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盲目の作家は心が折れ一度は挫折したが手術後に星が見えるようになって再起した話
夜空の星を見るのが好きでした。
そんな恥ずかしい事を言う男のノンフィクションのお話です。
私はある日、〈白内障はくないしょう〉という目の病にかかり、目の中にある〈水晶体すいしょうたい〉という目に入る光を調節し、ピントを合わせる機能を持つ部分が白く濁っていくという症状で、目がだんだんと見えなくなっていきました。
当時私は、眼科病院でその診斷結果を教えられた際、症状が軽く特に生活には問題ありませんでした。
物も普通に見えていたし、当時からメガネをかけていて視力は良くもありませんでしたが、別段見えなくて悪くて困るという程でもありませんでした。
なので、特に騒ぎ立てることもなく、いつも通り毎日仕事をして、本を読んだり、小説を書いたり、当時ハマっていたオンラインゲームのドラクエ10を全職業レベルカンストするまでやり込んだりと遊んで暮らしていました。
そうこうしている内、夜遅くの事です。
当時IT関連の仕事をしていましたが、ご多分にもれず仕事が増えると帰れません。
残業で帰るのが遅くなって、深夜に車の運転をしていて帰っていたら対向車のフロントライトがやたら眩まぶしくて周りが見えないという症状が出ていました。
最初は「ライトが眩まぶしいのは当たり前だし、深夜だし、疲れてるしな」程度にしか思っていませんでした。
ところが、朝日も眩まぶしくて辛い気がするし、夜帰ってきて付ける蛍光灯の明かりも以前より眩まぶしい気がしてきました。
そう、病魔は静かにあきらかに進行していたのです。
それでも自分は、そんなを深刻な問題とは受け取らず日々を過ごしていました。
今思えば、もっと早い段階て手を打てば、もしかしたらまた未来は変わっていたのかもしれません。
過去の失敗を悔やみ続けても仕方ないのですが。
仕事は順調でした。
そこそこの給料をもらい、休日の冬はスノーボードへ行って遊び、夏は友人と海へ行くような割と多趣味で当時からいろんな事に手を出していく、アクティブな性格でした。
そんな折、好きな女性ができ結婚も考えました。
その後、仕事が忙しくなり、少ない時間でも趣味が大好きで女より趣味を優先したりするようなダメな男でした。
行動力があり、友人も「お前といると面白いことがあるかもしれないから」と人が集まってきました。
自分のやりたいことに付き合わせているだけで別に友人たちの考えに寄り添ってはいませんでした。
だから、本当は〈友人〉では無かったかもしれません。
相手にとっては利害が一致しただけなのですから。
しかし、簡単には性格は変えられません。
そんな男に女はついてくる訳もなく、女性にはもちろん〈余裕〉でふられました。
当然周りには「ざまぁみろ」と思われますし、言われます。
自己中で自己顕示欲の強い自信家だったのです。
それだけにダメージは絶大でした。
全部自分が悪いのに――
あれから――
女にふられた事と、仕事が忙しすぎてキツくなった事を言い訳に「何かまったく別のことやろう」と、地方都市から東京に移り住むことにしました。
仕事もやめて、とりあえず受けた東京でやっていた芸能オーディションに合格。
オーディションと言っても、ある程度の人間なら簡単に採用される出来高制タレント登録型の事務所でした。
舞台役者として練習に励んでみたり、ドラマやテレビCMのエキストラとして出演してみたり、その時は全てが新鮮で楽しく今思い返しても無駄ではなかったように思います。
時代劇にでてみたりしてやられ役として斬られてみたり、推理探偵もののドラマで背後でチョイ役なのに目立ちすぎて怒られたり。
このネタだけで一冊本が書けますが、それはまたの機会という事で。
売れてない役者とか、芸能の仕事一本ではもちろん食べていけないのでアルバイトもしました。
むしろ、アルバイトの方もバリバリ働きました。
この頃、とにかく色々な経験ができました。
勉強して少しは知恵が付きましたが、今も考え方はそんなには変わっていません。
多趣味でいろんな事に手を出して。
勉強して賢くなったつもりで。
小説を書いたり、絵を描いたりして。
Twitterで創作物をアップしては“いいね”を貰って悦に浸る残念な奴のままです。
自信家なのでそれなりに努力はしました。
筋トレしてバリバリ腹筋割ってみたり、本を読み漁って博識を気取ってみたり。
それなりに楽しい日々でした。
そんな折、本の字が妙に読みづらいことに気づきました。
そのあたりから、日毎にあらゆる光が目の中で乱反射して眩しくて物が見えなくなり、大好きだった小説も読めなくなってきました。
ついには白内障はくないしょうの病状悪化による視力の低下による仕事にも支障が出だして、ミスや失敗も増えました。
上司に怒られて凹んでいる私の前に先日買った、大好きなラノベが転がっていたので手に取りました。
本を開いて、まったく内容が読めない事に落胆した私は――
壁に向かって本を投げつけ頭を抱えました。
「畜生!」
仕事意外で喋ることの無くなっていた私が部屋で発したのは絶望の叫びでした。
この頃、自己中を突っ走っていた私は友人も少なく、付き合いも浅かったのでいわゆる「ボッチ」でした。
合コンでもモテていた昔の栄華は失われて、伸びた鼻も折れ、この当時まで必死で書いていた小説もたいして人気は出ませんでした。
現実の眩しさとは正反対に私の未来は闇に包まれたのです。
一瞬もう、「死のうか」とも考えましたが、それはほんの一瞬で、私にはそんな勇気もありませんでした。
すっかり目に輝きを失った、残念な男が出来上がっていました。
自らを命を断つ事さえ怖い自分に嫌気がさしていましたが、持ち前の根拠のないプライドでどうにか周りには体裁を保ち続けました。
この頃、勢いと気合と根性でやっていた私の仕事は細々と丁寧に無難にこなすスタイルに変わっていきます。
それから、見えないなりに工夫してどうにか生きようとしました。
虫眼鏡とかメガネ型のルーペを買ってきてなんとか字を認識して色々調べました。
読者の皆さんにも突っ込まれそうですが、なんで早く眼科病院に行かないのかと。
ある程度は知っていたのです。
病院で手術すれば白内障はくないしょうは治療できることを。
ですが、目を手術するというのは正直避けたかった。
完璧に元通りになるわけでもなく、お金もかかり、失敗すればさらなる絶望が待っている。
そんな、馬鹿で尻込みしている私に次なる逆境が訪れます。
新たなる目の病状「網膜剥離もうまくはくり」です。
目の網膜と呼ばれる光を受け止め脳に伝達する部位が剥離はくり、つまり剥がれて取れました。
これはもう、眩しいとか、みずらいとかいうレベルではなく、完全に闇です。
普通、目を瞑つむってもまぶたからの外から光を感じ取ったりすると思うのですが、この病状が発病してからはそもそも目に光が入らないので全く何も見えません。
その症状が私の左目に現れました。
もう、こうなると悠長な事は言ってられません。
さすがに病院で診断してもらい、即、手術する事になりました。
両目同時にやると大変なので片目ずつ別の日に手術します。
この前後で白内障はくないしょうの治療含め合計3回、レーザーによる切開をしない手術治療含めると5回は手術をしています。
グロい表現で申し訳ないのですが、手術の際、目玉を取り出して切って縫ってするんです。
麻酔は部分麻酔で意識はあるし、右目が半端に見えているものですから見た目的にも、体感的にも、それはもう壮絶な苦しみです。
手術中は発狂しそうでしたが、一言も苦しみを訴える言葉を口にせず、我ながらよく耐えたと思うのです。
一番大きな手術で2時間位でしたが何とか無事成功しました。
終わっても入院の必要はなく日帰りでした。
帰り際、看護士さんが悪気は無いと思うのですが、こんな事を言いました。
「あの、家族とか、お付き添いの方は……」
「いません。一人で帰れますから……」
病院を出た後、包帯でぐるぐる巻きの目頭を抑え、泣きながら帰りました。
目の周り包帯で斜めに巻かれて片目だけ出してコスプレみたいな格好で。
しかも、涙我慢できずにボロボロ泣きながらどこかへ向かう男。
恥ずかしかった。
孤独でした。
この時ほど、彼女を作っておかなかった事を後悔した事はありません。
これを書いている今もいませんが――
――それから。
病気を克服した私は空を見上げ星が見えることに感動しました。
そして、私は以前のように小説も絵も書けるようになりました。
少しだけ謙虚さを身に着けましたが、今も基本自己中のままです。
自己顕示欲の高い人達が集うであろう作家の多いこの場にあっても、未だに私のその傲慢さはぬけきらず、あいもかわらずこうして筆を取り宣伝してゆく次第です。
Twitterのフォロワーも、もうすぐ1万5千人に到達しそうです。
やれる事は全部試していきます。
見苦しくとも、たとえ他人に嘲笑されようとも。
それが、見えない星に願った結果なのだから。
※以前webサイト『小説家になろう』に投稿したものと同じ内容です。同一人物で無断転載ではありません。念の為記載。
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