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「ザ・ビートルズ」に関する投稿まとめ② note - 12回目の投稿

「ザ・ビートルズ」に関する投稿まとめ第2弾です。

前回の第1弾投稿がいまいち閲覧数が伸びなかったのですが、Quoraで投稿したネタはまだ多くあるので。

今回もQuoraでの3つの回答を一つの記事にまとめました。

まず一つ目ですが、noteユーザーにはすでに答えをご存知の方も多いのではと思う質問です。

質問『ビートルズの"Norwegian Wood"という曲がありますが、邦題は 「ノルウェーの森」です。これは、正しい訳でしょうか?』

『質問ありがとうございました。

僕も疑問に思ったので調べてみました。

この曲ですよね?

Norwegian Wood.(This Bird Has Flown.)The Beatles.

Google翻訳で調べてみたら「ノルウェイの木」と出てきました。※Quora回答作成時。2020/05/21頃

〜2021/05/28時点でのGoogle翻訳〜

スクリーンショット 2021-05-28 11.28.22

ちなみに1年後の2021/05/28にGoogle翻訳してみたら「ノルウェーの森」と出ました。

〜ここから本文〜

僕は長い間適当に聞き流してきたので、女に養ってもらってる「ヒモ男」の歌だと思っていたのですが、違いました。

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(上のイラストは、働かないで風呂に入ってばっかりのイメージ)

以下、『Norwegian Wood』の歌詞の大体のあらすじ。

最初はどういう理由からか出会ったばかりで、主人公の「男」が「女」に誘われ家まで行き、彼女が男に

「いい部屋でしょ?ノルウェイ木材なの」(直訳すぎる)

その後の流れとしては、

椅子がなく絨毯に座らせられる。
ワインを飲みながら深夜2時まで喋る。
「明日は朝から仕事」と言って、女はさっさと寝てしまう。
この後男は寝る場所がないので、なぜかお風呂場へ。

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「フラニーとゾーイー」J.D.サリンジャー。

深い意味はありませんが、この短編で「ゾーイー」が風呂に入りながら、兄の長い手紙を読むシーンを思い出しました。※欧米にも長風呂の習慣があるんだろうか?

〜ここから本文〜

男が朝目覚めると、昨晩言ってた通り女は出かけていていない。

問題はここからみたいだけど、

"And When I Awoke.I was Alone.This Bird Has Flown.
So I Lit A Fire.Isn't It Good.Norwegian Wood."

この部分、僕は深く考えずにこう思いました。

「目が覚めると、僕はひとりぼっち。鳥は飛び立った」→
「目が覚めると、(昨晩言ってた通り)彼女は出かけていた。僕はこの部屋に一人残された」

「(冬なのかわからないけど寒いし寂しいので)僕は暖炉に火をつけた。ノルウェイの木材はあったかくていいね」

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「ノルウェイの森」村上春樹

この正確ではない日本語タイトルを「あえて」本のタイトルにした村上春樹さんの、和訳を是非見てみたい。

Quoraでの回答はここまでですが、もう少し続きを書いてみます。

このビートルズの楽曲『ノルウェイの森』のwikiを見ると、

1970年のインタビューでレノンはミドルエイトと最後の「So I lit a fire(だから私は火をつけた)」というフレーズが、マッカートニーによって書かれたものであることを明かした。マッカートニーの解説によれば、最後のフレーズは「風呂で寝ることになってしまった復讐をするために、その場所を燃やしてしまうことにした」とのこと。

とあります。

そしてQuoraでのこの回答に対して質問者さんからのコメントがありました。

ご回答、ありがとうございます。欧米のお風呂ですが、バスタブがあるケースの方が稀だと思います。サリンジャーの本に出てきた人たちは、上流階級なのでしょうか。それから、"So I Lit A Fire."については、家に火をつけたとの説もありますね。お風呂で寝ることになってしまった腹いせだとか。暖炉があるという記述も無いので、ノルウェー産の家具に火を付けたと。"Isn't It Good.Norwegian Wood."
よく燃えるねぇ、ノルウェー産は・・・という意味。なんか、曲調も含めて、夢心地です。

このコメントもそうですが、今はポールの解説通りに、

「家に火をつけた」とするのが一般的な解釈のようです。

僕はこのコメントに返信しました。

返信ありがとうございます。訳詞なんて初めてですが、酷すぎましたね。「家に火をつけた」はポール・マッカートニーが言った冗談ですね。「ひとりぼっちの男が部屋で暖炉の火に当たって、ちょっと涙を浮かべてる」そんな光景を歌う方がジョン・レノンらしいような気もします。

太字の部分は完全に僕個人の解釈です。

さらに、この返信にも返信をいただきました。先のコメントと同じユーザーさんからです。

であれば、「目的」が果たせなかったというむなしさでしょうね。"This Bird Had Flown"というくらいだから、もともとが捉えどころのない存在だったのかもしれません。

さらに別のユーザーさんからのコメントに有益な情報がありました。

これ、単に「白木の家具」のことで、特にノルウェイ産の木材がどうのこうのは関係ありません。つまり、英語の慣用的言い回し。その昔、かの国の学校で「国語の教師」にそう教わりました。

つまり、"Norwegian Wood"は『白木の家具』と言うのが正解のようです。

ふたつ目の質問。

質問『なぜビートルズはデビュー前に、ロンドンではなくハンブルグに行ったのですか?』

これはQuoraにおいて、閲覧数も高評価数も全然なのですが、個人的に気に入っている回答です。

『質問ありがとうございます。

「なぜ、ハンブルグに行ったのですか?」に対する回答は、他の方の回答に出ているようなので、デビュー前のThe Beatlesがハンブルグに行ったことが、後の彼らにどれほどの影響があったのか、考えてみました。

My Bonnie.Tony Sheridan & The Beat Brothers.

これは、ハンブルグ時代に知り合った、トニー・シェリダンのバックバンドとしてビートルズが演奏している音源です。

1.武者修行

ハンブルグ巡業以前から当然クラブに出演してライブ演奏はしていたけど(有名なキャバーン・クラブなど)、このハンブルグ巡業を経験したことで、演奏技術、ライブステージでのパフォーマンスが相当向上したんじゃないかと思います。

2度目のハンブルグ巡業では、上に音源をあげたトニー・シェリダンに認められバックバンドとしてレコーディングに参加できたのも、演奏技術向上とハンブルグでトニーと知り合えたからこそ。

Cry For A Shadow.

トニー・シェリダン抜きのビートルズのみのインスト曲。

Ain't She Sweet.

こちらもトニー・シェリダン抜き。ジョン・レノンのリード・ボーカル。

以上2曲はいわゆる、「ビートルズのポリドール・セッション」

労働条件は相当キツかったはずだけど、だからこそ「武者修行」と呼べる下積み経験。

2.リンゴ・スターと知り合う。

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のちに正式なビートルズメンバーになる、リンゴ・スターとの出会いはハンブルグ巡業がなかったら、実現しなかった。

リンゴは正式メンバーで一番影が薄いかもしれないけど、それまでドラムを担当していたピート・ベストを解雇してまでビートルズメンバーがリンゴを迎え入れたのは、やはりリンゴのドラムスの技量が優れていたから。

もっと言うとピート・ベストは、プロデューサーのジョージ・マーティンからダメ出しされて、ちゃんとしたドラマーを迎え入れなければならなかったという事情もあります。

Octopus's Garden.The Beatles.※ リンゴ・スターが作詞・作曲・リードボーカルの曲。

3.アストリッド・キルヒャー

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アストリッド・キルヒャー(左)とスチュアート・サトクリフ(右)

ハンブルグ巡業までビートルズのベース担当だった「スチュアート・サトクリフ」

元々画家志望だった彼は、ジョン・レノンと同じリヴァプール・カレッジ・オブ・アートの同級生で仲が良かったところからメンバーとして参加していました。(おそらく演奏は上手くなかったんじゃないかと)

スチュアートはハンブルグ巡業中に地元の写真家の卵アストリッドと知り合い、付き合い始め、本格的に画家を目指してビートルズを脱退。

しかしその翌年、不幸にも脳出血で死亡。

その年は奇しくもビートルズがデビューした1962年。

このとき知り合ったアストリッドからの影響は大きい。

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初期ビートルズのトレードマークであるビートルズカット(今はマッシュルームカットとは言わないらしい)はアストリッドがきっかけと言っていい。

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キルヒャーはサトクリフの髪形を、当時ハンブルクのアーティストの間で流行していた前髪をおろしたスタイルに変えた。
スチュアートから始まって、ビートルズメンバーも次第に「ビートルズ・カット」を真似し始めました。

この髪型は後に「ビートルズ・カット」と呼ばれるようになる。
初期のユニホームの襟なしジャケットもキルヒャーの影響である。

サトクリフ死去後、同年5月にサトクリフのアトリエでジョン・レノンとジョージ・ハリソンの写真を撮る。

その撮影方法は、1963年のアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』のカバー写真に影響を与えた。(モノクロやハーフシャドウ、タートルネックのセーターなど)

その後は写真家として復帰。

1964年に恩師ボルフの友人である写真家マックス・シェーラーに協力してドイツの雑誌「シュテルン」で映画『ハード・デイズ・ナイト』の舞台裏を撮影した。

しかし、契約書を交わしていたにも関わらず、報酬を受け取ることは無かった。

キルヒャーはビートルズに、髪型、ユニホーム、カバー写真の撮影技法など、与えた影響力は大きいけど、

彼女がビートルズ自体のアートワークに「直接」関わったことはほとんどなかった。

当時の女性写真家の社会進出が難しかったというのが主な理由だと思います。

Backbeat (1994) ORIGINAL TRAILER [HQ]

映画「バックビート」スチュアート・サトクリフとアストリッド・キルヒャーの恋愛関係を描いた映画。

映画『バックビート』1994年公開 監督 イアン・ソフトリー 出演 スティーブン・ドーフ、イアン・ハート、アストリッド・キルヒャー=シェリル・リー

三つ目の質問。

質問『なぜエルヴィスとビートルズが一緒に映っている写真がないのですか?』

※この質問を見て、試しにエルヴィスとビートルズの画像検索をしてみると、確かになかなか出てこない。

『質問ありがとうございます。

「なぜ写真がないのですか?」

両者の間にはちょっとした確執がありました。

The Beatles meet Elvis 1965

ビートルズとエルビスの貴重な共演映像。

ビートルズとの会見

プレスリーとビートルズは直接的な接点はなかったが、両者は1965年8月27日、ロサンゼルス市のプレスリーの邸宅で一度きりの会見を果たした。

ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインとパーカー大佐の間での「極秘の打ち合わせ」という名目だったが、どこからか情報が漏れてしまい、案の定プレスリーの自宅周辺には野次馬が集まった。

Elvis meets The Beatles

エルヴィスとビートルズの会見について語るプリシラ・プレスリー(当時のエルヴィスの妻)

諸説あるが、ビートルズメンバーは平静を装いながらも、心を躍らせて招かれた部屋に入った。そこでエルヴィスはテレビを見ながらベースを練習してくつろいでいた。
「本物のエルヴィスだ」と感激した4人は呆然としてしまった。
そこでプレスリーが「ずっとそうやって僕を見てるだけなら僕はもう寝るよ?せっかく演奏ができると思って待ってたのに」と声をかけた。
慌てて4人は挨拶し、即興演奏が始まった。
プレスリーはベースを演奏し、レノンとジョージはギター、マッカートニーはピアノを演奏した。
リンゴはドラムキットが無かったため演奏しておらずビリヤードやサッカーを楽しんでいたという。

この会見はここまではとても友好的に進んでいました。

プレスリーは彼らの曲も歌い、そのあとで
「君たちのレコードは全部持ってるよ」と言った。
これに対してレノンは「僕はあなたのレコードは1枚も持ってないけどね」と発言。
その場が凍りついた。
これはレノンの若気の至りとも、過激なジョークだったとも言われるが、
プレスリーはその発言に気分を害してしまった。

そしてその会見に実際に立ち会ったという記者のクリス・ハッチンスによれば、
レノンはさらに当時アメリカ軍による関与が拡大を続けていたベトナム戦争にプレスリーが賛同する姿勢と、プレスリーのマンネリ気味であった映画を痛烈に批判した。

要するにジョンは、当時のプレスリーの活動を痛烈批判。

Yesterday.Elvis Presley.The Beatles Hit.

※めちゃめちゃ歌がうまい。

Yesterday.(With Spoken Word Intro)/Live From Studio 50,NewYork City/1965.

こちらは本家ビートルズのライブでの"Yesterday"ポール・マッカートニーのリードボーカル。

これらの事がきっかけでジョンを嫌うようになったプレスリーは(事実上)
マッカートニーやジョージが作曲した曲はコンサートで頻繁に取り上げているが、レノンの曲は歌っていない。

レノンはこの発言を反省したためか後日エルヴィスの取り巻きに
「エルヴィスがいなければ今の自分は居ない」と伝えるよう頼んだという。

Give Peace A Chance.John Lennon-Plastic Ono Band.

しかしプレスリーはレノンがアメリカに住むようになり、ベトナム反戦運動を積極的に行った頃、ニクソン大統領に「ジョンを追放してほしい」と手紙を出したとも言われている。

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エルヴィスとニクソン

この様に、レノンの発言と態度が場の雰囲気を壊したことで、この会見はとても成功したとは言えないものであった。

The Beatles talking about meeting Elvis.

ビートルズ・アンソロジーより。


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