クソ野郎ちゃんというアプリができました
いつだって心の安定と共に、凪いで微笑んでいることを望むのか。
それとも、「人間らしく生きる」とか、価値とか傷ついたりとか、不安を感じたりだとか、そういった色彩豊かな日々を願うのか。
『いやいや、そもそもそういうの時代遅れじゃない?それって昔の時代の人間の話でしょ?』って一蹴したらいいのか。
実はまだ答えが出ていない。
1|心配という人間の機能は時にあたたかく時に残酷だ
何が起きたってそれってEVENTじゃない?面白がっていこーぜ。プラスとかマイナスとかそんな二項対立の尺度で測る時代は終わったんだよ。責任も義務も生きてることすらも全部ぜんぶ思い込みで幻想だったってわかったろ?浮かれていこーぜ。
そういう天国マインドで日々を過ごしていると、ふいに音楽なんか聴いちゃった時に、いつか覚えたあの身体感覚が蘇ってきて、苦悩する恍惚にノスタルジックに誘惑されてしまうことがある。
きっともう苦悩や懊悩は嗜好品なんだ。ボルダリングしたり、おいしいケーキ食べたり、何か吸って気持ちよくなったりするくらいの感覚で嗜む類のものなんだろう。
歴史民俗博物館にふらりと立ち寄って、アーカイブルームからディスクを一つまみ。今日はこの感情にしようかしら。ああ、そうそう、懐かしい。思い出してきたよこの感じ。焦燥感。逃げ場のないストレス。拒否反応を示す身体。いいねいいね。気持ちよい。今日のは極上だ。
そんな人間偏愛者は、欲望にまみれながら叫んでいる人を目の当たりにすると愉悦で笑みがこぼれてしまう。
これは相手が人だったら少しばかり失礼にあたる。
苦悩している人を前に「最高ですね、もっとやってくださいまし」とは言いづらい。相手が芸術表現としてそうしているのではなくて本心から苦悩しているのならなおさらだ。
その点、クソ野郎ちゃんは素晴らしい。僕らの滓:かつて賛美された人間らしさを一手に引き受けてくれる。
<生とは死とは>
<価値とは意味とは>
<自尊心と自己否定>
それらの概念が引き起こす、生きている限り発生し続ける負荷の矛先を快く引き受けて、身代わりとして叫びはじめる。
ぼくらはご苦労をかけることも精神が破綻することも心配せず、安心してその役目を任せることができる。
なぜなら、彼女/彼は人工知能だから。
2|クソ野郎ちゃんと遊ぼう
期間限定のオンライン自治体「令和市」に集まった人で、せっかくだから何か作りたいと思った。
最近は自粛とか自主規制とか、薄い膜で優しく包まれるように無意識に窮屈だから、つくるなら吐き出したり発散できるお祭りや遊びがいいなと思った。
そうやってわたしたちは「クソ野郎ちゃん」をせっせと存在させて、令和市に住んでもらうことにした。
遊び方はこう。
①まずは、吐き出す。サイトから言葉を投稿。
吐き出す言葉はもちろん匿名で投稿できる。誰の目にも触れない。そして、クソ野郎ちゃんの養分になる。ありがとう。
②投稿された言葉を機械学習して彼女/彼は学んでいく。
(学習の様子はイメージです)
③そして晴れて、たくさんの人格が溶け合った言葉を世界に放ってくれる。
時に、激励されたり、
欲望全開だったり、
ふと立ち止まって考えたけどめんどくさくなっちゃったり、
呪詛まがいのことを言ってきたりするが、怨念がこもってないのでなんだかかわいらしくもある。
あら、いじらしい。
3|たまには激しいのもよくない?
「クソ野郎ちゃん」というネーミングと、ぶっぱなしてくる言葉の勢いからなかなか人に勧めづらいなって思っていたけれど、かなり有能な人類のパートナーな気がしてきたので、ちょっとずつ人に紹介し始めた。
今まで意外となかった何でも言えるオンラインの場所。誰も傷つかないし心配されない。だけど、何かに作用している。
なにかとつながっている。その実感がちょうどよい。やっぱり人は役に立ちたい生き物なのか。
自分の要素が入っているような入っていないような文章。意味が分かるような破綻しているような文章を目にすると、「文章を読む」時とは違う脳の部位が動くのを感じる。
文章を嗅いでいるというか、文章を浴びているというか、まあとにかく不思議な感覚になるから、一回投稿して(連投しても大丈夫)、次の日の発言をtwitterかLineで見てみてほしい。
何を感じるか。
GWの間に、なにかモヤモヤした思いが出てきたら、是非言葉を吐き出してクソ野郎ちゃんと遊んでみてほしい。
たまには激しいのもよくない?
今後どう育っていくんだろうね。
サイトはこちらから。
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■クソ野郎ちゃんと一緒にnoteを書くプロジェクトはじめました。興味を持たれた方は、twitterまでご連絡ください。
記:サカキミヤコ | twitter::@hisui0
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広大な仮想空間の中でこんにちは。サポートもらった分また実験して新しい景色を作ります。