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依存先を増やす

人は依存することが好きだ。
何かに依存することで、心の拠り所を見つけたり安心感を得ることができるからだ。
実際に、依存は「コミュニティにうまく馴染めない」「仕事がうまくいっていない」などの日常生活で感じる不安がきっかけでなることが多い。

ネガティブな気持ちによって依存するもので代表的なものと言えば、主にアルコール、タバコ、ジャンクフード、ギャンブル、ショッピングなどがある。
どれも嗜む程度に楽しんでいれば、ほとんど問題視すべきものではないけれど、依存するほどのめりこんでしまうと自分や周りの人に大きなダメージを与える可能性が高くなる。

これは他の依存症にも当てはまる。
例えば、恋人や1人の友人に強く依存すると、その相手の情報をしつこく聞き出したり束縛するようになってしまい、良好だった人間関係が悪化する。
恋人や友人に依存する人の多くは、その恋人もしくは友人以外に頼れたり気軽に会ったりできる存在がいないから、唯一の存在である恋人や友人に強く依存してしまう。

しかし、人間関係が広く多趣味な人や多忙な人であれば、特定の何かに依存して身を滅ぼしてしまう可能性が低くなる。


ただ、特定の”何か”に依存することなく安定した精神状態で日常を過ごしている彼ら彼女たちは、何にも依存していないというわけではない。
むしろ、依存症になっている人たちよりも依存しているものが多く存在していることが多い。

複数の依存症にかかっているのではなく依存先が複数あることで無意識のうちに精神や時間を費やすリソースを分散させているのだ。
個人差はあっても、人ひとりが費やせる精神的・時間的リソースはほとんど決まっており、際限なく気になること全てにリソースを費やせるわけではない。

複数の依存先を持っている人たちは、特定のものに強く依存できるだけのリソースが残っていないから、必然的に特定の何かに依存することがない。
また、依存先が複数ある人はそのうち1つの依存先を失っても、まだ依存先がいくつも残っているため、受けるダメージが少なく簡単に失った依存先から離れられる。卑屈さや執着心も残りにくい。

しかし、依存先が1つしかない人は、その依存先を失ってしまうと精神と時間を費やす先を見失い、全てを失ったかのような感覚に陥ってしまうため、受けるダメージが大きい。
さらに、失った現実を受け入れたくないという気持ちや取り戻したいという気持ちから、卑屈さや執着心が強まりやすくなる。

依存先を少しでも増やすことによって、どうしても人は全ての依存先に大量のリソースを費やせなくなってしまうため、無意識のうちに1つ1つの依存先に対しての気持ちが弱くなる。
もちろん、優劣や依存先ごとに決まったリソースの配分はあるだろうが。

例えばスマホ依存症の場合、何の予定のない休日は1日中スマホを触っていられるだけの体力や時間があるけれど、仕事や旅行、その他の娯楽で忙しく時間的、精神的、体力的にあまり余裕がない状態であれば、スマホをほとんど触らないだろう。

仕事が忙しい時やスマホ以外のことで楽しんでいる時にスマホを触ろうと思っていても、スマホよりも優先すべきものや目の前のことにリソースを大量に費やす必要があるから、スマホにリソースを裂いていられない。
仕事や楽しいことが終わってからも、疲れているからスマホをほとんど触らずに寝てしまうと思う。


だから、依存先が1つしかないのであれば、2つに増やしてみて、慣れてきたら3つ、4つと徐々にいろんなことに気を向けられるようにしていくことが効果的だ。
特定の何かに強く依存さえしなければ、依存自体に何も悪いところはない。むしろ、多少の依存なら誰もがしている。

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