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【4月】 青青青青青青青青

前回更新から1ヶ月空いてしまいました。
皆様お元気でしょうか。

このあいだ大阪の舞洲にネモフィラを見にいったのですが、その際フェリーに乗りました。ユニバーサルシティーポートを出発し、安治川から大阪湾に出て、舞洲まで向かいます。

夢舞大橋。おそらく。

船窓から広がる景色がとにかく素晴らしい。
港ならではの人工物が、左から右へどんどん流れていく。恐ろしい程の海の青さ。すごい速さで移り変わる景色を眺めながら、脳内ではずっとヨルシカの『藍二乗』が流れておりました。

記事の最後にネモフィラを置いておくので、そちらも見てみてください。


部署異動の話

社会人生活も3年目に突入。部署が異動となり、職種と人間関係が一変した。しばらくは後任への引き継ぎと、新部署での仕事を覚えることが中心となる。今後については不明確な部分もあるものの、今のところのびのびやれている。

出遅れ感満載ですが。今年もお花見しました。

肌質が劇的に改善した。社会人となってから一気に荒れ始め、21年の9月ごろからメンズエステに通うことになったのだけど、せいぜい現状維持だった。環境はだいじなんだなと改めて思う。馴染むこと、馴染めていると納得できることが、心と肌に与える影響は大きい。

【メンズエステ追記】
店員さんは話がとにかく面白く、美味しいお店などをたくさん教えてくれたので、毎月行くのが楽しみでした。先月でやめちゃったけれど、素敵な思い出。特に恋愛の話は、女性ならではの鋭い指摘をたくさん頂き参考になりました。

適応障害?の話

23年2月に心療内科を訪れた際、適応障害と診断された。体調も崩しがちになっており、まあまあ限界だったらしい。

診断書をもらうことで、精神的にかなり楽になった。自分の置かれている現状が、甘えや無能によるだけでなく、形式的ではあれ病名がつくような状態であったことに対する安堵。

けっきょく診断書は会社に提出せず、上司、総務の方々と相談し、もう少し頑張る方向で話は終わった。それから1ヶ月、異動の話が出て今に至る。

会社側からすると、そのまま働かせて良いのかという話になったのかもしれない。その辺の顛末はわからないが、部署異動のきっかけの一つだろうと思う。

診断書をもらった日、その足で京都を訪れた。学生の頃、暇になるとすぐ散歩した思い出の場所。


文章の話

このころ文章を書くという行為に対して、身が入らなくなっていた。「書きたいことがない」のか、「書きたいと思うほどに心が動かなくなった」のか。そもそも書くこと自体、本来自分にとって重要ではなかった可能性もある。

noteを始めた明確な理由の一つに、「コレクション欲求」があった。アカウント、あるいは倉庫のようなものに、自身の作ってきたなんらかの塊を格納していくという作業がしたかったのだと思う。棚卸しという言葉が好きなので、棚と言い変えてもよい。そういう「棚を充実させる行為」に飽きたのだろうか。格納行為のみに関心があったのなら、写真でも音楽でも良いはずで、文章である必然性はないことになる。

もう一つnoteを始めた理由がある。これは至ってシンプルで、「長い文章を書く際、アナログのノートにペンを走らせるのが面倒だった」こと。初期のnoteの文章は「大学4年間の読書経験を総括する」みたいな内容で、紙媒体に書くのがダルかったのだろう。「長い文章を書く行為」が嫌になったのだろつか。じじつ、アナログのノートに短文を書き残す習慣は続いている。

文章に対する心境の変化についていろいろ考えていて、ふとヘーゲルを思い出した。哲学者ヘーゲルの文章は、ああでもない、こうでもないと壁にぶつかりながら、グネグネと進んで行くらしい。それが当人の説く弁証法という手法であり、絶対精神の過程でもあると、何かの本で読んだ。私自身はヘーゲルをきちんと読んでないのでピンとこないし、現状がそういう過程にあるとも思えないけど。ただ思い出しただけ。

あまりに文字ばかり続くと飽きるので、この前新部署の上司とウイスキーを飲みに行った際の写真を載せます。


4月の読書記録『人間の建設』

読み進め途中の本が多かった1ヶ月。
その中で読み終えて、これは面白いとなった1冊をご紹介。


大作家の小林秀雄氏と天才数学者の岡潔氏の対談本。部署を異動してから知り合った、会社の先輩に勧められて読んだ本。テーマが縦横無尽に飛び変わりながら、好き勝手に話し合っている様が面白い。

とりわけ興味を引いたのが、矛盾の話。感情的に矛盾するとしか思えない二つの命題を、ともに仮定して検証した結果、数学的に「矛盾しない」という証明がでた、という話について。

矛盾がないというのは、矛盾がないと感ずることですね。感情なのです。そしてその感情に満足をあたえるためには、知性がどんなにこの二つの仮定には矛盾がないのだと説いて聞かしたって無力なんです。(p.39-40)

誰かに納得してもらえないことには、学問として成立しない。数学のように論理一本のように見える学問もそうである、という話。論理を扱い切るには、感情による納得が土台に必要であるということ。なんとも皮肉じゃないですか。論理として矛盾がなくても、誰にも納得してくれないようなものは、続けられない。存続できず、消えてゆくしかない。

仕事も恋愛もそうだけれど、「誰かに認識(承認)されて初めて、存在意義を感じる」というのは、多くの場面でよくある話。そしてその認識(承認)を担保するのは、ふわふわして、定義づけの出来ない「人間の感情」であるということ。感情から一番遠いと思われる数学ですらそうなのだと。その不合理さが歯痒い。人であることの限界。

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「文体は思想だ」という佐藤優氏の言葉を思うと、ここ1ヶ月で随分書き方が変わった気がします。環境が変わり、見える景色が変わると、考え方も異なっていく。文体も然り。23年はどのようになっていくのだろうか…。また更新します。

ネモフィラ

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