罪悪感に押しつぶされる…
2021(令和3)年4月いっぱいで、仕事を辞めました。
世の中は、新型コロナウイルスが猛威をふるい、コロナワクチンの接種がようやく始まるくらいの時期だったかと記憶しています。
メンタルクリニックに通い出してから、8年が経っていましたが、うつ病の症状は波はありましたが、寛解することはなく、発達障害(ASP)だとも診断され、どのようにして生きていけば良いのか分からない状態でした。
そんな中で、テレビからは、新型コロナウイルスによる社会不安が連日報道され、有名人の自殺・病死のニュースが相次ぎました。
外出規制も出され、唯一の楽しみだった音楽ライブへも行けれなくなってしまい、「心にぽっかりと大きな穴が空いた状態」という表現がよく使われますが、ぼくの場合は、心をどこかに落としてきてしまったかのように、怖い・不安・泣きたい・笑いたい・楽しい・怒り・悲しいといったような感情が消えてしまったような状態でした。ただ残ったのは「イライラ」といった感情だけが、常に心と頭を支配していました。
以前から、ちょっとしたことでイライラする性格で、仕事でも日常生活でも何かと小さなことで腹を立てたりしていました。それは、他人に対してでもあり、自分自身に対しても同様にイライラすることが多くありました。
その頃には、特に自分自身に対してのイライラが頂点に達していたような感じで、自己否定的な考えに囚われて、何もする気力がなくなってしまっていました。まさに、うつで生気を失った状態でした。
仕事を辞めた直後は、病気理由での退職であったため、傷病手当が支給され、支給期間が終わっても次の仕事に就けなければ、ハローワークで失業給付が支給されると、気楽に考えていました。
仕事に行かなければ。働かなければ。という考えから抜け出せたことで、少しだけ心が軽くなった感じがしました。
しかし、そんな気楽な気分でいられたのも、ほんのわずかな間だけで、半年、一年と時が過ぎていくうちに、徐々に不安へと変わっていきました。
ハローワークで、障害者職業センターと障害者就業・生活支援センターという支援機関があると聞いたら、発達障害の衝動的であるという一面が出て、家へ帰る時間も待てず、ハローワークの玄関口で電話をしていました。
そこから、障害者雇用などを視野に入れた、再就職活動が始まりました。
様々な支援を受けつつ、企業へ履歴書・経歴書を送り続けますが、面接にすら進めないという現状にぶち当たりました。
転職回数10数回、資格は普通免許と介護の資格だけ。50過ぎでうつ病と発達障害持ち。当然と言えば当然のことでした。
就労継続支援事業所へ通うという道もありますが、心の中には、いまだ自分が発達障害もあって、仕事に就いたとしても一つの会社で長期間働けない。何か辛いことにぶち当たるとそこでめげてしまい、すぐに仕事を辞めてしまう。という重大な欠点があることを自覚していながらも、認められない自分がいます。
障害年金を貰っての生活。住民税非課税世帯として税金を支払わず、医療費も自己負担なし。国民の三大義務「勤労の義務」「納税の義務」「教育の義務」。こどもはおろか、結婚さえできない人間で、義務を一切払わず、障がい者としての恩恵だけを享受する日々。
「このままではいけない」という思いに急かされる毎日。しかし、全く変われない自分がここにいる。
情けない。惨め。欠陥人間。役立たず。穀潰し。人間のクズ。社会の害悪。などなど…。今の自分を言い表す言葉が、頭の中を埋め尽くす。
50年以上生きてきた人間が、こんなことを考えては、毎日声を上げて涙をボロボロ流しながら泣いている。
みっともない。
こんなつまらない、どうしようもない、惨めで情けない人間の文章を読んでくださる人がいる。その方の貴重な時間を、このうじうじと泣き言を並べている文章を読むことに費やしてくださっている。そう考えると、本当に申し訳ない気持ちになってしまう。そして、「スキ」やフォローまでしてくださる方がいる。そのことが、申し訳ない気持ちとともに、とても幸せだと感じています。ぼくという存在を、否定的・肯定的どちらだとしても認めてくださっている。そのことが、「この世の中に自分は確かに存在していて、認識していてくださっている人がいる」と実感することができるのです。
ともだちのいないぼくが、何度かアカウントを削除しては、作り直しているSNSには、フォロワーなんていない。だから、何か投稿したとしても、「いいね」がつくこともない。だけど、フォローしている方の投稿にリプライして、そのリプライに「いいね」をしてくださる。たとえ、それがリプライした人全てにしている、ある意味義務的な行為だったとしても、読んでくださっているかも分からないけれども、ぼくの存在が認識されていると確認できるのです。
そのことが、今のぼくが感じられる唯一のしあわせなのです。
会ったこともなければ、話しをしたこともない誰か。ひょっとすると、AIか何かで機械的に「スキ」や「いいね」を付けているだけかも知れない。それだとしても、自分の存在を確認させてくださるのです。
何一つ義務を果たさず、障害者としての恩恵を享受しているだけの社会のお荷物として、常に罪悪感に押しつぶされそうになっているぼくが唯一、しあわせと感じられるのです。
このしあわせが、失われてしまう前に、いっそ死んでしまえたら…