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哲学メモ4 現前の質的な差異
久々に哲学メモを投稿する。
ニュートン以来の光学は「明るさ」と「眩しさ」を同一のものとして扱っている。しかし「明るさ」と「眩しさ」は異なる。これは、「明るい色」が存在するのに対し「眩しい色」が存在しない、ということからも分かる。さて、「明るさ」と「眩しさ」の差は何か。
私たちはピアノソナタを聴いて「楽しさ」や「悲しさ」を感じる。しかし私たちがピアノソナタによって「数学の解を導き出したときの
哲学メモ3 恩寵としての実存
※本稿は、私が以前書いた『マハーヤーナ・ボリシェビキ』という記事の内容から敷衍されたものである。しかし本稿を読むために『マハーヤーナ・ボリシェビキ』を知る必要は無い。
あらゆる厭世主義は良くも悪くも「常識」である。
ここにおいて「常識」という言葉は「自らの人生に自らを超える目的を見出さない者の認識」のことを指す。
「神は死んだ」という認識が蔓延する現代において、「自らの人生に自らを超える目的
哲学メモ2 真の自分について
「真の自分」などというものは存在するのだろうか。
私たちは名称や属性を与えられることによってこの社会の一員となる。名称も属性も、他の名称や他の属性と並列されることによって初めて意味を持ちはじめる。言い換えるならば名称も属性も概念として交換可能である。
「男性」という概念と「女性」という概念は交換可能である。「文系」という概念と「理系」という概念は交換可能である。「肉体労働者」という概念と「精