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JBFな人たち #3 大石親嗣(株式会社ダイシン)

JAPAN BRAND FESTIVALにかかわる人たちは、一体どんな想いを持ってものづくりやビジネスをやっているのか?JBFに入って良かったことは何か?そんな問いに対して、当事者たちにインタビューしてきました。
第3回目は、自動車用小型部品の製造・組み立てを主業とする株式会社ダイシン代表取締役社長の大石親嗣さん。堅実なものづくり企業の2代目は、なんと昔ワルかった!?

2代目の役目は父の枠を超えること

——大石さんが代表取締役社長を務める株式会社ダイシンは、自動車用小型部品の製造・組み立てを行っているそうですね。そのままでも十分、日本が誇る「ジャパンブランド」だと思うんですが。

大石 自動車業界の状況を10年くらい前と比べると、部品も含めて現地調達化が進んでいるし、その比率も年々増えている。将来のことを考えたら、「自動車部品だけ」というわけにはいかないですよ。

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それに、BtoBゆえの「エンドユーザーの声が聞こえない」というもどかしさがずっとあったんです。自動車部品って、コンプライアンスの観点から「自動車のどの部分で、どんな働きをする部品なのか」をメーカーから教えられないことも多いんです。そうすると、ダイシンで部品を作ってくれている人たちのモチベーションも上げにくい。自社ブランドを作ればBtoCにも事業を広げることができるんじゃないかって。

——それでJBFへ?

大石 そうです。地元の地域活性化センターに行ったら、「大石さん、自社ブランドを作りたいなら挑戦してみなよ」とJBFを紹介されました。その言葉に背中を押されましたね。

——今はどんなことに挑戦しているんですか?

大石 ダイシンは、会長である父が創業した会社で、僕は2代目。小さいながらも盤石な会社を残してもらったんだから、2代目の僕の役目は「父の枠を超えること=自動車部品だけじゃないこと」だと思ってます。父がやりたかったけどできなかった「地域貢献」をしたいという思いもありました。

それで、バイオマスプラスチック製品の製造に取り組みはじめています。牧之原はお茶の産地。大好きなお茶産業をもう一度盛り上げることが地域貢献にもつながると信じて、茶葉由来のバイオマスプラスチックです。

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「自動車部品だけじゃないダイシン」を拡大せよ

——もともとバイオマスプラスチックに関心があったんですか?

大石 世の中は脱プラの流れですからね。ダイシンはプラスチック成形も行っているので、環境を意識するようになってからは、自分たちが悪いことを助長しているような気がして悲しかったですよ。

でも、僕は子どももいるから、「悲しい」と言ってるだけじゃいけない。子どものためにも、自分たちが世界を変えていかなくちゃ。

そんなことを考えてるときに、バイオマス樹脂の製造企業と知り合ったんです。彼らの原料はコーヒーの出がらしだと聞いて、それなら茶葉でもできるんじゃないかと。意気投合して、一緒にやろうということになりました。

——価値観が同じ人との出会いが、事業につながっているんですね。

大石 JBFもそうなんですが、普段の仕事では絶対に出会わない業界・企業・地域の人と知り合うことが刺激になりますね。やっぱり、地元の同業者で集まっていてはブレイクスルーになるようなイノベーションは生まれない気がしています。

ほかにも、「サカナイフ」という魚をさばく専用の包丁を開発している富山の会社と知り合って、ナイフの鞘の部分をプラスチックで作りましたよ。

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そしたら彼らが牧之原に来たときに、茶畑の景色に感動してくれて、それをヒントに春からは「お茶の苗木」を育てるクラウドファンディングをはじめます。うまく育てば茶葉を自分で揉んでお茶を飲むこともできるし、お茶の花って白くて可愛いんですよ。観賞用にもいいんじゃないかと思いますね。

——次々と新しいチャレンジを行っていますね!

大石 今のダイシンは99%が自動車部品関連の事業で、新しい挑戦はまだ「事業」と呼べるほどのものじゃありません。でも、「自動車部品だけじゃないダイシン」を拡大するための大切な1%だと思っています。

ゆくゆくは、子どもたちにSDGsを概念としてじゃなく、手で触れて感じられるような製品を作りたい。失敗してもいい。まずはやることが大事。

かつてはゴリゴリのハードコア・バンドマン

——会社、地域、地球環境、子ども。大石さんはとても意識の高い方に感じます。

大石 いやいや、そんなの会社を継いで社長になったあたりからだと思いますよ。「ダイシン」っていう社名、実は大石の「大」に、僕の名前である親嗣の「親」から父が付けたんです。もう、完全に継がせる気じゃないですか(苦笑)。若い頃はそれが嫌で嫌で。

中学生の頃は親が学校に呼ばれちゃうくらい悪さをしてて、そのせいで高校はわざわざ厳しい学校に入れられたほどです。でも、このまま親の敷いたレールの上を歩いてちゃいけないなと思って。

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——どうしたんですか?

大石 「絶対怒られるな」と思ったから本当に言いたくなかったんだけど、「音楽の道に進みたい」って言ったんです。それで、社会に出るまで4年間の猶予をもらう形で音楽の専門学校に進みました。

——それは意外ですね(笑)。どんな音楽をやってたんですか?

大石 自分はアメリカのバンド・Rage Against the Machineが大好きなんです。いわゆるミクスチャーロックですね。髪も編み込みにして、見た目もゴリゴリでしたよ。まあ、今社長をやってることからわかるように、音楽の道で成功することはできなかったんですけど、ライブハウスで何度もライブをしたし、一応CDも作った。僕が辞めた後、バンドはインディーズでデビューもしたみたいですね。

——すごいじゃないですか! バンドはもうやらないんですか?

大石 やらないやらない!音楽は今でも好きだけど、絶対にのめり込んじゃうから。

——じゃあ、今、大石さんがのめり込んでいることは?

大石 ありきたりだけど、社長業かな。小さな会社だけど、50人弱の社員、協力会社、取引先、そしてその家族。会社を続けることで、いろんな人の暮らしを支えている自負がある。責任もあるけど、やりがいのある仕事です。

この仕事は、音楽をやってたときみたいに制限時間はない。自分が納得できるまで、時間がかかってもやり抜きますよ。

大石親嗣
株式会社ダイシン代表取締役社長

1980年静岡県生まれ。自動車用小型部品の組み立てを主軸にしながら、プラスチック成形も含めて成形/組立/検査/梱包の一貫生産を行う「ダイシン」の二代目社長。バンド活動を経て、当時の工事長に誘われるかたちで、同社に入社。2014年に現職。自動車用部品で培ったノウハウを他分野に生かすべく、挑戦を続けている。
http://daishin-inc.com/


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