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JBFな人たち #16 穂積勇人(穂積繊維工業株式会社

JAPAN BRAND FESTIVALにかかわる人たちは、一体どんな想いを持ってものづくりやビジネスをやっているのか? JBFに入って良かったことは何か? 当事者たちにインタビューしてきました。
今回お話を聞いたのは、手織りで「素足に気持ちいい」敷物を作っている穂積繊維工業株式会社代表取締役の穂積勇人さん。「絨毯屋」になる前は、なんとハードコア/グランジ系のバンド活動をしていたそうで、インタビューの随所で仕事をバンドにたとえてくれました。

バンドマンから絨毯屋へ

——そもそも絨毯って、ルーツは日本のではないですよね。どうやって普及していったんですか?

穂積 そもそもの話をすると、派手好きの秀吉が取り入れたみたいですね。その後、鎖国が解かれて欧米化したときに、畳の上に絨毯を敷く文化が生まれて、戦後は進駐軍の住居の床に敷かれました。高度経済成長期を経て、それまで一般家庭の標準装備だった畳が床に変わり、絨毯が台頭してきたようです。

——穂積繊維工業は、絨毯が一般化する過程に合わせて成長してきたんですね。

穂積 うちは祖父が昭和22年にはじめた会社ですが、初代の頃は手織り絨毯の下請けのような仕事をしていて、2代目のときはバブル期のホテル需要で、ホテルの建造に合わせて大型の納品をしていました。不景気でそれがスパッとなくなって、3代目が私です。

工場 穂積繊維2018-06-04 10.13.48

——ちなみに穂積さんは家業を継ぐまでは何をしてたんですか?

穂積 新潟で消防設備士をしたり、バンドでベースやドラムをやったりしていました。ニルヴァーナと同じ、って言うと良く言い過ぎなんですけど、オルタナティブロックっていうジャンルで。

——世代ですね!

穂積 あんなこと、若くないとできないですよね。当時はスマホなんかもないから、よくライブハウス事情もわからないまま東京に行ったり、群馬に行ったり。
一度、ハコに行ってみたら30代後半のヴィジュアル系バンドとブッキングされていて。「俺たちと音楽性、真逆じゃないか!なんだこのイベント!」って(笑)。でも、彼らが舞台裏でジョリジョリ音させながらヒゲ剃ってたんですよ。なんかそれを見て、彼ら独自の美意識を貫く部分にエモさを感じたりするところもあったりして。

——新潟で楽しくやっていたのに、どうして山形で家業を継ぐことにしたんですか?

穂積 今、音声SNSのClubhouseが流行ってますけど、その頃はちょうどmixiが流行りはじめていたんですよ。そうしたら、近くに住んでいる友だちより、遠くに住んでるけどmixiの更新がマメな友だちのほうが近く感じられたんです。これからそういう時代になっていくなら、新潟にいなきゃできないってこともなくなる。
それと、絨毯という業界自体が面白いなと思うようになった。そもそも、日本という国で絨毯を作っているってみんな思ってないんですよね。「実家は何やってるの?」と聞かれて、「絨毯作ってる」って答えると、「畳屋さん?」って言われたりして。それなら、絨毯を作っていくのも世の中的にはレアで面白いかなって。

絨毯はパンクだ!

——実際にこの業界に入ってみて、何が一番楽しいですか?

穂積 仕事をはじめた頃は、親父から「これが高級品だ」と絨毯を渡されてもよくわからなかったくらいなんですが、だんだん分かってきて、それで楽しくなってきました。高級絨毯って、ざっくり言うと密度が高いんです。ペルシャ絨毯なんかは密度が高い、つまり絵柄の解像度が高い。だからいろんなことができる。
自由度が高くて、シンプル。パンクみたいなものなんですよね。ちょっと新しいことをすれば、「新しいジャンルだ!」って言われるし。

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——デニム生地の絨毯、はじめて見ました。これはどういうきっかけで?

穂積 デニム工場が生地を織り上げる際にカットする両端の部分を活用する「デニムの耳」プロジェクトに賛同したことがきっかけです。その「踏んだときの心地よさ」から派生して、スリッパの底(足裏が当たる部分)に使ってみたら、好評で。山形エクセレントデザイン賞を受賞しました。

——その自由な発想はパンクですね。

穂積 やっぱり、踏んで気持ちのいい絨毯を作りたいじゃないですか。麻の地の上にウールの猫を編み込んだ、うちの定番商品があるんですけど、これも踏んだときに感触が違って面白いんですよ。

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これまで、欧米の人は絨毯の上で靴を脱ぐ習慣がないので、この面白さに共感してくれるのは日本人ばかりだったんです。でも、コロナの感染症対策で、最近では欧米でも家に帰ったら靴を脱ぐようになっているそうです。もしかしたら新しい商機かもしれないって。

——そういった可能性を求めてJBFへ?

穂積 そもそも、発信が苦手なんですよ。特にさっき言ったように、感覚がものを言う商売でしょう。そういう五感の部分を、ネットを通してどう表現するかが課題で、学びたいなと。
あとは、異業種の人たちからの刺激ですね。いろんなバンドを見てみたい、みたいな感覚に近いんですけど。

——JBFにはいいバンド、いましたか?

穂積 アロマと絨毯は相性が良いだろうな、とは思っています。あとは、みなさんがやっていることを絨毯に置き換えたら? と考えるだけでも新しいアイデアになる。いわばサンプリングの元ネタをディグってる感じですね。

「敷物」にかわる新しい呼び名は〇〇

——穂積繊維工業は、これからどんなことに挑戦していきますか。

穂積 絨毯って、僕はやっぱり触感が大事だと思うんですよ。でも、高級路線になればなるほど「密度の高さ」を示すためにグラフィックデザインの方向に寄っていく。ハードロック・ヘヴィメタルがよくやる、延々と続く速弾き合戦を思い出すんですよね。

布張り

——とにかく技術を見せ合う、みたいな型が。

穂積 そうそう(笑)。もちろんグラフィックデザイン的な技も大事ですが、プロダクトデザイン的な方向もどんどん追求すべきだろうと。最近では「敷物」っていう名前は固定観念があっていけないんじゃないかと思って、何か違う新しい呼び方をしたいなと考えています。

——もう決まったんですか?

穂積 いろいろ調べたんですけど、絨毯、敷物、ラグ、カーペット、マット……世界的に見ても日本が一番「敷物」の表現にバリエーションがあるんですよ。「踏み物」とか呼べば、ちょっとは触感を連想させるかな、とか。まだ考え中です。
あとは、競争にならないような商売がしたいですね。

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——競争にならない?

穂積 パンクなのが絨毯のいいところなんで、みんながいろんなところで、勝手にいろんなものを作ったらいいと思ってるんですよ。

——でも、穂積さんの真似をされたら困るじゃないですか。

穂積 真似されたら真似されたで、「似たバンド出てきたな」みたいな。それも面白いじゃないですか。

穂積勇人
穂積繊維工業株式会社 代表取締役

1974年、山形県中山町生まれ・育ち。大学進学を機に新潟に11年暮らし、在学中も含めバンド活動などをしつつ多種多様の職種(居酒屋スタッフ、騒音水質交通量調査員、交通誘導警備員、TVクルー、音響スタッフ、曳家、土木工事、消防設備士等)を経験し、2004年帰形。祖父が創業したじゅうたん製造業である穂積繊維工業株式会社にて経営を行いつつ、ラグなどの製品開発、工場展示会に取り組む。趣味はインターネットと読書と民俗と音楽の探求、の46歳。
https://www.hozumi-rug.com/


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