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【ゴジラ-1.0】山崎貴監督がG細胞だと認める【書き起こし+考察】

#ネタバレ

ゴジラ・フェス 大阪でYouTubeライブ配信もされたVTRで、笠井アナが『ゴジラ-1.0』のラストシーンの真相を訊き出しました。


▼引用(書き起こし):

以下、太字が笠井アナ、通常字体が山崎監督です。

●脚本の改訂について:

最初構想していた物語と設定や展開が大きく変わった所はどこでしょう?

それね、結構色々変わりましたよ。あのー、典子さんがずっと生きてるバージョンとか。あのあそこですね…

吹き飛ばされない?

吹き飛ばされない。あそこで二人とも助かって生きてるやつとか。水島もね、あの、割と早く死んでたんです。最初。

おお!

あそこで。機雷処理船のところで、死んでたんですよ、最初は。

はあ…そういうドラマの起伏があったわけですね。

そうそう。だから敷さん(敷島)が目覚めた時に「水島は大丈夫だったのか」って言ったら、二人が「いや水島は…」って言う…

それが手の怪我だけに変わった?あの、骨折みたいのに変わったと。

そうそう。そもそもね、本当にね、入りが違うんですよ!最初は、あの、敷島って本当に好戦的なヤツで、ゴジラが、最初出てくるじゃないですか、恐竜タイプのゴジラが。そこで「とにかく静かにしてないとみんなやられちゃうから」って言って、そこで息を潜めているところで、敷島が「零戦ゼロがあるんで、俺行ってきますよ」って言って。「あいつで撃てば絶対死ぬから」って言って、ババババって撃つんですよ!

青木崇高のセリフが、実は敷島のセリフだったと?

みんなは止めてるの。「あれはね、怒らせなければ大丈夫だから」って言って、あの「そのうち行っちゃうから」って言ってやってるのに、敷島が「あんなヤツ零戦で一撃ですよ!」って言って、で、そーっと行って零戦に乗って、ゴジラが前に来た時に撃っちゃうんです、ババババって。そしたらゴジラが死にかけるんだけど、ゴワワワ(擬音)って再生して、激怒してみんなを殺して。それで橘が「お前のせいだ!」って。だから「俺(敷島)が余計なことをしてしまったが故に、ゴジラがみんなを殺したんだ」って。

ああああ。

もっと、ちょっと、重たい、背負う…今のやつはさ、そこまで言われなくてもっていう感じでもあるじゃないですか。

もっと気弱な男ですよね。

最初はね、もっとね、俺がやってやるわって言って、エライ事になるって話だったんですよ。

●典子さんの生死を分けたもの:

とかね、いっぱいある!あの、ずいぶん、その、脚本の改訂というか、脚本の直しは色々やってたんで。

それは自分の中で変えていくのか?(他人から)何か言われて変えるのか?

色々!あの、典子さん生きてる生きてないに関しては、結構女性の視点がいるなと思って。プロデューサーと相談して、結構いろんな年齢層の女性の方に読んでもらったんです。そしたら割とやっぱね、あの、死んじゃう方が票が…

少なかった?

いや、多かった!死んじゃう方が良いって。

良いって?そうだったんですか…

うんうん。やっぱ死んじゃう方が切ないっていう…

でも死ななくしたじゃないですか!

それは俺です!(笑)だから本当は、もっと言うと、あそこで典子さんが本当に死んじゃって終わるっていうパターンもあったの。もうあそこでもう断ち切れるようになって…

周りの評価も死んだ方がドラマチックだと?

ドラマチックだし、敷島の感情に乗れるって。だから、それまで気弱でね、ゴジラから逃げ回っていた男が、あの、典子の死をきっかけに切り替わっていく。まあ、そこは変わってないですよね。で、そうか、そっちの方が良いんだなあってなって。そっちに変えて…

でも蘇らせた?

まあ、蘇らせたのは、最後に。あの、かわいそうになっちゃって。(笑)あんな頑張って、頑張った挙句に生きて帰ってくるわけじゃないですか。それは典子さんに居てあげてほしいなと思って。

●G細胞発言:

まあ、だから、ええと、典子さんが、あの、死んでなかったっていうバージョンで撮ってたんだけど。ただ、その、最後の、そのラストシーン撮ってる時に、だけどさ、あの爆発でよく生きてたよなって思い始めちゃって。(笑)で、なんかあったときのために、エキストラカットで撮ったんです。ここ(首元)に、あの、ちょっと眉毛を描くペンか何かで印3つだけ付けてもらって。で、もうみんなもうキョトンですよ。スタッフも誰も彼も。あの、ちょっと印つけてくれない?って言って印つけてもらって。で、あの柴崎さん、カメラマンにね、あのーちょっと二人(典子と敷島)が抱き合ってるシーンで、首のとこに寄ってくていうエキストラカットを撮ってもらえませんか?っていう、俺が急に言い出したの。現場で。で、みんな「え、この人何言い出したんだ?」っていう感じで。結構みんなキョトンとしてて、で「何に使うんですか?」って。まあまあまあまあ、色々ある色々あってって言って。(笑)

…ということは、最後のラストカットのあの黒い痣は、台本にあったわけじゃない?

全然ない、全然ない。

現場で、その、典子さんがなんで生きてたのか、という所のエクスキューズとして…

そのために、あの、なんか使えるかなと思って、撮っておいたんです。

あれは、、、ゴジラ細胞、なんですか?

ゴジラ細胞です。(笑)

あ、そうですか…(あっけなく即答されて肩透かしの笠井アナ)

そうです。で、実はこのゴジラ細胞の力で甦ってたんだよっていうことをやろうと思って…

だからなんですね!いや、初日の舞台挨拶の司会に行った時に、その話を俳優さんにしたら、「えーっ!?」ってみんな。(笑)「えーっ!?」

(笑)だって、観てた…観てたよね、それ?

痣ありましたっけ?みたいな!

あー。

蔵之介さんなんかは「気づかなかった」って言って。僕も実は1回目は気づいてないんですよ。人に言われて、2回目3回目で確認したの。

はあ…あのね、本当は音が入ってたんです、あれ。クワクワクワ(擬音)ズルズルクァピチャ(笑)っていう音が入ってたんだけど、あからさまだなと思って。でもなんかこう、なんだろう、わかる人は…だってゴジラ細胞で人が蘇るとかって、別にそんなに知れ渡っている設定じゃないじゃないですか、その一般のお客さんに。ゴジラの人達にはね…

『ゴジラVSビオランテ』を観てる人はね…

観てる人達にはね、ゴジラ細胞がなかなかの再生能力を持っているぞってことを知っているけど、でも普通の人は知らないから。だから、わかる人達が「おっ!」って思ってくれれば良いなぐらいの感じで付けてたんですよ、あれは。


▼解説・感想:

●G細胞:

笠井アナも最初からアジェンダに典子の黒い痣のことは入れていたと思うのですが、他の話題で監督からその部分に言及する流れになっていき、それを訊きながらどんどんテンションが上がっていく笠井アナが観ていて面白かったです。

さらに、これはもう聞くしかないというタイミングで、意を決して「ゴジラ細胞ですか?」とズバリ聞いたら、監督は何ももったいぶらずに「ゴジラ細胞です」とあっさり即答。

あまりの呆気なさに調子を崩されて無表情で「あ、そうですか」としか返せなかった笠井アナが最高に面白いインタビュー動画になりました。(爆笑)

1秒ほどタメてから、言った笠井アナでしたが…
あっけなく即答!(笑)
「…」
「…あ、そうですか」

言葉の仕事を何十年もしてきた人が絶句するなんて最高でしょ!(笑)

まあ笠井アナもVTRが流れた後に会場に向けて、これを本当に使っても良いのか撮影後に山崎監督に確認したと弁明していたので、「ここまではっきり言われちゃうとゴジラフェスで使えないじゃん」と撮れ高の心配をしたからこその、あの表情だったのかもしれませんね。(脳内フル回転で考えてる人って案外無表情なもんでw)

会場もかなりざわついたようです!

いやあ、しかし山崎監督よ!

あなたのおかげで、私の考察が外れることが確定しましたよ!(爆笑)

平成ゴジラVSシリーズでマクガフィンとなったG細胞ですか。
なかなか面白い考察だと思いますけど、どうでしょうか??

結論から言うと、私は違うと思います。
典子の首元にあった黒い痣みたいなモヤモヤ動く何かは写実的な表現ではなくて、放射線被曝を抽象的(象徴的)に描いたものかなーと私は思いました。

この得体の知れない不気味な描写によって、私のように「ゴジラが去っても放射能の恐怖は続くのである」という抽象的な解釈から、もっとダイレクトに「実は典子はG細胞が体内に入り込んだことであの爆発も生き延びたが、もはや人間と言える存在ではなく、これから怪奇人間として変身する」という昭和30年代東宝の《変身人間シリーズ》のような具象的かつSF的な解釈さえできるようになりました。

さらには「典子の体内にG細胞が入り込んだことで、典子と敷島の間に生まれた子供は超能力を持ちゴジラと交信して、次の世代で迫り来る宇宙怪獣と戦うために人類とゴジラを協力させるキーパーソンになる=山崎版の三枝未希オリジンストーリーだった」という《平成ゴジラVSシリーズ》のリブート版のエピソードゼロとも呼ぶべきぶっ飛び展開まで、可能性が開けました。(笑)

表現を抽象的にボカすので言えば、庵野秀明の『シン・ゴジラ』のラストカットもそうでした。あのゴジラ第5形態は本当に出現していたというよりは、物語のテーマを伝えるためにイマジナリーな表象として描かれた、と解釈した方が映画全体の整合性が取れて綺麗になります。(*凍結された瞬間の尻尾の先端に第5形態は見当たりません。)

シンゴジにしても、マイゴジにしても、一本の映画で綺麗に完結しているので、映像として表現されたものをそのまま写実的(SF的)に受け止めて、続編を作ろうと考えるのは野暮だろう、と個人的には思います。

【ゴジラ-1.0】ラストのアレについての考察【典子は芹沢博士だった?】

本文ではもっと詳しく考察してるので、興味がある人はぜひそちらも読んでみてください。

ただですね、この黒い痣のことはVFX解説副音声でも言及されているのですが、そこでは典子の首元の黒い痣は「もし2作目がある時のために撮った」と山崎監督が明言していたんですよ!

だとしたら、私も大いに納得です。

私の解釈はあくまで《1本作りきりで終わるならこうするのが美しい》という前提での結論であって、もし続編を作るなら圧倒的にそちら(G細胞)の解釈にしたほうが良いですもん。(笑)

なんなら、このタイミングで山崎貴が『ゴジラ-1.0』のラストの謎をあそこまで明言したのは…続編の企画が本格スタートしたからではないかと推理しますね、私は。(おっと、また余計なことを書いたかもしれない?笑)

続編を始めるからには、アレが何だったのか(少なくとも制作関係者には)はっきり説明する必要が生じますから。そして他人に説明したアイデアや情報は必ず漏れます。それならば自分から話してしまうのが良いと判断したのではないでしょうか。

しかも私は引用した考察記事でこんな指摘もしました。

そもそも、小学校に上がる前の幼女が、久しぶりに母親に再開した時に、駆け寄ることもせず、泣きもせず、なぜにあんな距離を置いて冷静で居られたんでしょうかね?
まさか、典子さんの中に《近づいてはけないもの=邪悪な何か=死のオーラ》を感じ取っていたからだったりして?
こわーーーい!(※マジで鳥肌🐔)

【ゴジラ-1.0】ラストのアレについての考察【典子は芹沢博士だった?】

そしたら、なんと同じくVFX解説副音声で山崎監督も、まさに包帯ぐるぐる巻きの典子を明子が怖がって近づかなかったテイクだから、このシーンに採用したんですって!

私の観察眼もなかなか捨てたもんじゃないでしょう?(笑)

●脚本テクニック:

典子のG細胞の話題でインパクトが薄れましたが、敷島の設定変更もなかなか興味深い発言でした。

また、大戸島で一度ゴジラが瀕死になる予定だったのも重要です。

これは別のインタビュー映像(どれだったかは失念しました)で見たのですが、山崎監督はゴジラを「もともと大戸島に居た段階(恐竜タイプ)の時から、再生能力が異常に優れた生物だった。それがこの生物が現代まで生き残っていた理由。だが原爆を受けて大怪我をしたら再生の途中でエラーが起きてゴジラになった、という設定なんです」と説明していました。

大戸島の時点からそうだったなんて、教えてくれないと解らないよ!とも思ったのですが、当初の脚本では、それを実際に映画の中で見せる予定だったのですね。これは脚本のテクニックとして上手いと思います。だから敷島はゴジラを撃つ必要があったと。

結果的には、敷島が臆病者に設定変更されたことで描かれずじまいになりましたが。まあでも制作過程での取捨選択とか、脚本の改訂が抱える一般的な難しさの範囲かな、とも思われますね。(*野田のセリフのどこかに挟むことは出来たかもしれないとも思いますけどね)

●引用元:

本投稿でのインタビューと画像はこちらの動画から引用しました。

https://youtu.be/nX9muxdbnWo
*ライブ配信のアーカイブは5月13日までの期間限定です。

そして、たぶん今回のインタビューで明かしたような逸話をたくさん詰め込まれているのが、こちらの書籍『THE RECORD OF G-1.0』になるのでしょう。興味ある方は購入を御検討くださいませ。

第96回米国アカデミー賞 視覚効果賞を受賞した『ゴジラ-1.0』のVFX、そして本編のウラ側すべてを徹底解説した完全記録集!(ゴジラ・ストア公式Twitterより

(了)



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