見出し画像

息子の野球引退で「野球ママ」生活が突然終わった

日本の学校に通っていれば中学3年生の息子。
先日夏の大会を終え、小1から続けてきた野球を引退しました。


走れない、捕れない、打てないの三拍子で、小学校低学年の頃は「チームのお荷物」とまで言われました。

うだるような暑さの日も、骨まで凍てつくような寒さの日も、地道に地道に練習を重ね、小学校では正捕手としてスタメン選手へと成長。

中学野球では硬式のクラブチームを選択。
関東常連の強いチームを選んだことで、スタメンからは外れてしまいました。
そこから長らく、試合ではベンチで応援することの方が長い野球生活を続けることになる彼。
それでも、野球が大好きで、チームの仲間が最高で、練習を重ねました。

どのスポーツにもつきものですが、悔しさや理不尽さに涙を流したことも1度や2度ではありません。
それに、野球の競技人口が減ってきているといっても、フィジカルエリートが集まるスポーツ・野球。その選手層の厚さ、「上には上がいる」ことを嫌というほど思い知らされ続ける毎日でした。

・どんなに努力をしても叶わない相手がいるということ
・だけど、一生懸命努力をすれば必ず誰かが見ていてくれること
・一緒に汗を流し、涙を流した仲間は一生モノだということ

若い彼のこれからの長い長い人生を支えてくれるであろう、大切なことの多くを野球が教えてくれました。


高校で甲子園を目指すとしたら、高校野球連盟に属する高校への進学が必須となります。
彼の通うインターナショナルスクールは、そこに属していません。

つまり、彼のガチの野球生活はいったん中学3年生時点でピリオドを打つということ。



本当に、お疲れ様でした。
母は頑張り通したあなたが誇らしいです。





そうしてやってきた圧倒的に「暇な土日」。

ここまで9年近く、お当番だ、遠征だ、車出しだ…と、息子の野球が中心にありました。
3時・4時に起きてお弁当を準備して、大量のポットや氷を持ってまだ暗いうちから選手を乗せてグランドへ…。真夏も真冬も、朝から晩まで屋根もない河川敷で立ちっぱなし、帰宅すれば泥だらけのユニフォーム洗い…。

平日も忙しく働きながらの野球ママ生活は確かに大変だったのですが、慣れというものは恐ろしいもので、それが当たり前の生活になっていたのですよね。

それがある日突然無くなるという寂しさと言ったら、ありません。


心の隙間を埋めるべく、今度は下の娘がガチスポーツを始めないかしら…?とあれこれ体験に連れて行っている私w

パリオリンピックで日本人が活躍するスポーツを見ては、
「これ、体験しに行ってみない?」
と提案しています。

が、私の幼少期にそっくりの超自由人で宇宙人のような娘は、あまりどのスポーツにも興味を示さず、どの競技の体験に連れて行ってもすぐに遊び始めてしまいます涙


なかなかドハマするスポーツに出会うのは難しいかもしれませんが、運命の出会いというものはどこに転がっているかわかりません。



改めて、野球というスポーツを息子と出会わせてくれた神様、ありがとう!




いいなと思ったら応援しよう!