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JBFな人たち #21 川上祐輔(株式会社 米沢牛黄木)

JAPAN BRAND FESTIVALにかかわる人たちは、一体どんな想いを持ってものづくりやビジネスをやっているのか? JBFに入って良かったことは何か? 当事者たちにインタビューしてきました。
今回は、山形県米沢市で米沢牛や国産黒毛和牛の販売を行う創業90年以上の老舗、株式会社米沢牛黄木の川上祐輔さん。黄木と共に激動の20年を歩んできた川上さんに、黄木の魅力をたっぷり伺いました!

「黄木の肉っておいしい!」が原点

——米沢牛黄木さんはもうすぐ創業100周年を迎える老舗ですが、川上さんが入社された20年ほど前と今とでは、事業にも変化はあったのでしょうか?

川上 肉へのこだわりは今も昔も変わっていません。その上で、自社で牛を肥育するようになったのがちょうど20年前くらいからですね。大きく変わったのは働く環境面。精肉は職人の世界という印象が強かったのが、マニュアルもしっかり整備されて若い子もどんどん活躍していますし、社内のデジタル化が急速に進みましたね。

自社肥育米沢牛

——DXが進んでいるんですね。川上さんが黄木に入社されたきっかけは?

川上 実は私、生まれも育ちも岡山県でして、18歳で初めて山形に来ました。そのまま就職して結婚もしちゃったっていうパターンです(笑)。大学の生協で「黄木」の文字を見つけて、「何て読むんだろう?」と興味を持ったのがきっかけですね。

—— 「おおき」という社名に惹かれた(笑)。

川上 そうですね。直営のすき焼き店で初めてお肉を食べた時、すごくおいしくて、感動しちゃって。まかないもあるしいいなと思って、アルバイトを始めたのがはじまりです。

すき焼きイメージ写真

——名前の次は、胃袋をつかまれたわけですね。

川上 1年くらいアルバイトしたあと、「正社員にならせてください」とお願いして就職しました。その後、直営の焼肉店のウェイターを経て、志願して営業の部署に移ってから今に至る感じです。かれこれ24年、美味しさをみんなに伝えたいという思いは、ずっと根底にありますね。

昔気質の職人さんは、とにかく怖かった

——営業一筋でやってこられて、印象的だったエピソードはありますか?

川上 20年前はまだ通販事業もはじまっていなかったものですから、地元の観光物産施設への配達とかを、包丁を持ってお肉を揃えるというところから何でも自分たちでやっていました。学生上がりで右も左もわからない頃だったので、鉢巻きを締めた熟練の職人さんたちからはいつも怒られていましたね。怖かったな……。マニュアルもないから、「目で見て盗め!」みたいな世界。厳しいこともかなり言われて、一度会社を辞めようとも思いました。

——川上さんにもそんな危機が! どうやって思いとどまったのでしょうか?

川上 社長から呼び出されて叱咤されて、結局今も働いているというわけです(笑)。社長とは歳が近かったこともあって、日頃から気にかけてもらっていて、今では家族ぐるみの付き合いをさせてもらっています。個人的には兄のように思っています。

社長市場風景

——いい関係ですね。とはいえ、辞めたいほど辛かったところから、どうしてモチベーションがあがったのですか?

川上 営業に行った百貨店の催事で、売り上げをかなり上げられるようになって、そこから少しずつ周囲からも認めてもらえるようになっていきました。催事販売の前例がなくて、マニュアルもなかったので、自分がやりたいようにできた。

——そこではどんなことを心がけていたんですか?

川上 「売りつけない」ということを意識していました。フラットな感じでお客さんと接していると、反応が良くて、商品より先に私に興味を持ってくれるようになっていきました。そこから、食べ方をお伝えする。そのまま食べられる加工品も、焼いてみたり、何かに挟んで見たり、いろんな食べ方を自分でも試してみて、それをお客様に提案して納得して買ってもらう。それもこれも、黄木の商品はすごく魅力があるという絶対の自信があったからです。

ブロック肉

ものづくりの共感と刺激を得て

——100周年を目前にJBFに参加された理由は?

川上 やっぱりコロナの影響もあって、このままではいけないと危機感を感じていました。事業規模の拡大や、業態を変えることも視野に、何か勉強できたらいいなと思って参加しました。

ダウンロード (14)

——実際に参加されてみて、何か気づきはありましたか?

川上 課題が見つかった、というのが正直なところです。勉強させてもらおうぐらいの気持ちだったのですが、参加するにつれて、他の事業者さんから刺激を受けたり、自分たちだけが大変なわけじゃないんだと気付けたり。今は見つかった課題に対して、どうしていこうかなと取り組んでいるところです。

——課題の発見以外ではどうですか?

川上 ものを作るということは、どんな業界であれ通ずるところがありますよね。それを様々な角度で見て実感できたとともに、「負けてられないな」という気持ちが芽生えました。

——営業魂に火が付きますね。

川上 そう、だからこれからもっと働くために、健康でいなくちゃいけない。ということで、毎日1時間半くらい、「トレーニングルーム」と呼んでいる自宅の部屋にこもって筋トレしています。おかげさまで、お肉もたくさん食べるし、毎日晩酌もしていますが、健康診断で異常なしでした。今日もこれから、こもりますよ(笑)。

川上 祐輔
株式会社 米沢牛黄木 

生まれも育ちも岡山県。1923年創業、米沢牛や黒毛和牛、自社牧場で肥育するオリジナルの黄木牛の販売を行う山形県米沢市の老舗、株式会社米沢牛黄木でアルバイトとして働く。今まで食べたことがない黒毛和牛、しかも米沢牛と巡り合い、その魅力と弊社代表を始めとする米沢市の方々の温かい人柄に惹かれ、同社への入社と永住を決意。現在は、法人営業の部署に在籍し、全国へ米沢牛黄木の商品の魅力を発信している。
https://o-ki.co.jp/

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