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おとこの子の大切なもの♪

今更、夏の思い出を書くのも気が引けるが、こどもの頃、夏休みの宿題に自由研究なるものがあった。自分が一体どんな自由研究をしたのか、今となっては全く覚えていないが、あれは中学一年生の夏休みのことだった。

小学校までは自由研究を一人でやっていたが、中学校に入ると共同研究も認めるということになった。数人が集まって共同研究してもよいということである。

不思議なのは、2年生や3年生になると、また自由研究はひとりでやることになった。ということは、単なる学校の思い付きだったのかもしれない(どうでもいいことだけれど)。

さて、そこでHくんがぼくとそのほかに2人を誘って、4人で夏休みの間共同研究をすることになった。Hくんは小学校からの同級生だったけれど、別段仲良かった覚えがない。というか、どちらかというとあまり仲がよくなかったほうだった。そのほかの二人は別の小学校から集まったので、特別というか、まったく親しくなかった。

今にして思えば、なぜこの4人が一緒に共同研究するようになったのか全く思い出せない。その後もまったく仲良くならなかったのだから、ほんとうにその場の思い付きだったのかもしれない(今となってはだれ一人親交もないのがその証拠だ)。

そんなこんなで不思議な共同研究が始まった。集合場所は決まってHくんの家だった。みんなが集まるのに一番近い距離に家があったからだ。

この話の流れから、さぞや凄い共同研究でもおこない、全国で表彰でもされたのかと推測する方もいらっしゃるかもしれないが、まったくそういうこともなく、いったい何の研究をしたのかも思い出せないくらいだ。実は、この話のキモは別なところにあった。それはHくんの部屋にあったもののこと。

Hくんの家にいくのは初めてのことだった。そりゃそうだ。まったく仲良くなかったのだから、家に行くこともなかったのだ。

Hくんの部屋に上がると、ベッドの脇になぜだか空き缶が並べられていた。

空き缶?

「なんでゴミがベッドの横に並べられているの?」とまず思った。

Hくんに尋ねるとそれはHくんのコレクションであることが分かった。

空き缶が?


その空き缶はコカ・コーラボトラーズのもので、コカ・コーラを筆頭にファンタオレンジ、ファンタグレープなどの空き缶が数種類整然と並んでいた。
「いったいなぜ、そんなものを集めているの?」と聞くと、楽しいからという答えが返ってきた。

空き缶が?


男の子というものは、どうにもくだらないものを集めたがるものらしい。



しかしながら、(Hくんとは違って)実際凄いコレクションを集めている方がいるのだなとおもうことがある。

そのコレクションは「北斎コレクション」として知られている。葛飾北斎研究の第一人者・永田生慈(1951-2018)さんが生涯をかけて集めた葛飾北斎の浮世絵2398点が島根県立美術館に寄贈された(2017年)。

島根県津和野町出身の浮世絵研究家、美術史家、美術評論家。小学3年生の頃に北斎の絵手本『画本早引』に魅せられ、10代半ばから北斎の作品を本格的に蒐集するようになります。北斎研究を志し、浮世絵研究者・楢崎宗重氏(1904-2001)を慕って立正大学へ進学。在学中の1972年から北斎専門研究誌『北斎研究』の発行、編集、執筆等に携わりました。1977年より浮世絵専門の太田記念美術館に勤務し、副館長兼学芸部長を務め(2008年退任)、その間の1990年、津和野町に自身のコレクションを中心とした葛飾北斎美術館を開館しました(2015年閉館)。北斎に関する数多くの論文・主著・編著を執筆し、国内外で多くの北斎展の監修を務めました(例:東武美術館ほか「大北斎展」[1993年]、グラン・パレ・ナショナル・ギャラリー「Hokusai(1760-1849)」2014-15年]など)。2016年、フランスの芸術文化勲章オフィシエを受章。2017年、所蔵するコレクション2,398件を島根県へ寄贈しました。2018年2月6日逝去(享年66歳)。

小学3年生の時から葛飾北斎に興味を持ったというのだから、筋金入りのコレクターである。10代の頃より、北斎の浮世絵を集めるようになったとあるので、ぼくやHくんとはお里が土台違っていたのであろう。おそらく給料はすべて浮世絵につぎ込まれたのではなかろうか(すいません、勝手な推測です)。

2019年に島根県立美術館で開館20周年を記念して、「葛飾北斎浮世絵・永田コレクションの全貌」という企画展が2019年2月 8日(金) から3月25日(月)にかけて開かれた。その際、出かけてみたのだけど、圧倒的な質と量に感動さえ覚えた。生涯をかけて、一つのものを集めるということはこういうことをいうのかと、ひたすら驚いたものだ。



出雲神話でコレクターといえば(出雲神話にコレクターなんているのか?)、大国主命であろう。

古代の地理誌「出雲国風土記」の大原郡神原郷の名前の由来に「大国主命の宝を積み置いた場所」だと記載されていた場所から、1996年10月に加茂岩倉遺跡の銅鐸39点が発見されている。少なくともこれ以上の宝が発見されない限り、大国主命の宝が加茂岩倉遺跡の銅鐸であったことは間違いないであろう。




その加茂岩倉遺跡の銅鐸群は持ち手のところに「×印」が刻まれていた。その「×印」は1984年に発見された神庭荒神谷遺跡の358本の銅剣にも多数刻まれていた。このことから加茂岩倉遺跡の銅鐸群と神庭荒神谷遺跡の銅剣群は同じ人々が使用していたのかもしれないといわれている。


ということはひょっとして加茂岩倉遺跡と神庭荒神谷遺跡の青銅器群は大国主命のコレクションといえるのかもしれない。そう考えると、とんでもない数のコレクションである。世界に誇ってもいいコレクションである。



最近、チェンソーマンにはまっているという記事を何回か書いた。

週刊少年ジャンプに「チェンソーマン」は掲載されていた(2019年1号~2021年2号)のだけど、ちょうどこどもがジャンプを購入していたので、最初から楽しませていただいた。

ジャンプは人気によって掲載順が決まるという恐ろしいシステムがある。だから人気がないとどんどん掲載順が下のほうに下がっていく。我らが「チェンソーマン」はカルト的な人気を誇り、順位に変動はあったものの、約2年間97話で堂々完結(全11巻)した(今は「ジャンプ+」というジャンプの公式漫画サイトで2部が始まっている)。

ちなみに「チェンソーマン」が巻頭カラーになったのは7回、センターカラーになったのは15回である。巻頭カラーとは名前の通り、ジャンプの一番最初に掲載されることを指している。センターカラーとは人気があったり、コミックが発売されたりするときにジャンプ中盤に位置するページに掲載されるときにカラーページが頭につくことを示している。

なんでそれがわかるのかというと、ぼくはその巻頭カラーページとセンターカラーページを集めているからである。えへんっ!

なんのために?

男の子というものは、どうにもくだらないものを集めたがるものらしい。

なんのために?


これを集めても何の価値もないのに、好きなものは集めてしまう。

なんのために?


Hくんの空き缶コレクション、今更ながらにバカにしてごめんと謝りたい気持ちでいっぱいになってきたな。




ちっ、くだらねー!!(by ヒトコトヌシ)



今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。  

よかったら加茂岩倉遺跡や神庭荒神谷遺跡の青銅器群も見にいらしてください。

この大国主命コレクションは、ほんとうに凄いですよ

お待ちしています ♪




こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。
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