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取るに足らない私の30年史 〜明るい無職30歳にはチャンスがある(と信じてる)〜

30歳になったら「大人っぽい何か」を持ってると思ってた。

ーーーちょうど1ヶ月前、私は無職で30歳の誕生日を迎えた。気分はどことなく晴れやかで、0だと思いこんでた「ここ」は0ではなく、多く重なり合った地層の上に立っているんだと思えた。

ここからは【取るに足らない(かつ誰かもよく分からない)私の30年史】をつらつらと書き連ねていきます。
(Facebookへ知人に向け投稿したものを編集しております。)

noteでも投稿する理由は、これから出会う人に向けても発信したいと思ったからです。Facebookの投稿では「これまで出会ってきた人」に向けてですが、noteでは「これから出会うあなた」に向けて、一生懸命話したいと思います。

どんな気分で読んでほしいか。「俺の屍を越えてゆけ」みたいなテンションでしょうか。大失敗人生から反面教師的に教訓にできることは多くあると思っています。

さあ、ここから約1万字近い文章沼を進んでいく覚悟はできましたでしょうか・・・。ありがとうございます。

現状のわたし、何者?

先月の同日、2月12日に30歳になりました。岩崎裕司(いわさきゆうじ)と言います。はい、おめでとうございます。

そして、その半月前、6年在籍した長野県のベンチャー企業、株式会社地元カンパニーを退職いたしました。

原因を端的に申し上げると、「仕事のスピードについていけなくなった」ということです。詳細は後述しますが、このことに気づき、シンプルに「辞めます」と言い出せればまだ良かったのかもしれませんが、ついには言い出せず、いや、辞めたいという本心に向き合わなかった結果、うつ病により2021年1月からダウンしておりました。

年が明け、元気になってきたところで医者、会社、そして自分と相談し、退職するに至りました。なんと情けない話ですが事実です。

InstagramやLINEで連絡を取っている方には、少しずつ白状しているのですが、どう連絡していいか難しかったり、そもそもこんな連絡欲しいのか?という疑問から、Facebookにとりあえず書いておくかという気分になって投稿しております。

【現状のわたしを箇条書き】

・無職(傷病手当受給中のため、年内は無職でも生きていける。ありがたい。)
・地元、長野県上田市に在住(2016〜現在)
・前職 株式会社地元カンパニー 6年在籍(うち1年は休職)
地元カンパニーはご当地産品を集めたカタログギフトをつくっています。より知りたい人は「地元カンパニー マンガ」で検索してみてください。

・転職活動 1社だけ応募(書類通過後、課題で選考落ち)
・転職時期 焦らず年内じっくり考え、あとはタイミングに任せる

▼からだのこと
・病名 双極性障害二型傾向(あえてつけるなら、医者曰く)
・症状 今年1月以降は安定しているのでご安心を
・治療 隔週のカウンセリング(2月以前は週1回) 認知行動療法

▼この頃のだいたいの生活
・音楽 聞いても聞いてもまだ知らない曲ばかり、溺れても良い 今年もすでに豊作ですね。『BADモード』もリョクシャカの『Actor』もSamm Henshawの新譜も RhymeTubeの新譜も。とにかく楽しいです
・読書 働いたお金で買い込んだ積み本を読み読み、また買う、詰む 最近読んだ感動本は、オランダの歴史家ルドガーブレグマン『Humankind 希望の歴史』上下巻あってこの手の本は読み切れないだろうと思いきや、ぶっ飛びました。
・散歩 1時間半ぐらいふらふら歩いて、美味しいお店があればいざなわれる(プラマイ0、ではきっとない)
・DIY 昨年、祖父母が立て続けに亡くなり、空き家と化した祖父母家の一角を借り、作業場にしようとコツコツ改造
・Netflix 友達に勧められた韓ドラをひたすら見る。見終わったらまた勧められ、何時間あっても足りません
・人に連絡を取る 会う約束をしたり、オンラインで話す時間を作ったり、構っていただけて嬉しい限りです

▼診断系(家族や友人とやり合って結果を見て、ああでもないと話すのはとてもいい時間です)
・16Personalities ENFP-T 広報運動家
・VIA 1向学心 2公平さ 3親切心 4リーダーシップ 5愛情
・ストレングスファインダー 1着想 2学習欲 3ポジティブ 4収集心 5包含

※ストレングスファインダー以外は全て無料で診断できます。(なんら利益を得ていません笑)


わたし史の目的

なぜ、私の30年のおさらいを付き合わせるのか。この目的は2つあります。
(30歳にもなるとこんな書き方しかできないんですね)

わたし史の目的
(1)私のことを知ってもらい、いざという時に助けてくれる味方作り(甘い期待)
(2)30歳だからこそ、出会い直したい

自分のために、大切な人に真剣に話す(今大切でなくても、未来そうなるかもしれない人のためにも)

私自身が私のことをコントロールできなくなってしまったので、私自身が私のことをよく知るべきだと、本当に実感しました。

と同時に、私のこれまで大切にしてきた人たち、お世話になった人たちに向けて私のことを「ちゃんと伝える」ということは、私自身を救う手段ではないかと思っています。

というのも、本当に必要な時ほど助け舟を求められない性分なのだと今回の件で気づき、その反省もあり、先に岩崎裕司をお伝えしておくと、悪気がなく連絡をシャットアウトする事態になったり、誤解を与えたとしても許してもらえるのかなという予防線という甘い期待を込めております。

ともかく、「迷惑をおかけする」ということを恐れすぎると、孤立し、後戻りできない事態にもなりかねないと感じ、それこそ大迷惑になってしまうということを加味し、迷惑をかけることに前向きになっているというモードです。それは、裏返しとして、私も元気な時は大切な人のことを救いたいし、それによる迷惑は引き受けられると確信しているからとも言えます。

自己紹介をし直すことで、また出会い直せるはず(もちろん新たな出会いも)

これまでのFacebookの投稿とコメントも全部一回見直して、私という人物が何を発信してきたかも事前におさらいしており、そこで気づいたことは、「自己紹介し直した方がいいんじゃない?」ということでした。

30歳になるまでに数々の出会いをしてきました。

が、悲しい事にこれまでの自己紹介で自分を表現できていたか振り返ると、中々に解像度が低く、ヘラヘラしてたなあと思うし、でもそれは私のことを私自身がまだ乗りこなせてなかっただけなのかもと感じています。

これから出会う人には、もちろん自己紹介で気をつけようと思いますが、「これまで出会ってきた人」に改めて自己紹介する機会は、実はこの先「ない」のでは?と思ってしまい、これまで出会った人に、これまでの岩崎裕司の印象のまま残しておくのも良いのですが、これまで出会った人の中でこれからも付き合いがある人に対しては、旧岩崎ではダメだ、誠実ではない、と胸騒ぎがしている故の投稿になります。

これから出会い直すこともあると信じて、ここに私の意思を表明します。

なにせ、年内の療養生活中は「暇of暇 or DEAD」なので、是非とも折を見てお会いできたらと思っております。

前置きが長くなったので、本題に移りましょう。

6人の恩人と共に私史を振り返る

岩崎裕司という人間に、特に影響を与えた6人の恩人を引き合いに、当時の出来事と今の私につながった考えを、時系列で追っていこうと思います。

あえて、人物にはタグ付けはしませんが、失礼のない範囲で実名を挙げさせていただきます。

【1人目 中高大と付き合った彼女】

早速センシティブな人物ですが、振り返ると私のコミュニケーション能力のほとんどが、彼女と関わることで得られたのかなと思っています。

当時は、物事の良し悪しの判断が上手くつかないこともあり、反省すべき出来事ばかりでしたが、それでも恋愛関係を続けてもらえたのは私にとって幸福でした。この愛する人に存在を許される経験が、私の愛情の総量を広げてくれ、私の強みでもある親切心の源泉に繋がっていると思います。

お別れして以来、全く連絡を取っていないので、その後何をしているのかすら分かっていなかったのですが、最近身の回りのことを投稿しているinstagramで、たまたま「友達ですか?」の一覧に名前が出て、思わず見てしまいました。

感想を正確に表現するのは難しいですが、かっこいいな、と率直に思いました。

私が見つけられたように、彼女からも私は見えると思うので、見えてしまった時に少なくとも恥ずかしいと思われないように生きねば。彼女と同じように、私も私なりにかっこよくありたいと思います。

【2人目 吉田理穂さん】

大卒で就職をせず、当時付き合いのあった社会人2人に誘われスタートアップをしていました。結果、事業は撤退しましたが、そこで学んだことは私の社会人としての礎になっていることは間違いありません。

正直、大人や会社を舐めていた自分がいました。大卒で就職するなんて普通の人がすることでしょ?と、たかを括っていたと思います。たかを括っていた私を待ち受けていたのは、私が普通の人より「よっぽど何もできない人間だ」という現実でした。学生気分で何かした気になる奴みたいな話はよく聞きますが、その典型だったように思います。

しかし、吉田さんには粘り強く色んなことを教わりました。当時のメモは全てiphoneに残っていて、読むと鳥肌が立つぐらい何も分かってない奴の文章がそこにあり、ある種の成長を感じています、笑

吉田さんから学んだ中で最も大きなことは、

楽しそうな大人とは、裏でクソほど努力や勉強しているということ。
そして、本当の強さとは、「強かさ(したたかさ)」であるということ。

また懲りずに飲みに行ってくれることを所望しております。

【3人目 児玉光史さん】

スタートアップで失敗し、地元へ逃げ、そこで拾ってくれた前職、地元カンパニーの社長、児玉さん。

出会い方は今でも覚えています。

採用募集をしていたにも関わらず、応募してから1ヶ月音沙汰もなく、ダメかあと思った矢先に児玉さんから連絡がきて、面接しその日からインターンをすることになるという、ちょっと早いんだか遅いんだかよく分からないスピード感の中での出会い。

そこでの問答も忘れません。

児玉「岩崎くんはどうやって地元を盛り上げたいの?」
岩崎「イベントとかですかね?フェスとかでブチ上げて・・」
児玉「一過性だよね」
岩崎「・・・そうかもしれません。では逆に、どう地元を盛り上げようと?」
児玉「雇用だよ」
岩崎「(電撃)」

ベンチャー経営をものすごくそばで見て、一緒になって考える機会を通して、「雇用」の難しさ、偉大さ、それに、カッコよさに気づけたのは、これからの私の大事な資産になるでしょう。

児玉さんからは、ビジネスマンの所作を教わりました。サラリーマンではなく、ビジネスマン。できない理由ではなく、できる理由を探す・絞り出すというのが、私なりのビジネスマンの定義です。

そこで、問いの重要性を日々刷り込まれ、今では小児玉が自分の中にいるようで、少し気持ち悪いですが、だいぶ人生を助けられているのも実際のところです。

退職した理由をもう少しここで書かせてください。

「仕事のスピードについていけなくなった」をもう少し解像度上げて説明すると、私は5年目当時、社歴としては最年長になりました。人に何かをお願いすることが増え、人から相談を受けることも多くなり、ギフト屋の中でもIT傾向の強い私たちはコロナ以降より加速し、売上も伸び、社会人として充実した日々を送っていました。

しかし、メンバーに何かを指示したり教えれば教えるほど、より良くを追求し、追求した結果、最後に自分にこう問うようになっていきました。

「自分が言える立場なの?」

もちろん、言えて然るべき立場だ。そう思っていましたが、突き詰めていくと、ある事実と向き合っていなかったことに気づきます。

「製品と自分の人生がミスマッチしていることをどう思っている?」

カタログギフトという製品は、一般的には結婚した夫婦が引き出物に利用します。私は入社してから、カタログギフトの顧客でなかったことを、ずっとコンプレックスに思っていました。

自社の製品の良さや理念を新しいメンバー、お客様、取引先、友人には自信満々に言うけれど、それが自分とミスマッチしているということを指摘されないように、上手く乗り切ろうとしていた節もあったと思います。

もちろん、製品と自分の人生がミスマッチしていたとしても、違う観点でマッチしているからOKとも捉えることはできるし、そんなの気にすんなよという声もあるし、どれが正解ということではないとは思います。

しかし、私は「製品に強く誇りを持っていたい」という気持ちが強くなり、一方で「自分が言える立場なの?」この問いに答えるのが辛くなったのも事実です。

私の頭の回転は、この問いにより日に日に遅くなっていき、ついにはベッドから動けなくなりました。

(うつの体験談は、あまり気持ちのいい話ではないので割愛しますが、必要としている人や場所があれば、メッセージいただければお話しすることも可能です。私の体験の範囲内でしかありませんが、お手伝いできることがあるかもしれません。)

実は退職してから、手紙を渡したきりで直接話せていないので、どう思われているのかわかりませんが、気にせずドンドン進んでほしいです。

来月4月6日は地元カンパニー創業10周年で、そこで一緒にお祝いできるといいなと思っています。

【4人目 阿部広太郎さん】

企画で飯を食っていく人を育成する連続講座「企画メシ」主宰、そしてコピーライターの阿部さん。

前職の先輩が楽しそうにしていたのが羨ましくなって、応募してみて無事に選考突破し、その仲間入りを果たしたものの、そこからは悔しい思い出ばかりでした。

企画で飯を食うほどの覚悟が自分にあったのか?そう後悔しながらも、飛び込んだからには少しでも、という気持ちで挑んでは少し逃げを繰り返していたことを思い出します。

逃げながらも、それでも挑めた理由は、阿部さんのやさしい言葉に魔法があったからだと思います。先生でも恩師でもない、不思議な距離感からの背中を押す魔法。宗教っぽいんだけど、全くそんなことはない、なんとも形容し難いですが、知っている人はなんとなく分かってくれるはず。笑

金沢合宿の夜、講座の同期皆んなと阿部さんとで居酒屋で飲んだ後、徒歩で宿に行く間、阿部さんと2人になり、その時作詞を共作されていた向井太一「空 (feat.SALU)」のデモ音源を阿部さんが携帯で流し、それに2人して耳を傾け、はたから見たらちょっと気持ち悪いだろう距離感で歩きながら聴かせてくれたことを思い出しました。

あの時かわした会話がなんだったのか、記憶は定かではないのですが、きっとあれも僕の背中を押す魔法だったのですかね(いや、宣伝ですか?)

「空 (feat.SALU)」の歌詞を改めて見ると、その時阿部さんが何を伝えたかったのか少しわかる気がします。

阿部さんからは、人の背中を押すことの尊さ、「やさしさ」という人間本来が持っているクリエイティブの形を教わりました。

【5人目 ある取引企業の社長】

社内でシステム事業を立ち上げることになり、少ない契約実績ではあるものの会社と私自身を認めていただき、その後取引をしていただいた社長のAさん。(Aは仮名です)

そして、もう恩返しのできない方。

多くをここで語る必要はないと思いますが、多くを学んだということだけ、ここに書かせてください。

事業をするということは、他人の人生を”本当の意味で背負う”という覚悟を持つということ真に教えてくれた恩人です。

関わった時間こそ多くはありませんが、貴方を通して考えたことは忘れませんし、私の力になっています。信じる宗教こそありませんが、「Bless you」と言われている気がしてます。

ありがとうございます、と心の中でお答えできているつもりですが、そちらには聞こえておりますでしょうか。

【6人目 井上拓磨さん】

復職して元気はつらつになり相談をしに行くまでは良かったものの、そこで大きな問いを頂き、それが呪いとなり、より深くまで潜れたきっかけをつくってくれたセルフビルドサウナーで経営者の井上さん。

「企業規模30人の壁を乗り越えるには、メンバーが離脱しないように、育成とフォローが不可欠である」という仮説のもと、さまざまな私の策やアイデアを聞いてもらいました。

そこで井上さんに言われた一言。

「岩崎は、特別でいたいだけなんじゃない?」

ぐぬぬ。となる。

私が会社のためにと必死になって編み出した策や優しさは、全て自分が特別でいたいための偽善なのか?いや、メンバーのためということは本気で思っている!でも、特別でいたい「だけ」なんて、、、自己顕示欲を満たしたいがために、人のためになろうとしているのか?ーーー

その後の日々は、呪いのようにその問いが付き纏い、退職するまでその答えは出ませんでした。

しかし、今、この呪いが解けそうだと思っています。今の私なら、こう回答します。

私自身が特別でいたいだけです!
そして、どんな人も特別でいていいはず。
人が自分のことを特別だと自分でそう思えるために、必要な応援したい。

「特別でいたい=評価軸は自分が決めればいい」という公式を打ち立て、「評価軸を自分自身で決めることを手助けする」ということで今は腹落ちしています。(この辺りの話は機会を作ってお話しします。起業の話にもつながる重要な話なので)

実は長野に帰るきっかけを作ってくれ、実は会社を辞める決心をつけさせてくれ、しかし本人は全く気づいていないという面白状態が多発しています。

井上さんを通して勝手に駆動している、させられているのか。これからも転機には井上さんの存在が見え隠れするのか気になるところです。

井上さんには、何を教わったとかではないのですが、そういうタイミングでちゃんと見つけられるところに居てくれたり、気さくで辛辣で変な欲がなく芯食ったパンチを打ってくれる不思議な魅力は、私以外の人たちも駆動させているのかなと。これからも学ばせていただきたいと思っています。(サウナに入りたいだけ、という私の欲望がこの文章を駆動させているのは見え透いているのでしょうか笑)

さかのぼりました、ので、あとは未来の話を

この6人の方は、私にとって、時に敵で、時に味方で、時に仲間だった方で、粘り強く私に色んなことを教えてくれたことを感謝しております。

もちろん、この6名が私史上大切にしたい人のトップということでもなく、私の20代を形成した代表的な人物である「だけ」であり、その間の人生を支えてくれた多くの友人や諸先輩後輩方にも大変お世話になっているし、許せることなら話したいことは山々ですが、主にTPOをわきまえ(大事)、わかりやすいエピソードとして上記の6名を引き合いに出させていただきました。

ここからは、今年に入ってからの話とこれからの話をします。

転職活動1社目の話「やりたくて、やりました

犯罪みたいな動機である。

こういった状況になり、好きだったビールやアルコールを飲みたいという気持ちが無くなってしまった時期が長いことあり、炭酸水やノンアルでも楽しいやと思い始めた新しい境地も経験したのですが、久しぶりにビールのパッケージを見て良いなと思い、その企業が長野県にあるヤッホーブルーイングという会社でした。

知ってはいたもののどんな会社なのか改めて調べてみると、採用募集を発見。

そこで、選考課題を見つけます。

「3年後、売上2倍になります。その時の課題と解決策を提案してください」

その課題を見つけた瞬間、とある企画をやりたい!一緒に実現できたら良いのに!と思い一念発起で履歴書、職務経歴書を作成して送ります。書類選考が無事通り、選考課題を見てもらえる機会まで得ましたが、結果としては選ばれませんでした。結果自体は、落選でしたが、課題締め切りまでの1ヶ月は久しぶりに楽しい感覚でした。

これまでの自分であれば課題を1人で自力にこなそうとしていたと思いますが、それを認識して、あえて友人や知り合いにくだらないアイデアを話してああでもないこうでもないと意見を交わしながら積極的に助けを求めることもでき、提出日に友人と電話で話しながら修正をし、色々ひっくり返したり、このプロセスには満足しています。

なんというか、この企画自体が、ここ数年の私の集大成を形にしたような感じがあり、改めて社会に、人に働きかけることが好きなんだと気付けたきっかけでもありました。

負け犬の遠吠えっぽいですが、私の拙い企画書をコメントに載せたいと思います。何というか、すごく、私っぽい企画書になったなと思っているのでぜひ閲覧いただき、後に活かしたいなと思う限りです。(noteでどう公開するかは、まだ考え中です)

そこまでの提案で、その結果で納得しているのか?ということについては、納得しきれない点があったので、最終的には採用担当者の方と電話でお話しさせていただき説明を受けました。求める人物の行動特性のうち、私に足りない性質がある、というのが最も大きな理由だとわかりました。丁寧な対応をしていただき非常に嬉しかったです。

「転職の軸」を考えてたら、究極「自分の事業」に行き着いた

今後は焦らず転職活動をしようと思っておりますが、転職活動失敗したらしたでいいかなとも感じております。転職上手くいかなかったら、起業するしかないか!と思ってますが、転職活動する理由もちゃんとあります。

転職の軸を何日も考えて出た答えは、

「私が全力でぶつかれて、全力で評価してくれる会社」

力と力が同じくらいの力でぶつかり合うと、力が上にメキメキと隆起するイメージ。つまり成長できる環境は、こういうことなのではないかと考えました。このことを私は「御神渡り」と呼んでいます。

諏訪湖の御神渡り

理想論。

確かに、そんな会社あるかどうかはわかりませんが、確実に分かることは、私が全力でぶつかった後に答えが出るということ。

そして、究極的に私が全力でぶつかれて、それを全力で評価してくれるのは、他人ではなくて自分なのかもしれないということに行き着きました。

しかし、それは簡単ではないということを私は知っています。自分と自分が全力でぶつかるということは、自分を最大に肯定しつつ、最大に否定するという究極の矛盾状態かつ緊張状態をどこまで厳しく自分自身に突き詰められるかということだと思っています。

自分に厳しくあることがどのくらいのことか想像すると、同棲中の恋人が2泊3日で友達と旅行に行っている間も自分のためだけにフレンチのフルコースを作れるかぐらい難しいのではと思っています。(単身ゆえの儚い妄想)

まだ上記の状態が無理、と思っているわけではないので、起業もアリかと思っているのですが、人生より豊かにということ考えると、1人では行けない領域が経験できるのであれば、経験することは自分の人生や事業にとっても大切なように感じていますし、そのような理想論のような転職先が見つかるのであれば、そこで全力を尽くしたいという気持ちです。

具体的にどういう環境でやりたいかでいうと、1つは事業規模。
・30億〜300億ぐらいの現規模で、10倍のグロースを体感できる職場

前職では売上4000万から4億円まで10倍の成長を体感できましたし、0から事業を作る経験もし、細かいお金の使い方(お金を使わないやり方)や1〜3人で早く辿り着くやり方を学びました。

数十億、数百億だと動き方も、攻め方も変わりそうなので、是非とも挑戦してみたい領域です。

ちなみに、働く場所はあまりこだわりはありませんが、長野か東京を拠点に考えてます。本社がどこであろうが、必要な時に移動できれば良いという考え方や拠点は人それぞれだったりするみたいなのが今後の流れなのかな、と勝手な解釈も込みです。

長野にも拠点はあるし、東京には友人も多いので、その辺りをフラつければ日頃の雑談も増え、メンタルヘルス的にもいいのではと。

一念発起でぶっ飛ぶのも選択肢としてアリです。扶養家族がおりませんので(悲哀)

かつ、

「私が全力でぶつかれるか?」は大事です。虚無感の中で働かないように、予防に努めます。

と、饒舌に話しておりますが、単純な話「まだ何も決まってませんよ〜」ということですので、いろんな人の話を聞いて、ああでもない、こうでもないって右往左往したいなと思っています。

職を探してほしい、などと簡単に言えることではありませんが、大切な人の頭に私の脳内にある興味あること、ワードをインストールしておきます。いつか、どこかで、何が繋がるかわかりませんので笑

・許せないが多い領域
・web3 Dapp
・Saas (Software eats the worldを信仰中)
・nuro deverse ity(神経多様性)
・変革コミュニティ(伊藤穰一さんのコミュニティに応募済)
・全デジタルデバイスを競合に見据えている、あらゆるサービス(可処分時間についての関心)
・人間拡張学 human augumentation(マクルーハンの先)
・カームテック carm tech
・コンポーザビリティ高めの事業(これからの企業に必要な4abilityというのを思いついて、その中の重要な1つ)
・仏壇、神棚を精神的に代替する家を構成する最小単位something
・Sci-Fiプロトタイピング 樋口恭介さんの本オモロい

なんか関心事が多く、宿題山積みで夏休みゴロゴロしている小学生みたいな私ですが、何卒ご指導ご鞭撻のほどよろぴくお願い申し上げます。(精神年齢が小学生の時よくあります)

最後まで読んで頂き、粘り強く知っていただき感謝申し上げます。

私も同じように粘り強く「他者」のことを考えられたらと努力しています。このメッセージが「あっ自分のことかも」と思ってくれると、少し嬉しいです。

貴方のことを遠くから祈ったり、祈られたりする関係もよし。または、時に存在をSNSで確認し合い、互いの存在を許し合うのもよし。

またどこかで出会い直せる日々があるならば、その時は笑顔で会いましょう。

その日々の始まりを、まずは、私から。

2022.03.12 日帰り温泉の行き来によってふやけたからだ、こころの奥底某所にて

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