見出し画像

『エミール』の魔力

 久しぶりの更新です。すっかりさぼっていた・・・のではなくて、ルソーについて記事にするために、勉強をかさねていました(言い訳です)。

 さて、前回までに書いた記事を振り返ってみると、以下のようになっています。


・『学問芸術論』読解(全2回)

・『人間不平等起源論』読解(全4回)

・『社会契約論』読解(全17回)

・「ルソーde時事を読む」シリーズ(全7回)

・『エミール』の魅力紹介(1回)


 個人的には『社会契約論』読解の記事は面白く書けたと感じています。『社会契約論』は、ルソーの主著と言われながらも、抽象度の高さからなのかあまり実際に読んだことがあるという人を見かけない本ですから、僭越ながらその入口を提供できたのではと考えています。

 さて、今回は前回に続いて『エミール』の魅力紹介を、しかし前回とは少し違った視点からしてみようと思います。なお、前回の『エミール』紹介記事でも断った通り『エミール』は内容を解説するにはやや適さないスタイルの書籍(だと私は考えています)ので、あくまで今回も「『エミール』を読んでみようかな」と思っていただくきっかけになれば良いかな、というつもりで書こうと思います。


ルソーという衝撃

 ルソーが与えた影響についてはいろいろな研究がありますから、もしかしたらすでにある程度ご存じの方もおられるかもしれません。特にカントは有名で、『エミール』を読むのに没頭するあまり日課であった散歩の時間を忘れたという逸話が言い伝えられています。

 今回はそんなカントの有名な言葉を紹介しながら、『エミール』の魅力に迫ります。


カントの告白

私自身は一個の学究である。私は知識への激しい渇望と、もっと知識を広げたいという貪欲な不安と、さらにまた知識を獲得するたびごとの満足とを感じる。これだけが人類の名誉となりうる、とかつて私の信じていた時期があった。そして私は無知である下層民を軽蔑した。ルソーが私の誤りを正してくれた。目の眩んだこの優越感は消滅し、私は人間を尊敬することを学ぶ。そしてもしこの考えが他のすべての人々に価値を認めて、人間性の権利を回復しうるものであることを、私が信じないとするならば、私は自分を普通の労働者よりも無用のものとみなすであろう。(『アカデミー版カント全集』XX, p.44より)

これはあまりにも有名な箇所なので、おそらく先ほどの散歩のエピソードをご存知の方はこの言葉も既視だったかもしれません。

 では、次の言葉はどうでしょう。

ニュートンは、彼以前には無秩序と乱雑な多様しか見出されなかったところに、初めて秩序と規則正しさが偉大な単純さと結合しているのを認めた。それ以来彗星は幾何学的軌道を走っている。ルソーは初めて人間の仮装した多様な姿の中に、深く隠れた人間本性と内密の法則とを発見した。ルソーの観察のおかげでこの法則に従って摂理は正しさを認められる。・・・ニュートンとルソーによって神は正しさを認められた。(『アカデミー版カント全集』XX, p.58より)

自然法則の発見者がニュートンだと言うなら、道徳法則の発見者はルソーでしかあり得ないだろう、とカントは自身の思想を振り返って語るのです。

 人間の尊厳や道徳の可能性をカントに確信させた人、その人こそまさにルソーだったのであり、その本こそまさに『エミール』だったのです。


次回予告


 次回の記事では、ルソーの交友関係について話をしてみようと思います。なぜこのようなテーマにしようと思ったか、どんなことが語られるのかは次回の記事のお楽しみ・・・。乞うご期待!

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?