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INFJは1人で映画に行け

これは、私が得た教訓であり決して命令ではない。勘違いしないでほしい。
加えて、備忘録としてただ取り留めのない文章をひたすらに並べているだけなので、これを読むことで何かを得られるという保証もない。
暇つぶし程度に読んでもらえれば幸いである。

まず私は、9割型推しを拝むために映画を観に行くので、誰かと映画に行くことはあまりない。しれっとおすすめすることはできても、その後の感想に違いが出てしまうからだ。
誰かと観に行った日にはストーリーの理解なんか二の次で、推しがかわいい!すき!最高ー!ビジュ神!!絵に描いたようなノウタリン発言を連発してゲンナリさせてしまうこと間違いなし。
つまりは語彙力がない。結果的に1人が楽なだけである。
エンドロール中に脳内を整理し、推しの可愛さを噛み締め、もう一度観るかを決め、グッズ売り場を思い出しながら何を買うか考える。
終わった瞬間に一言で感想をまとめることは難しい。正直、そんな安っぽい感想で2時間超の映画をまとめることはできないし、そもそも早く推しについて語りたい。
ありもしない感想を並べて、推しのことをちょっとでも話題に出したいけど推しだとバレないような微妙なラインを探って感想を述べるのは、私が疲れるだけだ。でも残念ながら、そうやって生きてきた。
だから、今回も同行者に自分の観たい映画をしれっとおすすめはしたが、一緒に観に行こう!とは言っていない。誰かと感想を共有したいくせに、思っている答えが返ってこないと微妙な反応をしてしまう人間だから。
自分の機嫌は自分で取る。絶対ここで使う言葉ではないのだけれど。

そんな私なので、今回観た映画は決して推し目当てに観に行ったものではない。同行者が観たいと言ったので、なら行こう。という軽はずみな発言から実現に至った。それだけ。
ただ、一つだけ学びがあった。

私の感想は、口に出した途端に誰かのものになる。

観終えた時に一番最初に思ったこと。
エンドロールの間に次々と渦巻く感情は、まだ私のもの。言葉にならない感情をなんとか整理して、スマホのメモに書き移す、その瞬間まで。
だけど、誰かにその気持ちを伝えた時、それは上辺だけの感想に変わる。
口から出る言葉だけでは全てを伝え切れないし、相手の感想と自分の抱いた感想が異なれば異なるほど、浮かんだ感情は明後日の方向へと勝手にねじ曲がっていく。楽しかったはつまらなかったに、笑えた映画はちょっと微妙だったに変わる。
本当はそう思っていなかったとしても。
一度口に出してしまえば、不思議と違和感なくスラスラと感想が出てしまう。
まるで昔から、そう思っていたように。
でも言ってしまったら最後、当初抱いた感想はもうどこか遠くに消え去っている。

今回観た映画は、私の中で〈めちゃくちゃ面白いわけじゃないけど、理解するのに苦労しないから疲れずに観ることができた〉という奇妙なラインに位置した。
前回の映画がミステリー調だった分、特に身構えることもなくのんびりと観れたのはかなり楽だったけど。

も。

同行者(今回は祖父)の感想がエンドロールが終わり、館内が明るくなって開口一番「期待はずれだった」だったので、なんか一気に話す気がなくなってしまった。
他の客もいる中で大きめの声でそれを言うのもいかがなものか…とは思ったが、老害一歩目を踏み出して間もない祖父なので、そこは目をつぶってあげることにした。
私は人一倍周りの目が気になるたちなので、めちゃくちゃにつまらない作品だったとしても、終わってから喫茶店かどこかに入るなどして、周りに同じ時間を共有した人がいない場所に行かないと自分の思ったことを発言することができない。
だから今回、私は祖父の発言を受けて「ほ、へぇ…そう、かぁ〜、」と微妙な下手くそ相槌を打つことしかできなかった。

今回の一番の学び。
自分の意見は、誰かに伝える前に大切にしまっておくこと。上映後すぐトイレに行くなりして、メモとしてまとめておけば、後々になって他者の意見に惑わされて自分を身失わないで済む。
自他の境界線を失いがちなINFJだからこそ、気をつけなければいけないなぁと思った出来事。
思っているよりも自分の気持ちを大切にしないといけないな。

映画についてもまた書きます!たぶん!

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