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下地づくりは日常そのもの

こんにちは。外はまだまだ日差しも暑く夏日なのですが暦の上では「処暑」になり、ギラギラ太陽のような獅子座の友人たちのお誕生日シーズンも終わり、少し落ち着いた乙女座の友人たちのお誕生日シーズンに突入した模様。なんだかんだ、一夏って本当に短いですね。歳を重ねる毎に夏の終わりの切なさが増しています。

さて、今日はこちらのお碗修繕中に得た大きな気づきについて書こうと思います。

派手に破損したお碗ですが、欠損したパーツを漆のパテ(錆漆)で埋めていっているところです。金継ぎされた器の金の下は98%がこの漆パテによる下地で出来ています。そして、この下地は一気に埋めてしまうと中まで固まらないので数回に渡って、埋めては表面をサンドペーパーで研いで、固めて埋めて研いで。。をひたすら繰り返すのですね。

その繰り返しは、やってもやっても終わらない…と途方に暮れることもありますし、写真を見ての通り、黒いしボロボロしているし地味な下地です。
でも、この段階でも頭の中では金を蒔いて仕上がったところが完璧に想像出来ているので、その頭の中の理想の姿を目指して、ひたすら手を動かし目の前の作業を繰り返しています。

今朝もそんなふうに、前回パテで埋めて固めたところを研いで表面を整えて、という作業をしていたのですが、ふと、「この繰り返しの地味な作業は、日々の暮らしや習慣、地味な日常そのものなのではなかろうか」と思えたのですね。

というのも、私には長年夢見る「理想の暮らし(在り方)」がありまして。それを叶えるために東京でのアパレルの会社務めを辞めて、金継ぎに出会い、今に至ります。ここまで15年かかりました。途方もなく長かったけど、まだまだ「理想」には到達出来ておらず、気が遠くなることがよくあります。

でも、バラバラに割れた器が、地味な作業を繰り返し繕うことで新しく美しい姿になるように、今こうやって日々繰り返している日常の全てが、描いている理想の姿形を作っているはずだと思うと、まだまだ諦めないし、日常が送れることにも感謝だし、ゆっくりやって行こう、と思うことが出来ました。そして、その過程こそ人生なのかもしれないなぁ、とも。

金継ぎ先生〜と言いたくなるくらい、「金継ぎ」は、人生において大事なことを教えてくれたり、時に慰めてくれたり、私にとって本当にありがたい存在です。

という、今日はそんなお話でした。長々と読んで頂き、どうもありがとうございました。拙い文章でうまく伝わっているか不安もありますが、フォローやいいね!も嬉しいです、どうもありがとうございます。

金継ぎのご依頼、レッスンにつきましてはホームページをご覧下さい。ご連絡お待ちしております◯ 






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