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【関心領域】この映画は退屈なのか?

#ネタバレ

ズバリ、退屈だからスゴイのです!

『関心領域』 第二次世界大戦中にアウシュヴィッツ強制収容所の隣の庭付き一戸建てに住んでいた、ある家族の物語。背景こそ異常だが、近景の物語は全くもって日常で平凡。退屈とさえ言える描写は、まさに《観客の関心領域の外側》であり、つまり本作は観客が存在して初めて成立するアート映画である。

午後2:00 · 2024年5月26日 318件の表示

あまり人様の関心を集めなかった私の感想ツイートですが、140字に詰めようとして少し言葉足らずになりました。

このnoteでは少し(?)補足していきます。

第二次世界大戦中にアウシュヴィッツ強制収容所の隣の庭付き一戸建てに住んでいた、ある家族の物語。

背景のどーんと鎮座するアウシュヴィッツ強制収容所は外観も異様ですが、たまに人の悲鳴のような音も聴こえてきます。そしてはるか遠くでは戦火の煙がいくつも上がり、かすかに銃声も聴こえます。これらは映画全体を支配する不穏な雰囲気を作り出します。

しかし、この庭付き一戸建てに暮らしている家族は全く外界に無頓着で、庭の手入れをしたり、お茶会をしたり、ピクニックに出掛けたり、全く戦争など感じさせない平穏な生活です。

それこそが《関心領域》というタイトルをよく表している…というのが本作の感想で最もよく見かけるものです。

背景こそ異常だが、近景の物語は全くもって日常で平凡。

この映画はある家族の、逆にどんな家族でも起こり得る、ちょっとしたハプニングについて描いた映画です。

ざっくり説明すると、、、せっかく妻が何年もかけて庭を作り上げたのに、夫の転勤が決まってさあ大変!悩んだ末に夫婦は単身赴任を選ぶ。しかし夫の後任者の仕事ぶりが悪かったので、夫が再び転勤してこちらに戻ってくることになりました。これでまた家族全員一緒に暮らせるね。めでたしめでたし。

たったそれだけの物語なのです。

退屈とさえ言える描写は、まさに《観客の関心領域の外側》であり、つまり本作は観客が存在して初めて成立するアート映画である。

そんなありきたりな物語なので、あらすじを書き起こせば当然のごとくドラマ性は希薄になって、脚本は退屈になりますし、映画の描写も退屈になります。実際に私も第一幕の終盤では睡魔との戦いになりました。(幕間のように挟まれるリンゴを配る少女のシーンのおかげで間一髪生還できましたが;苦笑)

しかし、それこそが、本作のスゴイところです。

映画『関心領域』はわざと退屈に作ってあるのです。

●極限までリアルな再現映像

一つは、その条件下で監督はじめ制作チームは、実際の家を撮影に使用したり、綿密な取材で明らかにした人物像に忠実にしたり、撮影時にカメラは全てリモートコントロールにして俳優に屋内では一人きりの状態にして撮影して役者からリアリティを引き出したり、などメイキング映像を観ないと気づけないような舞台裏の努力で作品にタマシイを込めていることです。

脚本が退屈だからこそ、映像(と音響)で極限まで面白いものを作ろうとしているクリエイター達の息吹を嗅ぎ取る姿勢が観客にも求められる、技術的に偉大なことを成し遂げた映画です。

●自身の関心領域に気づかせる仕組み

二つ目は、これがもっと重要だと思うのですが、わざと観客を退屈させることで《観客自身の関心領域を自覚させる》というメタ的なテクニックを使っていることです。

つまり…

観客「ああ〜、何だよこの映画、退屈でつまんね」

…と思った観客に対して…

作者「へえ、そうですか。つまりこの映画はあなたの関心領域の外側だったんですね」

…というメタ的なツッコミを入れるために、あの演出にしているのです。

本作は第一幕と第二幕とずっと派手さのない物語が続きます。それなりに教養がある人なら、あの場所でそういうことが起きていたのは周知の事実なので、知っていることを延々と見せられて退屈を感じ始めます。

これは頭が良いと自覚している人に多いのですが、以前から見聞きして知っていた事象や、あるいは新しく得た少ない情報で理解したと思ったら、それ以上考えるのを止めてしまう傾向があります。もう分かったのに考えるのがムダだと感じるからです。そういう人は、本作で作り手がなぜ一見ムダに思えることを表現していたのか、気付けないことが多いでしょう。

第三幕でややショッキングなルドルフのカミングアウトを経て、そして最後に現在のアウシュヴィッツ強制収容所の映像を突きつけてくることで、本作はそれまで退屈していた観客でさえも興味を取り戻す工夫を入れています。(*本作の三幕構成については別記事で解説済みなので気になる方はそちらを読んでください)

そして退屈を感じていた人は大変禍々しい強制収容所を淡々と掃除する映像を見せつけられながら、ハッとさせられるわけです。自分、この映画にさっきまで無関心だったなあと。

この映画でヘス一家は加害者側として描かれます。多くの観客は、被害者側であるユダヤ人に感情移入したくなる中で、ヘス一家に対して共感したく無いという心理的なブレーキが掛かります。銃声や悲鳴など不穏な音がしてるのに、全く無視して生活してる家族なんて胸糞悪いですからね。

ドラマ性もなく、無意識に避けてしまいたいポジションである。そんな観客が無関心になりそうな要素をたくさん散りばめて映画は描かれます。でも、それこそが観客の関心領域の境界線を逆説的に浮かび上がらせることになるのです。

●ネットの反応

これはある意味一番きれいに、そんな術中にハマった感想です。

『関心領域』はっきり言って退屈した。「世にも残酷な行為と、それにまったく無関心な加害者の日常」というテーマはいい。それを直接見せず、音だけで想像させるという手法もいい。しかし全編そのワンテーマだけだとは!
劇中、本質的な変化というものがどこにもない。つまりはドラマというものがない。30分から60分くらいの短編ならまだしも、それだけで105分はさすがにキツい。「今のシーン本当にいるか?」というところが多々あり、間延びしきっている。

ホロコーストものとしても『QB VII』や『サウルの息子』には遠く及ばず。これが世界中の賞を総なめって、一体どんな過大評価だ。

『関心領域』を「退屈」と言うと「映画を理解できていない」「問題に無関心」と言うレッテル貼りをされるらしいが、おいちょっと待て。理解もクソもなく、「アウシュヴィッツの隣で平和な日常を営む家族の物語」って、それ、去年この映画がカンヌに登場して以来、映画ファンの間では常識レベルの予備知識じゃなかったのか?? それを知らずに見に行く映画ファンがどれだけいるかは疑問だ。
私があれを退屈だと感じたのは、その予備知識を超えるものがなく、ほぼ予想した通りの展開が延々105分も続くから。「その設定は見る前から分かっていたから30分も見れば十分。それを超えるものは結局何もないの? そこまでワンアイデアな作品だったの?」と肩透かしを食った次第。

午後5:47 · 2024年5月25日 4万件の表示
午後7:34 · 2024年5月27日 8.9万件の表示

分かったつもりになって退屈した自分を省みて、自身の関心領域の範囲を自覚することを促す映画なんですよね。

もっと観ている間からジワジワ感じていたという感想もありました。

『関心領域』、ハッキリ言えば「BGMがやたら大仰なだけで、総合点ではつまらないし眠くなる映画」のギリギリ一歩手前レベルをわざとやっており、いやあんなに大勢殺しておいてつまらないし眠くなるってなんだよ、というだいぶ嫌なメタ体験で観客を殴るタイプの映画ではあります。

午後7:42 · 2024年5月25日 30万件の表示

この倫理観に訴えるいやらしさを感じていた人は多いようですね。

まあでも人には「いいね」の付けやすさ(=見栄)というのもありますから、実際には退屈した人も同じくらい大勢いると思いますよ。もしくは退屈はせずとも、理解できなかった人は結構いたと思います。理解できない時に感じる不快感は退屈と似ています。そういう人達のモヤモヤした感情を上手くケアしてくれたツイートはこちらだったのかもしれませんね。

●観客が存在して初めて成立する

こうして、単純な映像や脚本の面白さという映画の中身だけではなくて、それを観た人間の心がどう動いたのか、という映画の外側まで含めて非常にダイナミックな作品だったので、私はツイートで本作は観客が存在して初めて成立するアート映画と表現しました。

以上、2,500字近くなりましたが、感想ツイートの補足、終わり。(笑)

(了)

最後まで読んでいただきありがとうございます。ぜひ「読んだよ」の一言がわりにでもスキを押していってくださると嬉しいです!