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OODAとPDCAを組合せた最強の運営術 運営者の紹介とご挨拶 その3

会社員として、経営者なりきり作戦で毎日を過ごしていたが、一向に出口はみえてこないままの日を過ごしていた。「もしかして、自分はこのまま終わってしまうのか」そう考えると毎日がたまらない・・・・時に仕事の連絡が入るが、結局同業者からの誘いばかり・・・・何とかしないとと思うが、どうにもならない・・・・
そんな時、Windows95の発売のニュースが流れる。これまでもNECのPC98で会社の独自システムで仕事をしていて、自宅ではワープロで仕事をしてきたのだが、その愛用してきたワープロも少々くたびてれていたのでこれを機にパソコンの購入を考え始める。
しかし、元々音楽が好きだったのと、パソコン売り場でパソコンをみているうちにMacintoshに一目惚れ、当時は周りの人に色々言われたけど、Macintoshを購入することにした。(この辺の事も何時か詳しく話せたら話します)
正直、自宅にMacがきても、使い方がわからず途方に暮れる毎日が続くんだけど、当時はMACやWINのPC向け雑誌が鬼ように出ていたので、MACに関する雑誌を毎月買い込んでくる。
そしてあるMACに関わるイベントに行った際に、Adobeからソフトのお試しCDを頂き、Photoshopを試しに使ってみた。
毎月購入する雑誌にも、Photoshopの使い方が毎月連載されていて、よく画像の切り取りや合成などをして遊んでいた。
ある時、Photoshopの連載で写真の合成で心霊写真を作る回があり、記事の指示通りに画像を合成したり、画像を薄くしたり完成させたんだけど、完成させた達成感の中に、「なんでこんな事をする為のソフトが8万円もするんだ、何の使い道があるんだ」と素朴な疑問が頭を過る・・・・
それから数が月が経っただろうか、あるMACPC用の雑誌で「クリエータ」の特殊記事があり、その特集によると、PhotoshopやIllustratorなどがどのような使い方をされているのかなどの意味が判明する。
「そうか、そう言うことだったのか」
元々、店舗のコンサルだったので、手書きでPOPなどを作っていたので、それをMacで制作するようになる。
また趣味でビデオなどを撮るとジャケットを作ったり、仕事用のチラシを作ったりDMを作り始めると、元々音楽や芸能好きの自分のクリエーター魂みたいなものが体の中から湧きあがってくるのがはっきり分かる。
仕事が終われば、急いで自宅に戻り、会社の仕事などを自宅のMACを使ってこなしていた。

雑誌には、こう言ったグラフィック・デザイナーやDTP・デザイナー、CD-ROMデザイナーなどが不足していて、現在その人材を養成する学校があり、女性などの転職や進出が目立っていたが、私自身も興味はあるし、やりたい仕事ではあったが、やはりその当時で30歳近かった事もあり、異業種の転職のハードル感や、デザイナークリエータなど才能もあるんだそうし、POPやジャケットなどを作っていても、絵などは描けないので、大変に憧れてはいたんだけど、正直諦めていた・・・・
しかし、その諦めていた気持ちに火を注ぐような事が起きた。
会社の休憩時間、午前中の仕事に追い込まれていてお昼を14時頃とることになった。当然お昼を食べるのは私ひとりだったので、普段は使わない応接間室を借りてひとりでコンビニのお弁当を食べていたんだけど、食べ終わっても誰も話し相手が無く退屈していて、ふと応接間のテーブルに置いてあった卓上カレンダーを手にした。
その卓上カレンダーには日本の風景らしき絵が描かれていて、1枚1枚暇をつぶすように眺めはじめた。「この月のこの絵はいいな」などと眺めていると最後の1枚に挨拶分が書かれていて、このカレンダーの絵は障害者が書いたものです的な説明が書かれていて「ああ、いかにもありそうだよね」と思い、そのまま説明文章を読み続けていると、障害者の方でも、手が不自由な方が描いた事が記述され、その絵のクオリティの高さにびっくりすると共に、「じゃ、どうやって書いたんだ、足?口?」それからその絵の出所を調べてみるとやはり、足で書いたり、口で書いたらしい・・・・
それを知った時に、「自分は何てつまらない事で悩んでいたんだ、手の不自由な方が一生懸命頑張ってあんな素晴らしい絵を書いているのに」そう思ったらその時の自分が恥ずかしい気持ちでいっぱいになった・・・・
「人間、なせば成る」ぐずぐず思っているのではなく、今の自分の気持ちを大切にして目的を作りその目的に必死で頑張ろうと思い、まずは、デジタル業界の現状を調べ尽し、その上で自身が30歳と仮定して転職できるのかなどを1年かけて徹底的に調べ尽した。当時は2000年前の話であり、まだまだデジタル業界の人手不足は深刻で、直ぐに動けばチャンスはあると踏んで、時間のやりくり、デジタル業界に入るまでの学校探しと目標を作り、自分にプレッシャーを課せる為にも「多くの人にデジタル業界への転職への決意を表明した」年齢は29歳になろうとしていた。

びっくりしたのは周りの反応・・・「やめとけ」「気が狂ったんじゃないか」「出来る訳ない」「そもそも甘い」など、私がデジタルの業界への転職を応援してくる者などいなく、それこそ、私の決意に対して、本当に言いたい事を1年以上言われ続けた・・・・
しかし、私自身、決意表明は勿論の事だが、しっかり当時のデジタル業界に関してのマーケティングを実施、「いける」と確証と勝算は持っていたので、うるさい連中こそ見返してやろうと、それこそ朝から晩まで必死にデジタル業界に入る為のスキルを学び復習を繰り返していた。
いよいよ、デジタルの転職の為の学校に入学、私の頃は今みたいに星の数程学校がある時代ではなく、都内に4校しかなく、この4校も実際に、学校を見に行き、授業を体験、就職相談の窓口で応募可能企業などの詳しいデータなども見せてもらっていた。
学校に行く前に、気合を入れる為に、集合時間の1時間前について授業を行われる教室も一番前で授業を受けてやると思い初日を迎えたんだけど、集合1時間前に到着したものの教室にはほぼ半分以上の生徒が既に着席状態、また着席の状況をみるとびっくりなのだけど、この時点でほぼ9割が女性・・・デジタルの業界では、男性女性もなし、当時ほぼ年頃の女性が多かった事もあり、「ここに彼女を見つけに来たんじゃない」と色々な事に改めて自分の目標、決意、心構えなどを改めて違い、この日から半年間、デジタル業界に転職できるかどうか戦いのゴングを鳴らし目標に向かって一心不乱に邁進していった。

次回の続く

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