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おとなとこども

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「おとなとこども」ってどういう関係性なんだろう。人間対人間でもあるけれどやっぱりおとなとこどもでもある。自分と母の記憶・自分と娘とのやりとり・編集者として子どものものを作りながら… もっと読む
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【おとなとこども3】寺村輝夫先生の「童話の書き方」がめちゃくちゃ良かった……

【おとなとこども3】寺村輝夫先生の「童話の書き方」がめちゃくちゃ良かった……

おはなしを書きたいなあという気持ちは小学生の頃から持っていて
ちょっとしたきっかけがあったので、書いてみたのです。
小学3・4年生くらい向けのお話。
生まれてはじめて物語をちゃんと書ききることができた達成感に酔いしれて(1万5000字書き上げた爽快感!)そこそこ満足していたのだけど
やっぱりリライトしないとな、と思って、読み返してみたんです。

そしたら、そしたら

本当に、くそつまんなくて びっ

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おとなとこども2 人生ではじめて本を読んで泣いた日の話

おとなとこども2 人生ではじめて本を読んで泣いた日の話

 「おとなとこども」が「対等」であることはどんな意味があるのだろう。対等とは、フェアである代わりにときに残酷。前回の記事で「残酷」にスポットをあてた母とわたしのエピソードを書いた。

 こどもの頃のわたしにはそれを俯瞰的に見て「残酷だ」と思うことはできず、そこにどんな意味があるかもわからず、ただびっくりした体験として存在しているだけ。おとなになり、振り返ってはじめて、それぞれの記憶がどんなふうにわ

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おとなとこども1 母の作った残酷なシロツメクサの冠の話

おとなとこども1 母の作った残酷なシロツメクサの冠の話

わたしはいつから「おとな」になったのだろう。
娘が3歳になり、人間らしいやりとりができるようになって「おとなとこども」という関係性を意識することが増えた。
娘とわたしは、人間対人間でもある。でもやっぱりおとなとこどもでもある。その間でいつも揺れている。

「おとなとこども」とはいったいどういう関係なのだろう。
そんなテーマで日々考えていることや思い出したことをたまに書いてみようと思う。

その1つ

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