「私たちのままならない幸せ」
人生をやっていく、ということがわからなくなってしまった。
「自分らしい生き方」
巷にあふれ返るこの言葉に遭遇するたび、私は心の井戸に腕を突っ込んでドブをさらうように「私らしさ」とやらを探してみるが、どうも見つからない。
確立したと思い込んでいた自分の価値観が急に心もとなく思えてきて、君は一体どこから来たんだい、と尋ねたくなるような産地不明の不安を両手いっぱいに抱えながら、私は自分の中に棲みつく審査員に詰問される。
こんなふうに過ごしていて将来大丈夫?
今のあなたは全力で幸せと言える?
昨日今日の連続の先にちゃんと明るい未来はある?
毎月決まった給料をもらい、近所に住む友人もいて、スマホの中には楽しみにとっておいた読みかけの漫画やドラマの最新話が入っている。私のお世話や介護を必要とする人間もおらず、自分の時間を自由に使える。
それなのに、ふっと気を抜くとあの審査員が立ち現れて、呼吸が浅くなる。出産適齢期だの、35歳転職限界説だの、老後不安だのと、無数のパズルたちがカチッとハマる座標を求め、鉄砲雨のように不穏な音を立てて降り散らかる。
どうやらこの異常気象は周りの女友達の間でも頻発しているらしい。
ライフコースの多様化や体調の変化が激しい女性は、とりわけ取り扱うパズルの量が多いのだろう。
考えすぎだよ、と男友達は笑っていたけれど。
「普通」や「当たり前」の生き方、というものが崩れ去ったこの潮目の時代。 新卒で入った会社に勤め続けることも、生まれ育った国に住み続けることも、 誰かとつがいになることも、結婚した夫婦が子どもをなして育てることも、どの道をたどっても自分の「選択」や「意思」が問われるようになった。
当たり前などない、ということが今の当たり前になり、無限にある生き方の中で多いほうと少ないほうの「多いほう」の波に乗っても幸せになれる保証などない、と証明されてしまった。
茫漠とした未来を前に途方に暮れたとき、「幸せのかたちは人それぞれ」という万人の手垢のついたおめでたい言葉は、一瞬のよりどころにもならず、自分のアイデンティティを保つのにあまりに心もとない。
そして「人それぞれ」は、他者との間に厚い間仕切りを立て、私たちを分断する。今やよほど親密でない限り、根掘り葉掘り他人の身の上話に言及することはデリカシーに欠けた行為とみなされ、ご法度になってしまった。
「人それぞれ」というお利口さんな言葉に束ねることなく、相手の尊厳を土足で踏みつけることもなく、ほかの女性たちの個人的な話に触れることはかなわないのだろうか。そう悶々としながら、私はこの本の構想を始めた。
著名人の成功譚や苦労話ではなく、顔も本名も表に出ていない一般の人の、今日ここまでの道のり。
一人で暮らす人、パートナーがいる人、新しい連帯の形をつかんだ人、子を育てる人、住処を異国に移した人、キャリアを大きく変えた人......。
彼女たちの今までの選択の過程、人生の分岐点、重い決断の裏側、しのいできた苦境や葛藤の先につかんだ心地よい身の置き所と、生きるよすが。
本書では、機縁やSNSを通じて、属性の異なる8人の女性に取材のご協力をあおぎ、彼女たちの身の上話を教えていただいた。
ぽつぽつと、とうとうと、しゃきしゃきと語られた彼女たちの半生は、私の心に吹き荒れていたパズルを鎮め、社会の同調圧力にひしゃげそうになっていた私を支える柱になり、内在化されていた自分の偏見や先入観や規範を照らすサーチライトになってくれた。
そしてその半生を受けた考察は、同じ時代を生き、同じように思い悩んでいる仲間にとって新たな道への扉には足らなくても、小さな窓くらいにはなるかもしれない、と思った。
自分をジャッジしてくる小さな審査員を囲うあなたの心に、一瞬でも暖かい風が吹きますように、と願っている。