りづらさを感じませんでした。
職人社長さんのお人柄によるところも大きいです。
実はこの体験教室では、『結婚指輪をカップルで手作りできる』というのがメイン業務だったのです。
私は自分用のシルバーリングなど2〜3点を練習がてら作ったあと、すぐに『手作り結婚指輪』のお手伝いを始めました。
もちろん、いきなり熟練の職人のようには作れないので、業務の合間にトレーニング用のものを作りながら…です。
当時は珍しかった、自分で手作りできる店
今では大きな街に行くと必ずオーダーメイドができるジュエリーショップがありますし、『結婚指輪の手作り体験ができる店』とネット検索すれば、全国わりとどこでも見つけることができます。
体験教室ではなく『ワークショップ』という呼び方のほうが浸透しているかもしれません。
けれどもあの頃は、とにかく珍しかった!
あちこちの都道府県から、新幹線で、飛行機で、フェリーで、カップルのお客さまがやって来られました。
同業者がこっそり偵察に来るのもいつものことで、また「自社でも『手作り教室』を導入したいから」と、他店の経営者さんが遠方からわざわざ見学に来られることもありました。
接客も制作もほぼ教えられてない!どうする私!
現在はそうでもないのかもしれませんが、職人気質の社長さんのもとで仕事をするとなると、
「なんでも見て自分でおぼえなさい」
…が基本スタイルでした。
職人さんあるある?きっと他の業界でも昔は似たような状況だったのでしょう。
今となっては、「見て自分で身につけるほうが為になるから」ではなく、単に若手を育てる積極性をお持ちじゃなかったんだろうな、と思います。技術を持っていることと人材育成は別のお仕事ですから。
兎にも角にも、当時の私が必死に考え身につけたいなと思ったスキルは、こんな感じでした。
◆お客さまの曖昧模糊としたイメージをスケッチに起こしてデザインを決めるので、まずはトークができなきゃ何も始まらない!
◆制作手順をお客さまのペースに合わせて、なおかつ時間内に終わるように教えなくてはならない。
◆描いてるときも、削ってるときも、余裕の笑顔でお客さまに意識を向ける。(私が手作業をしながらひとりの世界に没頭してはいけない。)
◆見積りや利益率と納期を瞬時に頭の中で計算しつつ、値切られてしまったときのトークも考えておく。
◆10万円や20万円といった高額な結婚指輪を取扱うので、それなりに接客もちゃんとしなくては。
◆なんといっても、ご結婚の記念で来店されているので、接客が命なのでは…?
◆レベルの高い接客や接遇って、一体どうすれば??
…なんだか、数え上げるとキリがありませんが、制作部は人数も少ない部署だったため、一人でいろんな業務を掛け持ちするのが常でした。
まさに、『考えながら走る』『考えるよりも手を動かす』の日々です。
まだ自分自身の結婚も人生設計も思い描いたことがない、知らないことだらけの未熟さで、よくあの仕事ができたなぁ…、と感慨深くなります。
言葉やイメージといった形のないものに形を与え、デザインを起こし、実際に自分の手でものを作り出せるということに、私はのめり込みました。
もともと宝石や天然石に興味があって、アートやデザインが好き…となれば、アイデアが尽きたり飽きるということがありません。
その頃の私は、ある意味、怖いもの無しというか…。
たとえるならば、とても小さな子どもが「自分でなんでもできるもん!」と思い込んでいる一時期のような。
そんな未熟で幼い「万能感」でいっぱいだったような気がします。
(つづく)
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