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もしもスイミーが赤色だったら

誰しもが子供の頃に一度は読んだであろう絵本、レオ・レオ二の『スイミー』小学校の教科書にも載っており、国民的人気絵本であるのはもとより、世界中の子供達に愛されている不朽の名作。

~『Leo Leoni's Friends』公式サイト~

スイミーは2年生の国語の教科書に採用されている。私はこの絵も話も大好きだった。授業中先生の話は半分位しか耳に入らず、いつも自分が好きな絵のページだけを開き、スイミーと共に海の中を泳ぎ回った気分になり、幻想的な世界をうっとりと眺めていた。

ある日、授業の終盤にさしかかり、先生が生徒達に問いかけた。

「作者が、このお話の中で、伝えたかったことは何でしょうか?」

つまり主題を問われている。次々に手が上がった。皆が口々に言った。

「みんなで大きな魚を追い出したのだから、みんなで力を合わせることが大事なんだと思います」

確かにそれも一つだと思った。でも幼い私は何か釈然としなかった(授業ろくに聞いてなかったくせに)。子供の頃、あまり積極的に自分の意見を言う方ではなかったのだが、このときは珍しく手を挙げた。

「スイミーだけが黒かったから、目になれたことだと思います」 

そのとき、先生は私の意見も黒板に書いてくれた。だけど話をまとめると、どうやら大切なのはやはり前者の意見だった。クラスの意見をまとめ、先生が赤いチョークで大きく囲んだ。 ”仲間と協力することの大切さ”

その日、家に帰っても私はわだかまりが残っていた。母にその日の授業での出来事を話した。私の母も、他校で小学校の国語教師をしていた。

「うーん、そうやね…学校の授業には決まったカリキュラムや進め方というものがある。教師の立場で言えば、教科書通りの答えを教えなくてはいけないときがある。だけど…親の立場で言えば、あなたが文章や絵画や作品に触れる時に…何を思うか何を考えるか、それは全くもってあなたの中で自由。それで良いのでは。」

そうか、そういうものなのか。幼いながら私は一つ何かを諦めたような、一つ何かを悟ったような気がした。後日のテストでは授業での板書の通りに、百点満点の答えを書いた。

・・・

あれから30年近くが経った。私も大人になり親になり、長男はあの頃の自分と同い年くらいになった。だけど私は今も反芻している。仲間と協力することの大切さ…それだけが本当に作者の主張なのか。ならばスイミーは黒色である必要はあったのか?もしも仲間と同じ赤色だったら、どうだっただろう?例えば大きな魚を追い出すため、持ち場を決める相談のシーン。

ー「ぼくが、めになろう」

あの名台詞&名場面どうするんや。全員同じ色やぞ。

ー「だれがどこでもいいから、順番につめてならんどこ」

そんなんあるかい。あの日の私の感動を返せ。

もしもスイミーが赤色だったら、そこに展開も感動も無い。やはりスイミーは黒色でなくてはいけないのだ。周りと違う色だったからこそ担える役割があり、その上で協力し合ったからこそ成し遂げた偉業があったのだ。

・・・

世界的危機の今、ウイルスの収束に国民全体ひいては地球全体で、感染予防に協力しあい、不要不急の外出は『自粛』しなくてはいけない。それは至極当然だと思う。主婦で三児の母である私も、ほぼ毎日家にこもりきりで、家事育児に奮闘し、その合間にこの文章を書いている。

ただ、自分らしく在ることには、『萎縮』したくない。

自分の好きなもの、得意なこと…お気に入りの時間や場所…自分らしいと思える瞬間…こんな状況の中でも、一日のどこかでそれらを少しでも感じて楽しみたい。それはときに自分の指標のような、聖域のような存在として、私たちに前を向かせることがあるから。いつかきっと、この風向きが変わったときに、力をくれることがあるから。

だから今はただ、あなたにも、あなたらしく在ってほしい。

今は狭く限られた部屋の中でも、永遠に続くような日々の中でも。

あなただからこそ出来る事が、再びあなたを待っているはず。

一冊の絵本から、大袈裟でしょうか。でも。そう思いませんか?


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