書けば書くほどnoteに育てられている。noteは子育ての天才なの?

ノートを始めた理由は療育記録目的だ。
療育中は先生と息子のやり取りを端から見てリアルノートに記しているのだけど、結構な量になり、
「なんかこのままにしておくのもったいなくない?」と思いnoteを始めた。

noteは続けられる仕組みが満載だ。
記事をアップするごとにカウントしてくれるし、バッジまでくれる。
まるで息子の療育と同じやん。
「今日もアップしましたね」
「また今日もアップしましたね」と日々認めてくれる。
そして「100回アップすると次のバッヂがもらえまーす」とちょっと先の見通しまでしてくれる。
何度も言うけど息子の療育と同じではないか。私は完全に育てられとる。

息子の療育は、課題をクリアするとシールがもらえる。シールをもらうために頑張っている。
別にそんなにシールが大好きなわけだもないのにね。

シールをもらうため、目の前の課題に取り組み
いつの間にかスキルアップしていて、できることが増えていて、知らんうちに自信がついていて、、という組みだが、noteも一緒なのはもうわかっとるわ。

息子の療育は課題の完成度を最初から求めない。
ハードルがめちゃ低い。


「今日も教室まできてくれてありがとう!」
からはじまり、課題の鉄棒ができなくても
「鉄棒の握り方がすごくいいねー!鉄棒ができるか不安だったけどそれでもよく握ったじゃん。」と、挑戦したこと自体を認めて褒め、自尊心を高める。

noteもただただ、「今日もアップしましたね」と認めてくれる。次の日もアップすると「えっ?2日連続アップですか?マジすごくない?」と言ってくる。(私にはそう見える)
しかも「今日もアップしましたね、でもオチがいまいちでした。明日は頑張りましょう!」とか言わない。
「目を休めましょうね!」
「休憩取りましょうね!」
と気遣いまでしてくれる。素晴らしすがないか?子育てうますぎだろ。


そんな子育てマイスターのnote育てられ、まんまとnoteに向かい療育の振り返りをするのが習慣になった。

人間の基本の作りは大人も子供も変わらないんだね。

私のnoteの対象は日々変化する5歳児であるため書く題材が量産されていく。
が、私の体力と時間と頭脳が追いつかない。

それでもnoteと息子に育てられ、今日も日々のアレコレを文字に書き起こす。

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