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JBFな人たち#8 小渡晋治(株式会社okicom)

JAPAN BRAND FESTIVALにかかわる人たちは、一体どんな想いを持ってものづくりやビジネスをやっているのか? JBFに入って良かったことは何か? 当事者たちにインタビューしてきました。
第8回目は、沖縄でIT関連の総合コンサルティング事業を中心に展開する株式会社okicomの常務取締役の小渡晋治さん。沖縄の伝統的染物である紅型工芸支援プロジェクトを指揮するなど、伝統工芸を未来につなげるプロジェクトを次々と打ち出していく小渡さんの描く未来予想図とは?

エリート金融マン、故郷に帰る

——小渡さんがokicomに入社されてまだ4年ほどとお伺いしました。

小渡 そうですね。okicomは父が41年前に創業した会社でして、4年前に、事業承継も視野に入れて僕が沖縄に戻ってきたという感じです。

——というと、それまではどちらに?

小渡 生まれは沖縄ですが、東京の大学に進学して、卒業後は10年ほど東京の投資銀行で働いていたんです。その後、シンガポールに留学して、もう少しアジアで暮らそうかなと考えていたときに、父から「沖縄に戻らないか」と言われまして。妻に応援してもらえたこともあり、沖縄に戻ることを決めました。

——ご自身の中でも、いつかは故郷に戻ろうかなという気持ちはあったんですか?

小渡 これまで父から「会社を継げ」と言われたことは一度もないんです。が、小さい頃から「仏壇を継げ」というのはしょっちゅう言われていたので、そういう意識はありましたね。沖縄に続く古い慣習です。でも暗に「会社も継げよ」ということだったのかなと、今から思えば父の戦略勝ちですね。

——確かに(笑)。紅型のプロジェクトはどんなきっかけではじまったんですか?

小渡 ずっと金融マンだったので、コーディングやプログラミンができるわけではないですし、okicomでは経営の部分や新規事業を行うことをしています。

ちょうど沖縄に戻ったぐらいの時に、日本各地の地のもののプロデュースをしていた大学時代の友達から「せっかくだから沖縄で何か面白いことをしようよ」って声をかけてもらって、「じゃあやろっか!」って。そんな感じの仲間とのノリからスタートしたのがはじまりですね。

——軽やかですねえ。そこで選んだのが紅型だった?

小渡 すぐに琉球銀行さんに相談したところ、紅型組合の理事長さんを紹介してもらえたのが紅型との出会いでした。沖縄県内に紅型の工房は50軒程度あるのですが、その中でも琉球王朝時代からずっと染め屋さんとして続いている城間さんと知念さん、そして産地組合の理事長さんの3名を中心にまずプロジェクトを始めていきました。ちょうど城間さんも知念さんも世代交代のタイミングで、お二人とも僕と年齢が近かったというのも、スムーズにプロジェクトを進めていけた要因の一つかなと思います。

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職人さんの声が届くものづくり

——金融の世界から一転、伝統工芸の世界に入っていくのには苦労も多かったのでは。

小渡 そうですね。やっぱり本を読んだりすごく勉強しました。沖縄県民の中でも、紅型ってあまり馴染みがないものになってしまっているんです。昔は小学校で紅型の染め体験の時間があったんですが、今はプログラミングとかにとって変わられてしまっていますし、土産物屋さんには量産された安価な“紅型風”デザインばかり。その隣に本物が並んでいないということが、問題だなと感じていました。

だからこそ、伝統軸と革新軸の両軸で、沖縄の中に伝統工芸がしっかりと息づいていく状態をつくっていきたいという思いでやっています。

——伝統工芸に今まさに求められていることですね!

小渡 企業と職人さんが一緒にやる取り組みって、職人さんの思いがないがしろにされてしまったり、逆に職人さんのこだわりが強すぎて企業側が根を上げてしまったり、なかなか着地をするのが難しかったと思うんです。そこを僕らが間に入ることで、職人さんとも信頼関係をしっかり築いていきながらも、紅型のものづくりの幅が広がって発展していく方向性を作って行きたいと思っています。

——具体的にはこれまでにどんなものづくりが実現していますか?

小渡 JTAの機体のヘッドレストカバーに紅型デザインを採用してもらっていて、年に3回、図柄が変わるんですけれど、それに合わせて機内誌でも僕らがプロデュースする紅型デザインを使ったオリジナル商品を扱ってもらっています。「紅型特集」を大々的に組んでもらった時には機内誌を手に工房を回ってくださる方がいたり、メディアの発信力を実感できました。

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一回だけで終わってしまう “思い出プロジェクト” ではなくて、ちゃんとものが売れたり、人が動いたり、持続していくプロジェクトであることを常に意識していますね。

夢は沖縄発、地球にやさしい循環型経済モデル!

——積極的にプロジェクト展開していますが、JBFに参加されたきっかけは?

小渡 知り合う人の幅でやれることってかなり変わってくるなと常々思っていたところ、昨年ある知人「こんなキャンプがあるよ」って誘ってもらえたのがはじまりです。

参加してみたら、実際にいろんな方との出会いがありますし、JBFでできたネットワークで連携していけるものがあったり、最前線で活躍されている方のお話がきけたり、こういう網羅的なリミックス感のあるコミュニケーションは刺激的で面白いですね。

——小渡さんのプロジェクトは、まさに人との繋がりが大事という感じがします!

小渡 人と話をしている時が一番楽しいんです。人と会うことで、「こことあそこをつなげると面白いよね」とか、「あれはあの人に頼もう」とか新しいアイデアが生まれます。Facebookのメッセンジャーのやりとりだけで、30分くらいで企画のベースがまとまるなんていうこともよくあります。

——スピード感がありますね! 良いアイデアを生むために日頃から実践してることってありますか?

小渡 「パトロール」って呼んでるんですけど、県内のリゾートホテルに積極的に泊まって、情報収集しています。プライベートで自分でも体験しながら、お客さんはどんな服を着てるんだろうって観察してものづくりに反映できるようにしています。この手法は、妻からも好評ですね(笑)。

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——一石二鳥ですね(笑)。小渡さんの次なる目標を教えてください!

小渡 未利用資源になっているサトウキビの搾りカス(バガス)で作った「かりゆしウェア」のプロジェクトを進めています。かりゆしウェアは、自治体職員や銀行員などが仕事着として着用するなど、沖縄で市民権を得ているシャツです。アロハシャツのような感覚で、観光客が沖縄で購入する商品としても人気があります。最近、沖縄にワーケーションで来る方も増えているんですが、ホテルをシェアオフィスとして利用してもらって「かりゆしウェア」を貸し出す仕組みを考えています。そのシャツに、紅型の職人さんとコラボして、図柄を提供してもらい、紅型柄のプリントもののシャツを準備しました。ただのシャツじゃなくて、ちょっと語れるシャツだとビジネスのとっかかりにもなりますし。


——なるほど、ビジネスシーンに着目したんですね。

小渡 そして、何回か使ってもらった後にウェアは回収して、炭にして、サトウキビ畑に返す。そういうサーキュラーエコノミーを実現したいですね。その流れをHPでも見えるようにして、沖縄を深く楽しんでもらう仕組みがつくれたらいいなって思います。ゆくゆくは、為替レートを気にせずにグローバルにギフティングできる仕組みも作って沖縄経済の新しい資金調達元にならないかなって。やりたいことはたくさんあります。

小渡晋治
株式会社okicom常務取締役

1982年、沖縄生まれ・沖縄育ちの38歳。大学進学時に東京へ出て、その後は米系投資銀行で10年間キャリアを積む。2016年にシンガポール経営大学にてMBAを取得したのちに、2017年から沖縄へ帰郷。父が創業したIT企業であるokicomにて経営及び新規事業の立ち上げを行いつつ、沖縄の地域資源・地元産業のアップデート、DX、商品・サービスプロデュースに取り組む。琉球びんがた普及伝承コンソーシアム事務局長、琉球びんがた事業協同組合特別顧問、SHIMA DENIM WORKS CSO(Strategy / Sustainability)、中小機構沖縄事務所 国際化支援アドバイザーなど多様な肩書を持つ。
https://www.okicom.co.jp/


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