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東浦路を歩く 〜熱海ー伊東編〜

伊豆半島をぐるりと一周する最古の巡礼路。ひょんなご縁からこの巡礼路を復活させるプロジェクトが2021年6月からはじまった。

インターネットで検索してもほぼ出てこない伊豆古道を歩く巡礼路。熱海を起点に霊的には富士山までと続く道。日本神話よりも以前から土着していた火山信仰や、黒潮に乗ってやってきた海神族の信仰に出会ったり…次第に古地図や古文書、先人による古道の調査書などが集まってきた。

机上調査をはじめ2ヶ月、座学だけでは何も始まらない。まずは現状を知るために、歩いてみよう。その取っ掛かりは、一番多くの情報に出会えた東海岸の古道「東浦路(ひがしうらじ)」

伊豆新聞連載から平成16年(2004)書籍化された「伊豆東浦路の下田街道」と、平成22年(2010)「伊豆東浦路調査報告書」を基底にして、頭で考えるよりも、まずは自らが体験すること。読図をしてGPS地図にピンを打ち、歩きはじめることにした。

伊豆山神社 ー 熱海市街

①伊豆山ー熱海市街

2021年10月20日。8時前 熱海駅に到着。快晴。今日の最高気温は27℃。絶好のハイキング日和だ。

今夜は満月。ネイティブ・アメリカンの間では、狩猟を意味する「ハンターズムーン」と呼ばれているそう。未来のどこかでふと後ろを振り返ったとき「思えば、あの時から状況が大きく変わったな」としみじみ思い出すのは、この満月の日だという。そんなお月様の恩恵を授かり、今日は巡礼路の出発地・伊豆山から歩く。

熱海駅から伊豆山神社までは徒歩で約30分。車で行けば5分程度なので、今日の長い道のりを考えて体力温存。スタート地点まではタクシーを利用した。

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スタート地点は、日本三大古泉の一つである走り湯。世界的にも珍しい横穴式源泉だ。2021年6月12日、はじめて歩いた走り湯から伊豆山本宮社まで歩き、2021年8月、富士山 村山古道を踏破した。いよいよ伊豆辺路(いずへじ)を歩き始める。

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タクシーを降りたのは、2021年7月に発生した土石流を被災した伊豆山・浜地区。3ヶ月経過した10月現在、国道こそは通行出来るようになったが、その爪痕は今も尚、生々しく残ってる。

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国道から参道を降りて走り湯へ向かう。視界がひらけた場所に差し掛かった頃、道にはトラロープが張られ、通行止めとなっていた。(2021年10月時)

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再び国道まで戻り、伊豆山神社の参道入口へ。伊豆山浜から本殿までは837段の階段を登る。やや健脚向けの神社だ。

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災害以降、通行止めだった本殿前の市道・伊豆山神社線は、10月11日から通行止めが解除されたそう。道は狭い上に、バス路線で通行量が多く、いわゆる地元の抜け道となっている。この道こそ、伊豆古道・東浦路だ。鳥居前のカーブは見通しが悪いので、歩く際はくれぐれも車に気をつけること。

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参道入り口の道祖神を見つけたらいよいよスタート。300m程歩くと早々に土砂災害エリアが目に飛び込んできた。絶句してしまう程、一面に広がる災害の爪痕。果たして本当に復旧できるのか?そんな疑問すら持ってしまう光景に驚きを隠せない。

被災された方々の生活が1日も早く平穏に戻り、一刻も早く復興される事を切にお祈りします。

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東浦路は般若院を越えて、緩やかな下り坂が続きます。この辺りの広い谷あいの集落が、かつての栄華を極めた伊豆山権現の中心部。明治維新以降の廃仏毀釈により仏の部分は破壊され、神社が残ったのだけれど伝統的には伊豆権現または走湯権現と呼ばれています。

今でもこの集落に入れば、伊豆権現にまつわる多くの名残りを見出すことができるそうです。

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MOA美術館を越えて道なりに下ると、やがて熱海市街が見えてきました。線路沿い左の細道を下ります。

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東海道新幹線の下を通るガードで線路を横断し、続けてJR線のガードを潜った先の道を右折します。

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熱海駅前の通りに抜けました。熱海駅は首都圏から伊豆半島への玄関口として圧倒的な交通の利便性があります。すっかり市街地化して面影のない東浦路を南下します。観光客で賑わうモール・熱海仲見世通り商店街の一本隣の道です。

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この辺りの旧道は、昔の熱海では小田原道と呼ばれ、小田原では熱海道と呼ばれていたそうです。旧道の歴史に触れてみると、地元では行き先がその道の呼び名となっていることを知ることできます。

伊豆東海岸から江戸方面へ向かう全ての人が通った道。当時はこの東浦路しか道はなかったと聞いています。

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熱海駅から道なりに続く長い下り坂。まもなくして熱海銀座商店街が見えてきました。この商店街にある大正8年創業のつばき屋佐藤油店、食用椿油を買いに来ています。オーガニックの素材にこだわったカフェ・オーガニックボックスもオススメです。


熱海市街 ー 峠道

②熱海市街ー峠道

800mほど歩くと、道路の案内標識が見えてきました。Y字路を頼朝ラインには入らず、国道方面へ歩きます。

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国道方面へ300m程往くと電信柱にある「和田浜南町3」表示を目標に右折。後醍醐天皇による建武の新政に参画し、天皇親政を復活させた側近の1人・万里小路藤房が後に出家して建立したと伝えられてる興禅寺方面に登り道が続きます。

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やがて、長い急勾配の細道を往くと獣道が見えてきました。ここからは左旋回して未舗装の峠越えです。現状、道として辛うじて痕跡はあるものの、ハイキングに勧められるような整備はされていません。車の通れる迂回路が出来たことで完全に消えた東浦路。Googleマップ上では緑の点線になっています。(2021年10月現在)

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道を遮る倒木を避け、木の棒を振りかざしながら蜘蛛の巣を払い、背丈より高い茅が道を阻む藪を漕ぎます。

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10時過ぎ 舗装されている日本山妙法寺の参道に出てきました。

本日は秋晴れに恵まれ、海上には伊豆大島が気持ちよく横たわり、その右手前に網代の岬、近景には曽我浦の海岸美。最高の景色が広がります。

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頼朝ラインへ繋がる熱海新道と平行しながら一段高い所にある旧道は桜沢分譲地帯。気持ち良い眺望にキレイなおうちが立ち並んでいます。

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やがて平行した熱海新道との境が曖昧になると、草付きの道となり、少し下ると鉄錆びた橋が現れました。熱海新道が完成した頃はまだ旧道が使われてたので車道と立体交差しています。まもなくすると熱海新道は行き止まるので、上に見える頼朝ラインに登らなければなりません。ここは境が曖昧なうちに熱海新道から合流するのがスムーズです。

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しばらく自然が豊かな頼朝ラインを歩きます。鳥の鳴き声が耳に心地良きです。車の通行はほとんどないので自然に寄り添い気楽に歩けます。

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頼朝の一杯水峠。伊東を追われて伊豆山へ逃れる途中の頼朝が、のどの渇きに耐えかねて地面に刀を突き刺すと、清水が湧いたと伝承されてます。

熱海から下田方面へ向かう際の最初の峠として、旅人の印象に残るらしく、江戸時代の紀行文にも登場します。公衆トイレがあるので、ここで小休止をすると良いでしょう。


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緩やかな下り坂が続き、太ももの前の筋肉・大腿四頭筋が鍛えられます。

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交通案内看板が見えたら、伊豆スカイライン方面へは行かず、ぐるりと今来た道の鉄橋を潜り、更に道を下ります。伊豆スカイライン方面を真っ直ぐ行くと、知育絵本の草分け的存在である戸田幸四郎美術館があります。きっと小さい頃に一度は見たことあるでしょう。これまで描かれてきた絵本の原画等が多数展示されてます。


上多賀 ー  下多賀

③上多賀ー下多賀
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長い下り坂が続き、上多賀大川沿いに道を歩くと、まもなく相模灘が見えてきました。鉄道のガードを越えると、ちらほら民家を見かけるようになります。道なりに2回橋を渡り、熱海上多賀郵便局が右手に見えたら次の十字路を右折です。

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多賀神社前をとおり、ファミリーマートが見えてきたら上多賀の商店街を歩きます。

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道なりに往くと、やがて国道135号線にぶつかります。山越えが終わり、上多賀から網代までは海岸沿いが続く東浦路です。

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黄色い看板が一際目立つ熱海プリン食堂がある一帯は、かつて熱海随一の海水浴場であった長浜海岸。松平定信が植林させたと伝承されている由緒ある松が並木を作っています。東浦路でも一際大きな松の老木がとても印象的です。松の木を目標にY字路を右には入リます。国道の一本裏の道が東浦路です。

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上多賀と下多賀が別の集落であることを最も印象づけられるのが、それぞれにある多賀神社の存在です。伊豆多賀という地名、古くは奈良時代の平城京の木簡に「有雑郷多賀里」とあります。伊豆東海岸で大化の改新後の律令時代と変わらない地名を使ってるのは河津と多賀くらいでしょう。

川を3本渡りガストの裏を通り、再び国道と合流します。

網代 ー 宇佐美

④網代ー宇佐美
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12じ 交通案内看板が見えたら、次のY字路を網代駅方面に入ります。

網代は伊豆東海岸で下田港と並ぶ重要な海路の要衝であり、屈指の漁港であったそうです。江戸時代、下田奉行の小笠原長保が書かれた「甲申旅日記」でも、昼食後に両宮丸という船で熱海に向かった様子が詳しく記載されてます。

この辺りの国道135号線は通称・ひもの街道と知られ、その名の通り、ひものを販売するお店が軒を連ね、売り子のお姐さん達の姿を見ることができます。本来の網代の集落はもう一本海岸沿いにあります。

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網代駅前の通りを横ぎり200mほど歩いて右折、南風荘への看板が目標となります。ここからは峠越えするために再び登り坂です。

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和田木神社を越えると直線的な登り坂なので勾配がきつくなります。道は次第に細く入り組んできますが、大島茶屋跡までの案内看板が頼りとなり、迷う事なく登ることができるでしょう。

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標高310m。大島茶屋跡の標識はありますが、地物の痕跡を見ることはできません。まもなくすると東浦路の入り口が見えてきました。道は整備の手が施されています。

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この峠道は伊東市のアダプトシステムが採用され、有志によって管理されているそうです。東浦路内で比べても屈指の整備された区間であり、人の営みに直結した文化が、愛され、保存されてきた峠道であることが分かります。約4kmの正にハイキングコースにぴったりな東浦路です。

その昔、伊東市の学校遠足ではこの峠道を歩いたと聞いた事があるので、網代ー宇佐美間の主要な道だった事が想像できます。

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軽快に緩やかな下り坂を行くと、一つ目の石碑・法界万霊塔が見えてきました。昔、村境や峠には悪霊や災難が村に入らないように祀られたそうです。しかし、実際の網代と宇佐美の行政上の境界は大島茶屋跡付近です。

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この峠道から海岸への一帯は、ナコウ山石切場です。徳川幕府による江戸城の築城石切り出しが盛んに行われた場所で、その象徴的存在「石切場羽柴越中守石場」の標石があります。

江戸城の基礎となる石垣用の石の大部分は伊豆から運ばれ、多い時は3000艘の船が、月に2度ずつ江戸と伊豆の間を往復したと伝えられています。

ナコウ山は東浦路から外れるので寄り道となりますが、ゆっくり展望を楽しんでも1時間ほどあれば廻れ、お弁当を食べるのにも良い場所です。

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江戸時代に書かれた伊豆国の地歴書「豆州志稿」には、〝琵琶転の瞼〟があると書かれています。〝琵琶転〟や〝座頭転〟と呼ばれる峠の難所は各地にありますが、単に道が険しいというだけでなく、一方の路肩が谷底に向かって崩れやすい斜面のことです。今回は1箇所だけ大きな崩れを見かけましたが、それ以外は安心してハイキングできる峠道です。

長いユーカリの林を抜けると中央区立宇佐美学園の脇の道に繋がります。

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道なりに下っていくと、途中から道なりを外して舗装の切れた右の脇道を入ります。比波預天神社の横に出てきました。

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聞き慣れない名称の比波預天神社。「伊豆國神階帳」には従四位上・たまたの明神と記されているので、神仏習合からの古社であることは間違い無いでしょう。

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境内には古社らしく大木が何本もありますが、中でも一際見事なのが、静岡県指定の天然記念物のホルトの木です。南関東沿岸部以南の本州から台湾・中国南部・インドシナ半島に渡って広く分布する常緑樹。緑葉の中で常に紅葉した真っ赤な葉が可愛らしいです。また、県下でも有数の巨木であり、根の部分が露出している根上りした姿も印象的です。


宇佐美 ー 伊東市街

⑤宇佐美ー伊東
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宇佐美ー網代間の峠を越えて再び国道に帰ってきました。漁が解禁する初夏には鮎が釣れるという烏川に沿って城山の麗を歩きます。

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再び、国道を渡り川沿いに海岸線まで歩きます。公衆トイレがあるので一山越えたところで小休止。源泉100%掛け流し温泉と海を楽しめる旅乃家 宇佐美温泉 海ホテルの目の前です。宇佐美ビーチに眼をやると今日もサーファーが海に入っていました。宇佐美の海は穏やかな波なので初心者も安心してサーフィンを楽しめるスポットです。

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海沿いの国道と平行した旧道が東浦路です。古民家割烹ひよけ家を通り、亀石峠へ向かうバイパスを横断します。東浦路と交わる右手には立派な松があり、交差点であることがわかります。亀石峠道は、現在も伊東エリアから韮山・三島方面を結ぶメインストリートです。

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ここからは平地が続きます。伊東市長・小野達也氏の丸達水産を通り、ふしみ食堂から再び国道沿いです。

ふしみ食堂は朝から7時から営業されてるので、文化庁の支援事業に携わっていた頃、重宝させていただいた食堂です。丸達水産の干物もふしみ食堂で食べることが出来ます。(2021年10月現在は8時から営業)


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700mくらい国道沿いが続くので、海側を歩いても良いでしょう。Y字路で道は分かれますが、どちら道も国道135号線です。伊東線、JR線の線路沿いの伊東駅方面の道が東浦路です。

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国道沿いにハトヤが見えて来ました。1960年代から「伊東に行くならハトヤ」という歌のテレビCMで関東、東海、近畿地区で一躍有名になったホテルです。

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カラフルな建物が目を引く道の駅・マリンタウンが見えて来たら踏切を渡り、坂道を登ります。

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宇佐美ー湯川間の東浦路は、他のエリアのように山越えはしないで、基本的には海岸沿いです。しかし、山が迫って磯を通るのが困難な場所は標高30mくらいまで上るところもあります。

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この先しばらく東浦路は、海方面へ降りることなく山側に旧道の残欠を確かめることが出来ます。しかし、道はすぐに行き詰まってしまうし、線路を横断できる地点は僅かしかないので、龍神社を越えて再び線路を渡ります。

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マクドナルドの先にある小径をドライブスルーのように左折します。国道の手前にある小径が東浦路です。

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伊東市民のソウルフードにまで昇り詰めたB級グルメをご存知でしょうか?通称〝ナッチャー〟と呼ばれる納豆チャーハン発祥のお店・伊豆っ子ラーメンは東浦路沿いにあります。本日は残念ながらオープンしてる時間帯ではありませんでした。次の機会には…

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伊東駅前の信号までは、車一台分の細い道が続きます。伊東駅前の信号から大川橋あたりまでは、海岸バイパスでない国道135号線が東浦路です。しかし、早くからメインストリートとして近代化された地域なので、古い面影はありません。

本日は伊東駅でゴールとなりました。

本日の東浦路
熱海市・伊豆山神社ー伊東市・湯川
    距離 29.6km/歩数 39,532歩/時間 約7時間


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