医学一筋じゃない!社会に目をむける機会をくれた
JBAでは、学生インターンが、企画立案・編集・ライター・フォトグラファーなど様々な職種で活動しています。今回は「医学生とライター、2つの人生を満喫しています」というKさんにインタビューしていきます!
ーー 医学部生がコンサルティング関連の会社で働いているって珍しいと思うのですが、その経緯を教えていただけますか?
中学生くらいの頃将来の夢が「国連職員」で、進学もずっと文系で考えていました。ところが、友達とオープンキャンパスで見に行った京大にものすごく惹かれて。学部ごとのブースで医学部の先輩のお話を聞いて、京大医学部に惚れこんじゃったんです。「ここで勉強して、保健関連で世界に貢献したい」と強く思いましたね。
私のもともとの動機は医学をやりたい!というより人間自体への興味だったので、医学部に入学はしましたが、将来に関しては「病院で働く医師」以外の選択肢も考えていて。どうにかして広い視野を持って医療に携わろうと、入学当初から躍起になっていました。医学一筋はいやだったんです。だから、一通り医学部生としてやりたいことを追求して、その後もっと他の経験もしてみたい!と思った時に出会ったのがJBAでした。
ーー やりたいことの追求という部分を聞かせていただきたいです!
1回生の夏には、国際医療を学ぶためベトナムに医療支援に行きました。京都の医療団体の活動に同行させていただく形だったんですけど、当時はまだバイトもしてなかったので、カンパ用の封筒を携えて病院に行き、自分で書いた企画書を見せて先生方にプレゼンして、ベトナム行きの費用を募りました(笑)。実際に行ってみると、日本と見た目も近く、風土も似ている東南アジアですが、その間には格差があるということを身に染みて感じました。この時の経験で、途上国の医療に興味を持つようになりました。
そのあと1回生の後期には、東南アジアや世界の保健に携わりたいという思いから、京大の東南アジア地域研究研究所というところでアルバイトをしてフィールド研究のデータ整理をさせてもらったり、東京で行われた国際医療フォーラムに参加・登壇したりしました。そのフォーラムは各国の政府高官や保健機関の専門家が集まり、日本からも首相が参加して国際的な医療協力推進を目指す会で、私はスピーカーとなって、日本の医療を世界のモデルとして発信する役割を務めました。
医学研究は、例えばiPS細胞のような分子レベルの研究で人を助けるものもありますが、私はフィールドに出て統計をとったり現地の人と一緒に活動したりするマクロな疫学研究の方がしたくて、その方向に向かって頑張っていましたね。
ーー 行動力に溢れてますね、すごいです。2回生になって何か変化はありましたか?
2回生の春と夏には、医学生の学生団体の先輩方と計画してタイへ行きました。薬剤耐性菌(抗生物質の使いすぎによって抗生物質が効かなくなった菌)についての研究が目的で、タイは抗生物質の乱用が激しいことで知られているため、その実情を調査しに行ったんです。道行くタイの方々に抗生物質に関する意識調査を行い、薬局でも処方の現状調査をしました。
目的を持って計画した研究はやり遂げたのですが、ここで少し気持ちに変化がありました。「研究だけじゃどうにもならないな」と思ってしまったんです。私がこれまで触れてきたのはあまりにもマクロな世界で、それをもとに一学生として実際に何かを作ったり、今ある仕組みを変えたりはできないと感じました。
ここで私の「医学部ハネムーン」は終わりました。自分の将来の医師像を思い描くのが楽しかった時期が終わりを告げたんです。これは決して「医学部倦怠期」ではなくて、少し冷静になったというか。それまで大切にしていた「医学部生アイデンティティ」から離れて、「もしも医学部生じゃなかったらどうだったんだろう」と考えるようになったんですね。社会に目を向けるいいタイミングだったんだと思います。
ーー 社会に目を向ける、とは具体的にどんなことですか?
一旦、医学というものから離れて、自身のもともとやりたかったことを考えてみたんです。私が医学の道に入ったのは、先程述べたように「人に対する関心」というものが大きかったので、純粋に医学という制約を取り払って何か新しいことを始めてみようと思いました。
そう思っていたときに、大学生協のアルバイト募集の掲示でJBAのライター職の求人を見かけて、応募することにしました。もともと文章を書くのが好きというのもありましたが、自身の医学的な知識を活かしつつ、さまざまな業界や企業を相手に仕事をすることができたからです。単純に医学生として知識を得ていくだけではなくて、ビジネスの世界に行ってみることも、後々実現したいものを得たときに必ず役に立つと思ったことも一つの理由です。
最初の頃は、自分では決して仕事ができている感覚はなかったのですが、JBAの先輩方がものすごくいい人たちで。指導熱心でしたし、お仕事をこなすと「すごいね!」「さすが!」とよく褒めてくれるっていう(笑)。当時の主な仕事は企業調査で、ライターとしての業務はたまに医療関連の執筆を依頼されるくらいでしたが、オフィスに行って働くのが楽しかったですね。
ーー 印象に残っている案件はありますか?
印象に残っている案件は、ライター初期の頃に担当させてもらった、ある大手製薬会社さまの社内報執筆です。大学3回生の5月から本格的な執筆業務に携わるようになったのですが、その第一弾でした。社内報とは、多くの企業さまで作られている従業員のための社内情報誌のようなもので、私は社内のレジェンド的人物を取り上げる記事を執筆しました。
その頃はまだライターとしてのお仕事に慣れていたわけでもなく、難しい専門用語が多用されるようなお話だったので、社員さんも力試しのような感じで依頼して下さったんです。でも、分からないながらも手を抜きたくはなくて、医学部で使用している教科書を引っ張り出してきて、分からないことを調べながら必死に書き上げましたね。
取材時のインタビュー音源を聞く度に、製薬会社の前線で活躍している優秀な社員さんの仕事ぶりに感動しました。私も医学の道を志したのは少なからず人の役に立ちたいという思いがあったからですが、実際に人の命に関わる仕事をこなして成果を上げている人をどのように紹介すればいいのか、手に汗を書きながら原稿を書き上げました。
原稿が完成したとき、達成感もあった一方で、どんな辛口コメントが返ってくるんだろう…と不安な気持ちもありました。しかし、なんとその原稿が、お客さまへの提出用として社内で選んでもらえたんです。もちろん、社員ライターさんが手を加えてブラッシュアップはして下さっていたので、その手助けがあってこその成果ではありましたが、「本気で書いたらちゃんと成果が返ってくるんだ!」と思いました。すごく嬉しかったです。
ーー 医学部は膨大な勉強量だと聞きます。JBAの仕事とはどのように両立していたのですか?
その点は問題ありませんでした。確かに、医学部の授業や研究は忙しいのですが、JBAのインターンは完全オンラインで行うことができ、シフト時間も自由なので医学部に通いながらでも無理なく働くことができましたね。医学部に限らず、忙しい大学院生などでも研究と両立して働くことができると思います。私もテスト期間などには短期的に業務から離れたりもしていましたが、基本的には忙しくてもそれぞれの生活に合わせて仕事をすることが可能です。
ーー ライターとして働くなかで学んだことはありますか?
学生ライターには、初期の教育制度のみならず、プロのライターさんからレクチャーをしていただける機会が設けられたりもします。あるとき、これはまた違う社員ライターさんのお言葉なのですが、「ライターの仕事はインタビュイーの人生を疑似体験すること」とおっしゃっていました。「インタビュイーにどれだけ共感できるかが大事」という心得を教えていただき、感銘を受けたことを覚えています。
私も、ライターをしながらそのインタビューの主人公一人ひとりに共感して執筆にあたっています。社会にはこんな人たちがいるんだ、と自分事としてリアルに感じられて楽しいです。
ーー JBAに入ってよかったなと思った瞬間はありますか?
JBAのお客さまは日本を代表する大企業ばかりで、ここでのお仕事はわかりやすく社会に繋がっていると思います。私自身、医学部で学んだ知識を活かしてライターの仕事をすることができたり、逆に医学部に籠っていたら絶対に知り得なかった業界や会社のリアルについて知ることができたり、日々魅力を感じながら働いています。
私は将来、医療に携わることは決まっていますが、JBAでライターの仕事を通してビジネスの経験を踏んだり、働く姿勢を会得したりして、単なる一人の医者になっただけでは成し得なかった医療業界への貢献をしていきたいと考えています。従来の医者の仕組みには囚われない、社会と繋がったタイプの医者になることを目指して、今も医学部とJBAの2つで奮闘しています。JBAのインターンにはこんなタイプの人もいるんですよ(笑)。この記事を読んで、私たちの仲間が増えると嬉しいなと思います。
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