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劇中で引用される詩について;100%気楽に生きられる人なんて居ない(エンパイア・オブ・ライト)

劇中に出てくる2篇の詩に着目したネタバレ感想です。

▼あらすじ:

第一幕:
 1980年。イギリス南岸にある古びた映画館に勤める白人の中年女性ヒラリーは、日常的に支配人からのパワハラで愛人のような行為を強要されている。同僚はハッキリとは言わないがおそらく2人の関係に気づいている。そんな劇場に新しく建築学科志望の大学受験浪人である若き黒人青年スティーブンが雇われて、ヒラリーと恋仲になる。

第二幕:
 2人は束の間の恋を満喫するが、やがて同僚に悟られて、ヒラリーは出勤しなくなる。ヒラリーは家に様子を見に来たスティーブンも追い返すほど塞ぎ込む。劇場の進退を賭けた『炎のランナー』のプレミア上映にヒラリーは突如現れて満席の劇場で詩を朗読するという問題行動を起こし、そのまま精神病院に強制入院する。
 時は流れて。スティーブンは劇場での仕事も板についてきて、映写室への入室も許されるようになり映写技師の見習いのようなことも始める。また看護士の元恋人と寄りを戻す。そして数ヶ月ぶりに退院したヒラリーは劇場職員に歓迎されて復職する。
 ある日、移民政策に反対する白人集団の暴動に巻き込まれたスティーブンは重傷を負う。救急車に同乗したヒラリーは病院でスティーブンの母親と初めて会うが、母親からは歓迎されていないことを実感してまたしても距離を置くことにする。

第三幕:
 映写技師の同僚から勇気づけられて数週間ぶりにスティーブンを見舞うヒラリー。そこでまたしても鉢合わせた母親から今回は感謝の意を述べられる。嬉しくなったヒラリーはその夜、初めて映画館の座席で映画を観て映画の素晴らしさを知る。退院したスティーブンに大学の合格通知が届く。ヒラリーは涙ながらにスティーブンの門出を祝い、詩集の本を贈る。

▼詩について:

ヒラリーはこの映画で2回、詩を朗読します。

これらが彼女(初老に差し掛かった中年で鬱病持ちで未婚の女性)の心境をよく表していると思います。

1つ目は『炎のランナー』のプレミアで、オーデンのDeath's Echoの一節を。

Death's Echo (1936)
死神の囁き
W. H. Auden

The desires of the heart are as crooked as corkscrews,
心の欲望はコルク栓のようにねじ曲がっている
Not to be born is the best for man;
人間にとって一番良いのは生まれてこないこと
The second-best is a formal order,
二番目に良いのは定められた秩序
The dance’s pattern; dance while you can.
それは踊りの型、お前も踊れるうちに踊れ

Dance, dance, for the figure is easy,
踊れ、踊れ、その型は簡単だから
The tune is catching and will not stop;
曲はとっつきやすくて、ずっと終わらない
Dance till the stars come down from the rafters;
踊れ、夜空の星々が屋根のたる木より下に落ちてくるまで
Dance, dance, dance till you drop.
踊れ、踊れ、死ぬまで踊れ

https://www.poeticous.com/w-h-auden/deaths-echo

2つ目はスティーブンに贈った本として、ラーキンのTreesを。

The Trees (1974)
木々
Philip Larkin

The trees are coming into leaf
木々は若葉の季節を迎える
Like something almost being said;
まるで何かに言われたかのように
The recent buds relax and spread,
新芽はリラックスして広がる
Their greenness is a kind of grief.
その新緑グリーンはまるで何かの嘆きグリーフのよう

Is it that they are born again
それは木々は生まれ変わるのに
And we grow old? No, they die too.
私たちは老いるから?いいえ、木々もまた死ぬ
Their yearly trick of looking new
木々が毎年新しく見えるトリックは
Is written down in rings of grain.
年輪に書き留められている

Yet still the unresting castles thresh
それでも新芽の外皮は剥がれていく
In fullgrown thickness every May.
そして5月には若葉は十分強くなる
Last year is dead, they seem to say,
去年はもう死んだのだ、そう木々は言うだろう
Begin afresh, afresh, afresh.
始めるのだ、新しく、新しく、新しく

https://poetryarchive.org/poem/trees/

どちらも死を見つめた詩ですが、アプローチは正反対ですね。

1つ目は自分にセクハラしている劇場支配人への公開逆襲なので、すごく攻撃的だし厭世感が強いです。朗読しているヒラリー自身が死神(Death)であり、詩の中で踊っているのは支配人のことでしょう。彼はエンタメ界の華やかな秩序の中で、劇場支配人という役割をバカみたいに演じていろという皮肉が込められています。

ただ詩の前半をごっそりカットしているので、ここだけ聞かされても意味不明になりがちではありますかね…当時のイギリス上流社会でこの詩がどのくらい認知されていたのかは分かりませんが。現代と違って教養人が文学に触れる時間は長かったので結構みんな知ってるのかとも思います。ちなみに私は初見時では雰囲気はともかく意味まではよく分かりませんでした。

カットされた詩の前半部分では、人生に不安や悩みを抱える様々な職種の人たちが登場して、彼らに「どうせ死ぬんだから何も考えずに今の人生を送れ」と死神が囁く構成になっています。ヒラリーが引用したのはその最後の節のダンサーの(しかも後半部分のみだったと思います)となっていました。興味ある方はリンク先で全篇も読まれたら良いと思います。

踊れ、踊れ、死ぬまで踊れ。

2つ目は対照的に、再生を繰り返しながら生きることの喜びを綴った詩です。ただしこちらも根っこにあるのは老いてゆく自分への悲しみと嘆きです。春から初夏にかけて青々としげる木々を見て、ただ死へと向かって朽ちてゆく自身の体への感情がこの詩のスタートです。

しかし木々というのは実は生きているのは表皮の部分だけで、立派に見える根幹の中身(年輪の部分)は過去に生きていた表面部分の死骸です。この詩では、そうした科学的知見に基づき、自分もまた新しい気持ちを持って表面だけ生き返って、フレッシュに生き続けようという希望にゴールします。

これから大学で建築を学ぶために旅立つ若者に、そして年老いてもなお生きる歓びを見出す決意をした(この年齢になってようやく映画の素晴らしさを知ったように可能性はいくらでも開かれいる)自分自身に、贈る詩として最適だと思います。

フレッシュに、フレッシュに、常にフレッシュであれ。

▼常に死を想へ:

私自身、中年に突入して、そろそろ初老が見えてきた年齢で、最近は「死を想ふ」タイプの作品に心が打たれることが増えてきました。少なくともティーンの頃には全く響かなかったのは確かです。

やはり体力的な衰えや、体の部位に何かしらの不調が出ることを経験して、死や病気が身近になったことが大きいと思います。自分が死んだときに何が残せるのか。このまま死んでも良いのか。怪我や病気や貧困で満足に生きられない状態になっても幸福だと言えるか。仕事と収入はこのままで良いのか。

『エンパイア・オブ・ライト』のヒラリーは本当に厳しい状況です。加齢によって肉体は美しさを失い、幼少期のトラウマや日常の気苦労が招いた精神疾患を抱えて、苦労しつつも逞しく生きるヒラリーの姿を見せられて、心がヒリヒリ痛みます。私だって、明日は我が身かもしれない。

スティーブンとは物理的に離れますし、おそらく将来スティーブンは同世代の恋人と結婚して幸せな家庭を築くでしょう。

人間として生きていく以上、100%気楽に毎日を過ごすなんて不可能です。

しかしそれでも彼女には映画という好きなものがあって、映画館という好きな場所と仲間がいます。そうした悲喜交交を全て抱えながら、今後もヒラリーは生きる歓びを見つけながら生きていくのでしょう。そんな希望を感じられる映画でした。

特に本作で描かれる映画と映画館への愛情は、そのまま劇場で本作を観ている私達や、あるいはこの『エンパイア・オブ・ライト』を作った監督やキャストやクルーの投影であって、それがまた深く感動させてくれました。

Film.
フィルム。
It's just static frames with darkness between.
それは暗闇で仕切られた複数の静止画に過ぎない。
But there's a little flaw in your optic nerve.
しかし視神経にはちょっとした欠陥がある。
So if I run the film at 24 frames per second,
だから1秒24コマでフィルムを流せば
it creates the illusion of motion.
動きのイリュージョンが生まれる。
An illusion of life.
生命のイリュージョンだ。(フィルムに命が宿るのだ)
So you don't see the darkness.
だからもう暗闇は見えなくなる。
Out there, they just see a beam of light.
そこに見えるのは光のビームだけ。
And nothing happens without light.
光があるからこそ何かが起きるのだ。

公式予告編より

了。

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