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CEOが語る、JDSC設立の経緯と組織の今。「JDSCは日本でも屈指の成長環境だと思う。」

こんにちは!広報Kidoです。これまでCXOを一人一人紹介してきました『CXOインタビュー数珠つなぎ』も最終回を迎えました。トリはCEOであるエルさん(加藤エルテス聡志)で、JDSC設立までの歴史を振り返りつつ、設立からこれまでの思いも聞いてみたいと思います。

「組織」への興味関心が、「デジタル」へ広がる。組織でどうデジタルを使っていくのか、を考え、実践したい。

Kido: JDSCの設立までの話を教えてください。まずは大学時代やキャリア初期の思いからどうぞ。

大学では社会心理学統計を学んでいて、組織論の研究をしていたので、「世の中の役に立つ」、「働き方が良くなる」「生産性があがる」といったことを研究したいと思っていました。ただいきなり大学院にいくよりは、組織のことなので「現場」を知りたいと思って就職することを考えました。

いろんな企業を見ているうちに、マッキンゼーとP&Gがいい会社だなと思って最後まで悩んだんですね。当時マッキンゼーは中途採用の人が活躍の中心で、一方P&Gは新卒の人が活躍の中心でした。「新卒カードは1枚だけだ」と思ってファーストキャリアとしてP&Gを選びました。P&Gは、グローバルでは大きいのに日本では劣位にあるというGAPが気に入りましたし、マーケティングの学校と言われていて、世界的企業のリーダーを輩出していることから、自分の手に職がつくと思ったので入社を決めました。

P&Gは実は元々人事で応募していました。マーケティングでなく。(※P&Gは新卒の時から、職種別採用)インターンに行ったら、「マーケティングにしなよ」と社員に説得されてマーケティングで入社するのに変わったというご縁でした。

P&Gで働いたことで、世界1と言われるマーケティングの手法を学ばせてもらいました。アメリカやインド・韓国など多国籍の人と働けて、オープンなカルチャーでとても楽しかったです。ただキャリアとしてはマーケティングの1機能を極めるのではなく、多くの組織を見て知見を広める必要があったので、マッキンゼーの門をもう一度叩きました。マッキンゼーでは実際に多国籍企業から非営利組織、トップマネジメントから営業現場まで、多様な組織を見ることができたので嬉しかったですね。若いうちから会社のトップイシューに触れられて、「トップってこんなふうに決めるんだ」とか、「組織はこう変わっていくのか」とか、組織変革の手触り感を得られました。

Kido:その後、製薬会社であるバクスターに転職をしたのはなぜですか?

組織論で大学院に行こうかと考えて、大学時代の恩師に連絡をしていたところ、同じタイミングでバクスターにいたマッキンゼー時代の元上司が「社長と会ってほしい」と連絡がきました。社長と話すと、ヘルスケア領域でのデジタルの取り組みや、そのための現場組織の変革といったテーマで意気投合してしまいました。ヘルスケアで本格的なデジタル化を牽引できるチャンスはそうないと直感しました。デジタル領域で自分の組織も持たせてもらうこととして、大学院を少しおあずけにしてまだ民間にいることにしました。

組織論は勿論好きでしたが、マッキンゼーに入ってデジタル技術の企業活用に直接触れることで、そちらにも興味が出てきていました。コンサルでなく自分が意思決定できる立場で、しかもバクスターは腹膜透析でトップの会社でしたが、医療領域でデータを活用しきれていない課題を聞いて、やりがいがあるし、自分が役に立てることがあると思いました。

Kido:ここでの経験が、JDSCの前身である社団法人の設立に繋がっていくのですかね?

はい。実際に医療領域でいろいろとやってみると、すごく効率が悪いことが分かりました。マッキンゼーで経験した標準的な手法を用いるだけでも問題解決ができる対象が多く、みるみるのめり込んで行きました。ただ、解決策まで分かっていても、製薬会社の立場で解決を図ろうとすると、医療業界の特殊性からNGも多く、もどかしい思いをしました。(例えば製薬会社からの医師への医薬品・医療機器のプロモーション活動はNG、自社製品と結びつかなくとも、利益供与になりうる活動はNGなどのルールを守る必要があります。)

そこで、一般社団法人として「日本データサイエンス研究所」を設立し、病院や医学会に対してデジタルサービスを提供しはじめました。メディカルレコード解析などは、製薬会社の中にいては触ることができなかったんですね。製薬会社の看板を捨てて創業することに、確かに不安もありました。でも目の前で困っている病院や研究者の先生の、「課題を解決したい」というまっすぐな思いを支援することは自分でやりたいと思いました。結果、開発したソフトも無事動いて、先生方にも助かったよ、ありがとうと言ってもらい嬉しかったです。

「組織が違うとデータを活用するのが難しく、結果が出せない」というのは、どの業界でも同じだと気づく

Kido:設立後、約5年で法人化したのはなぜですか?

当時、医療業界のデータ活用と言えば、大学病院ごとにデータの持ち方や意味が違うので、まとめて活用するということができず、その結果、医療経済分析、治験の後の使用成績調査などで日本が劣後する状態になっていました。ただこれは医療データ活用に限ったことではなかったのです。「組織が違うとデータを活用するのが難しく、結果が出せない」というのは、病院だけでなく多くの日本企業が共通して抱える症状でした。

そこで、医療施設や学会に限定するのをやめて、広く「データの真価を解き放ち、常識を塗り替える」ことを考えました。対象が増えたため社団法人の1~2人で挑戦するのでなく、量的にも質的にも組織を変える必要がありました。株式会社化したのはそうした背景です。

株式会社としては創業後6週間という短さでVCのUTEC(東京大学エッジキャピタル)が3億円の投資を決めました。これは最速最大のレコードで、今でもその記録は破られていないと聞いています。事業計画は当初計画していた半分の期間で達成していて、勿論仕事は大変ですが、ポジティブな意味で驚いています。

Kido: JDSCでの仕事のやりがい、喜びは何でしょう?

実際にやり始めて、プロダクトや組織が形になってきたことが嬉しいです。JDSC の Visionは「データの真価を解き放ち、常識を塗り替える」ことです。これが世の中に求められていると思って株式会社の法人を作りました。まだ4期目で道半ばとはいえ、大きな成長を遂げられ、この仮説が正しかったのだと思えます。プロダクトが次々と作り上げられていくこと、困っている人を助けられているという実感、組織がダイナミックに変化していく手触り感、どれも自分ひとりでは成し得ないことで、このチームがいたからこそできたと思います。

日本にある他のどの会社もできない難しい課題に挑戦することを掲げることで、人が飛躍的に伸びるようになりました。全くの文系背景だった人がGCPの資格をとったり、マネジメント経験がなかった院卒メンバーが組織を率いたり、教える立場になって人を導くようになったり。データのポテンシャルを引き出すには、その人が持つポテンシャル、組織の最大ポテンシャルを引き出す必要があり、課題の難しさ、複雑さが人を育てています。

また、問題を解決するというコトに向かうのではなく、組織を作っていくというヒトに向かっていく、という経験自体が、糧になります。私自身がこれほどの規模の組織を率いることは初めてで、今まで出来なかった質のマネジメントを皆が後押ししてくれることで経験できています。自分自身の成長が実感できることも、やりがいになります。

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「Crisis into Opportunity」このピンチをうまく使おう、自分たちはそれが出来る組織だ!

Kido: JDSCの設立後、順調だったように見えますが、想定外のことで困ったことはありました?

コロナです。これは想定外でびっくりしました。始まりの頃は、日本では大丈夫ということで、「札幌の雪まつりが中止されたんだよ」くらいのレベルでしたよね。ただ海外メディアを見ているとUSやEUの深刻な状況が伝わってきて、国内メディアとの差に初期からかなりの危機感を感じていました。パンデミックは自社ではコントロールできない事象です。まだあるき始めたばかりの幼い会社が、どのような影響を受けるのか必死で考えました。

会社の危機感と、当該企業の現実の危機レベルは反比例します。全社員を集め、コロナのことを話しました。普段の全体会議は笑いもあり、冗談交じりに話しますが、一転してあれほど危機感のあるトーンの会議は先にも後にもあの時だけです。環境変化で潰れる会社もあれば、それをチャンスに成長する会社もあります。「皆さんがいる会社は、どっちの会社でありたいですか?」と問いかけました。JDSCは危機をピンチではなくチャンスに変えるんだと、「Crisis into Opportunity」というキーフレーズを掲げました。「このピンチで更に強くなろう!自分たちはそれが出来る組織だ!」というマインドを盛り上げ、ワンチームとなって取り組みました。結果としてビジネスも組織も、より強くなれました。

Kido:逆に、良い意味で想像と違って良かったことはありますか?

自分のnoteでも書いたのですが、旧社名をつけたことでいろんな影響がありました。JDSCは元々「株式会社日本データサイエンス研究所」という社名でした。株式会社っぽくないですよね。今はもう変えましたが、初期にこのレガシー感のある名前だったことが、今振り返るといろいろと良かったです。

1つ目は創業時期の採用です。旧社名は、いかにもデータサイエンスを研究してそうな名前ですよね。そのため、データサイエンティストの応募や、機械学習、ML Opsに関心の高いエンジニアの応募が多く、綺羅星のようなスター人材が採用できたと思っています。入社後も、学び続けるカルチャーが創業時から作れたのは幸運でした。

2つ目は、大学との協調です。これがトントン拍子に進みました。情報学環、工学系研究科の先生方との協業が主ですが、共著国際学会論文5本、特許も3件の出願ができ、単に顧問として名前をお借りするのではなく、共同でアカデミアとして価値のある研究を行い、東大の知の社会実装へつなげています。

3つ目は、公的な名前っぽいこともあってか、まるで行政のような視点で社会課題、公益を意識してやっている、社会課題の真ん中を解決しにいくという研究活動が根付いたことです。例えば、フレイル検知(要介護につながる身体機能の衰えを、電力消費データとAIによって特定)の実証研究を三重県で行い、成果を出すことがきました。こうした営利活動に繋がりにくい取り組みでも、公益のために積極的に行っていく研究マインドが組織に根付いたことも良かったと思っています。

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自分自身も日々学び、成長を楽しむ。JDSCは日本でも屈指の成長環境だと思う。

Kido:人に何か言われたりして得た「気づき」を教えてください。

コミュニケーションに関しては色々と言われて、考えさせられます。創業の頃からいたメンバーに、「社長の一言が重要になってきた、使う言葉が大事になってきた」と言われました。ので、一言一言に気をつけるようにしています。また、「古巣の人も新しく入ってきた人も公平に扱わないと影響が大きい」というフィードバックもよかったです。逆に、「社長はもっとクレイジーでいい。もっと頑張れ」とも言われます。

個人的に、日本の組織での難しさを感じるのはSOPHOP文化です。他のCXOインタビューでもJDSCのカルチャーとして話に上がっていましたが、「ベストなものをつくるために、人を攻撃をしてはいけない。でもその人に優しくしすぎることによって、論点に対して妥協して、あいまいな解決策をだしてはいけない(ベストではない解決策を出してはいけない)。」という話です。ベストな解決策の追求を阻害する暗黙の抵抗には私達自身が敏感でなければなりません。常識を塗り替えようとしている我々です。HOPである必要があるけれど、それができきっていない。自分は新卒からずっと外資に居たので、仕事で意見を言うこと自体が難しいという人と接したことがありませんでした。HOPできない人もいるということを知り、SOPHOPを会社に根付かせるということの難しさを実感しています。神経を本当に集中して傾聴しないといけないということも学びました。

新しく入ってきた人には特にこの文化や、JDSCで求められているプロとしての建設的なコミュニケーションへの期待を説明します。ただそれだけで長年染み付いた振る舞いが変わることはないので、多角的なアプローチでよい文化を作っている所です。

Kido: 日々どんなことに気を付けてますか?

自分はあくまで「ぶち上げる」、のところに集中し、それをどう「落とし込む」か、どう「実現する」かのところは自分が入らない方が結果が良いです。大きな方針だけだして、どういう方向にしたいという話は自分がするけれど、その後はそこに100%の時間を集中できる人がやる、という役割分担です。これを分けることで、ミドルマネジメントが育っていきます。

組織が小さい頃は、私自身が率先してワイヤーフレームを書いたり、アルゴリズムを考案したり、それを資料に落として顧客に説明したりと、プロダクト作りを率先してきました。ただこれを無思考に続けてしまい、組織が大きくなった時と、ごく少人数の時で、社長が同じ振る舞いをしていてはいけない。初期の成功体験にとらわれず、組織の拡大に応じて、むしろそれ以上に自分自身が成長したいと思っています。

Kido: エルさんにとってのJDSCの魅力ポイントはどこでしょうか?

3つ紹介したいです。

1つ目は、個別企業の利益を超えて本気で産業全体の最適化を考えることができること。Visionが大きいです。

2つ目は、一つの産業や特定課題ではなく、社会課題のつながり (イシューリンケージ)に幅広く、抜本的な解決への挑戦できます。扱えるデータの範囲や種類も桁違いに広く多様です。

3つ目は、三位一体の部門間協業で、領域横断の能力が身につくこと。

特に、入社を検討する人に向けての魅力は、「三位一体」だと思います。部門を越えて、コトに向かえる。ビジネス、データサイエンス、エンジニア 、3つ(とコーポレート部門の4つ)が一体になって、有機的に働けています。この連携水準だけでいえば日本でも屈指だと自信があります。自分一人が一領域のことだけできてたら良い、では駄目で、組織が小さいので、嫌が応でも、複数領域を横断する能力を身に付けて、上流の企画から実装・実行までできるようにならないといけない会社です。データサイエンスを活用する素晴らしい会社は沢山ありますが、その中でJDSCはとても小さく、その規模の小ささのわりにプロダクトの数が多い。ビジネス職でもSQLやPythonを書くことが求められますし(勿論研修しますよ!)、ずっとエンジニアできた人でも、オペレーションをどう変えて、その企業のPLをどう変えて、産業構造をどう変えるかという観点を持たなければいけない。法務であっても、学習済ネットワーク、評価関数、教師データなどの、詳細な理解なくしては仕事が成り立ちません。

組織規模が大きくなると分業ができていくし、その人の専業化が進むけれど、今のJDSCは一人が複数の能力を身につけ使いこなすことでビジネスができています。部門を越えて共通言語で話せるようになる、そうするための組織文化や、勉強をサポートする組織制度や機会があり、能力伸長への満足度が高い組織といえます。

「コンサルで培った問題解決力を活かして、かつ新しいデジタル領域の能力も横断して身につけたい」
「エンジニアとしてずっと実装だけだったが、上流の企画をやりたい」
という人は是非門を叩いてください。

Kido:最後に、JDSCに向いてるな、と思う人を教えてください。

ぜひ来てほしい人は、
① 誰かの役に立ちたいと思っている人
② アップグレードしたい、今までのやり方ではなくて質的に変えるもの、イノベーションを起こしたい人
③ そのために、自分自身も分野を越えた能力を身に付けて、越境したい、成長するために死ぬほど勉強することをいとわない人

ですね。興味を持った方はぜひ話を聞きに来てほしいです。

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