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大学生警備員の小砂6:自分と社会を客観的に捉えてみる

ここの話は私が20歳の頃のしょうもない経験と考えたことを元に回想し、解釈しているだけで、必ずしも正しい知識ではないことが含まれていることをあらかじめおことわりしておきます。
1992年、夏。私は朝の新聞配達以外は「引きこもり」のような生活から少し歩みだし、20歳の時に江東区にある高層ビルで警備員のアルバイトになりました。夜間のアルバイトです。そして、夜勤の警備員アルバイトをしながら、21歳の時に大学生になりました。

さて、Mr. アベレージになるためには、自分の主観を頼り過ぎてはいけないと思いました。つまり、自分の考えや行動のピントがずれていたから、違う選択をしてしまったのかもしれません。そこで、なるべく自分の置かれた状態を客観的に捉えることにしました。

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私は1971年生まれの団塊ジュニアのはしり世代にあります。そういった社会の器の中に入れられて育ったならば、私の考えや行動にもバイアスが強くかかっているはず。それを知っておくことはやはり役に立つだろうと思いました。

私が生まれた1970年代のヨーロッパ経済は結構やばくなっていました。例えば、オランダなども、今ではワークシェアリングやらワークライブバランスやらでいけている働き方の先頭集団を走っていますが、当時は「男性の方働き」では家計が苦しくなっていたわけで、その結果としていろいろな試行錯誤で女性が働きやすい社会づくりが進んだのだと考えられます。

「ヨーロッパはそういったところでも先進的ね」と思われがちですが、中世の世界観が残り、「補完性原理」が働いている社会では、けっこう保守的なところもあるようです。フランスでは、私が生まれる6年前の1965年まで「妻が賃金をもらって労働するのに夫の許可が必要」で、さらに「働いたお金を貯金するための妻名義の預金通帳を持つにも夫の許可が必要」だったそうですよ。

さて、私が生まれた1970年代の日本に目を移しましょう。ヨーロッパは経済不況だった時期に、日本は人口ボーナス期にありました。つまり、働いている人の数が養われる人の人数よりも多かった時代です。

そして、会社は製品をつくれば売れた。ヨーロッパが弱っている時に稼ぐぞの時代でしょうか。とにかく、儲けるためには生産ラインをなるべく止めずに動かし続ける必要があります。

もし、あなたがその時代の経営者だったらどうしますか。どのような労働者が欲しいでしょうか。なるべく長時間働かせられる労働者でしょうか。ライフイベント(出産、育児、介護、地域活動・・・)に時間を費やすことなく、働き続け、技術を蓄積した熟練労働者を雇いますか。時は昭和、作れば売れる時代の話です。

本当はこんな働き方や生活が長期的にできる労働者はいないのかもしれません。しかし、それでもごり押ししようと考えれば、そんなことが「可能そうに見えた」のは「男性」だったのでしょうね。人間のライフを考えれば、当然ながら労働時間のほかに生活時間や地域活動の時間が必要です。そこで、それを埋め合わせるために考案?されたのが「専業主婦」かもしれません。

「長時間労働できる労働者」から「生活時間」や「地域活動の時間」を奪い取り、その時間を「労働時間」に充てさせる。

そうなると、次世代社会や地域社会は立ち行かなくなる。

先ほどとは逆に、専業主婦から会社での「労働時間」を奪い、「長時間労働できる労働者」の「生活時間」や「地域活動の時間」を充てさせる。

するとですね、「個人」ベースで考えれば「そんなむちゃな」という生活が「世帯」単位でみると何か辻褄が合って出来てしまいそうな気持になる。そりゃ行政の資料に「世帯」を基準にした統計やらが多いはずですね。

おそらくですよ。「専業主婦」というのはこの高度成長期の期間限定のものだったのではないかと思うのです。たしか、何かの週刊誌で作り、広がった言葉ではなかったでしょうか。専業主婦的な暮らしをしていた人はそれまでもいたはずです。しかし、その家庭は普通の労働者の家と言うよりは、かなり裕福な家庭やそういった地位の人たちの優雅な暮らしなのではないかと思います。期間限定物をいつまでも続けてしまったことが間違いなのかもしれません。

さて、「金の卵」という言葉も昔の話になりました。若い人は知らないかもしれません。農村(地方)の余剰労働者を都市部の労働力にする集団就職の時代がありました(今も、集団就職はないですが、この構造は残ってしまっているので地方の人口は減ってしまいます)。北から南の地方から都市に移動した若い男女が都市で結婚し「核家族」をつくります。新しく建設させる団地には夫婦と子供の「2LDK」が作られ、家族のモデルとなりました。ここには、地方ではごく一般的に見られた拡大家族や親せきの人間関係は都市部ではあまりないかもしれません。

先ほどの長時間労働の労働者像を考えてみましょう。「そんなむちゃな」という暮らしを補完する形で「専業主婦」が登場させた物語にも聞こえました。よくよく考えてみれば、体力のある企業の時代という条件を取り去ってしまえば、セーフティネットの脆弱さと「専業主婦」への大きすぎる負担が容易に想像できます

女性が仕事をすることは普通のことです。いや、もっと、いろいろな仕事や役割で女性が増えていく方が良いです。しかしですね、「男性」も「女性」も双方が「そんなむちゃな」な長時間労働とかをしたら、「生活時間」や「地域活動の時間」はどこへ行っちゃうのでしょうかね。シンプルに考えると、次のようなことを考えなくてはいけないでしょう。

①「長時間労働できる労働者」として働いていた男性を「適正な労働時間」に戻します。そして、生活時間や地域時間にかかわる権利を取り戻します。②女性も、男性も「適正な労働時間」で働きます。家事・育児・趣味・地域の時間と仕事のバランスをとれるようにします。

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高度経済成長期の初期の頃は、転職が多かったと聞きます。つまり、経験を積んだ熟練労働者を欲しがる会社は多かったのだと思います。しかし、そんなことが続くと、会社の技術が流出したり、熟練労働者を育成する気持ちも萎えるかもしれません。

あなたがこの時代の経営者だとしたらどうしますか。たぶんですよ。会社仲間みんなで「新卒一括採用」と「年功序列」と「終身雇用」を普及すればいいんじゃないと考える人もいると思います。

年功序列によって、「若いときには賃金を抑えて、熟練になるにつれて賃金が上がるんだぞ」と言われれば、「若いときに辞めたら損だぞ」と思わせらることができそうです。そして、終身雇用にすることで、労働の移動が減れば、会社の空きポストも少なくなるかもしれないし、「勤続年数」が出世や賃金に影響してくるようになると、ますます労働移動が難しくなるでしょう。こうなるとですね、途中で会社を退職した人は、次の会社への水平的あるいは上昇的移動は難しくなる。

この時代の経営者の勝利です。まんまとやられました。しかし、この延長でバブル迄走り続けた結果、パリで日本人が高級バッグを爆買いする時代に導かれたのかもしれません。

これも右肩上がりの成長時代ならまだよかったのでしょう。消費も「家族消費」の時代でした。「家族消費」というのは、例えば、ボーナスが出たら、家族会議をしてですね、冷蔵庫を新しくしようか、熱海に家族旅行に行こうか、自動車を買い替えようかというように家族が使うものを購入して嬉しかった時代です。

いまの日本は、経済成長を夢見ながらも、ほぼ経済成長を果たしていないわけで、すでに成熟社会になっているわけです。消費活動は「個人消費」の時代です。あの今は懐かしいバブルの頃には、「自分が稼いだお金は自分のために使う」という「個人消費」が爆裂していました。

「個人消費」のなかでも「アイデンティティ消費」です。地位財です。つまり、自分のアイデンティティを形成するためのブランド品、高級車、エステ、そして多分、「学歴」も。そして、個人消費を楽しめば、新しい家族を作って「家族消費」する家族を持つタイミングもどんどんずれ込んでいきます。

そして、日本社会では、働く人数が養われる人数より多かった人口ボーナス期は終わり、働く人の人数よりも養われる人の人数が多くなる「人口オーナス期」に変化していく。

さて、このように社会と自分を少し客観的に見ることで、自分の視点だけでなく、他の立場の視点を借りて自分が置かれた社会について考えるようになりました。

このように考えられるようになったきっかけの一つは、大学のゼミナールだと思います。ゼミのテーマは「高度経済成長期の教育」だったと記憶しています。先日、久しぶりに当時の指導教官とメッセージの交換をしました。昨年度末をもって定年退職されたそうです。外見もエネルギーも若々しいので、正直、定年は10年後でも良いのではないかと思うくらいでした。

こうして、22歳の私は、いろいろと自分の置かれた社会や自分を考えて、「初等教育課程」つまり、小学校教員養成課程に進みました。きっと私は、もう一度、家庭科や図画工作、体育科など幅広くの生活を見直し、考える必要があったと考えました。

もちろん、次世代を担う子供たちの教育というところに1番のプライオリティがあったことは確かでしょう。しかし、自分自身の足をもう一度地面に押し付けたいと思ったのも事実です。

教訓

自分の考えや行動のピントがずれていたから、アベレージとは違う選択をしてしまったのかもしれない。一度、なるべく自分の置かれた状態を客観的に捉えるために学問の力を借りてみる。


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