岩内町郷土館

北海道の南西部、積丹半島の付け根の港まち岩内町は、明治以前の古くよりひらけた歴史があり…

岩内町郷土館

北海道の南西部、積丹半島の付け根の港まち岩内町は、明治以前の古くよりひらけた歴史があります。その歴史資料を網羅した「岩内町郷土館」は、令和3年度に開館50周年を迎えました。豊富な地域資料をもとに、毎年さまざまなテーマで企画展を開催しています。

最近の記事

岩内町郷土館令和5年第三回企画展「岩内少年団下田豊松の功績」⑦(最終回)Activist(行動する人)下田豊松伝説

 終戦間際の1945(昭和20)年1月、58歳の下田豊松は召集令状を受け取りました。倶知安の北部第三〇一一七部隊長を任ぜられ、町内に残る青年、壮年男性を招集し、出征のための準備をしますが、その頃にはもう全国的な物資不足で、部隊には武器も軍服も支給されず、兵士たちの食糧にも不足するような有様だったといいます。  8月15日敗戦。在郷軍人会長であった豊松は、公職追放となりますが、この時、豊松は妻や家族にこう言ったそうです。 「自分はこれから、戦地から帰ってくる引揚者のために働く

    • 岩内町郷土館令和5年第三回企画展「岩内少年団下田豊松の功績」⑥Activist(行動する人)下田豊松伝説

       世界が、戦争の時代へと緩やかに下っていきます。ボーイスカウト運動と団員であった少年たちもまた、その運命に翻弄されていくことになります。  (『ベーデンパウエル伝』より) 「1930年代、イタリアではムッソリーニの支配下で、ボーイスカウトはファシストに吸収されてしまった。1933年にベーデン・パウエルはムッソリーニに面会したが非常に失望した。ムッソリーニは、ファシスト少年団はボーイスカウトそのままであると豪語した。  ベーデン・パウエルは、形式は同じでも、その精神の根本的に

      • 岩内町郷土館令和5年第三回企画展「岩内少年団下田豊松の功績」⑤Activist(行動する人)下田豊松伝説

         豊松がロンドンの第一回ボーイスカウト世界ジャンボリーに参加してから、四年後、第二回の世界ジャンボリーがデンマークで開催されることとなりました。  日本から派遣されたのは「少年団日本連盟」の理事、三島通陽子爵をはじめとする、全国から選抜された約30名の団員でした。下田豊松は、参加しませんでしたが、北海道から下田の人選で中村耕平、広田忠雄、安達勇、安達隆世の四名が参加することとなりました。  このうちの、安達勇と安達隆世の二人は、岩内の安達牧場、安達農場の家系に繋がる青年達

        • 岩内町郷土館令和5年第三回企画展「岩内少年団下田豊松の功績」④Activist(行動する人)下田豊松伝説

          1916(大正5)年に、岩内東小学校の男子生徒500名を集め「岩内少年団」を結成した豊松。陸軍中尉であったこともあり、やはり最初の活動は軍隊式であったと思われます。ラッパ隊を先頭にした行進訓練や集団行動、キャンプ生活の体験など。そして、1923(大正12)年には、岩内港に寄港した軍艦「春日」に乗船、見学会を実施しています。 少年たちに囲まれた、豊松の笑顔が印象的な一枚です。大正13年には、旭川少年団も加わり、軍艦「日進」に乗船見学。この年、豊松はシースカウト(海洋少年団)の

        岩内町郷土館令和5年第三回企画展「岩内少年団下田豊松の功績」⑦(最終回)Activist(行動する人)下田豊松伝説

        • 岩内町郷土館令和5年第三回企画展「岩内少年団下田豊松の功績」⑥Activist(行動する人)下田豊松伝説

        • 岩内町郷土館令和5年第三回企画展「岩内少年団下田豊松の功績」⑤Activist(行動する人)下田豊松伝説

        • 岩内町郷土館令和5年第三回企画展「岩内少年団下田豊松の功績」④Activist(行動する人)下田豊松伝説

          岩内町郷土館令和5年第三回企画展「岩内少年団下田豊松の功績」③Activist(行動する人)下田豊松伝説

          下田豊松は生まれつき身体が弱く、学業にも躓くような子供でしたが、担任であった立派な教育者の支えがあり、良い成績を残して学校を卒業しました。 また、豊松の下には喜久三との間に一人、16才の若さで病死した成吉という弟がいました。 明治40年3月25日発行の「岩内新報」という新聞に、その成吉の記事が載っています。この新聞記事は、下田豊松の資料がまとめられたファイルケースの、一番最初のページに収納されていました。 〇感心なる少年(抜粋、読下し) 「当町高台町に居住する、下田

          岩内町郷土館令和5年第三回企画展「岩内少年団下田豊松の功績」③Activist(行動する人)下田豊松伝説

          岩内町郷土館令和5年第三回企画展「岩内少年団下田豊松の功績」②Activist(行動する人)下田豊松伝説

          経済的にも船での旅程にしても、日本からイギリスに行くことは、100年前の大正時代は、今よりはるかに大変な旅でした。今のお金に換算すると、一人約400万円ほどかかったのではないでしょうか。豊松はそのすべての経費を自費で賄い、足りない分は下田家より援助をしてもらったそうです。 英国に着いた豊松は、ボーイスカウトの創設者であり、世界の総長となったベーデン・パウエルに会い、日本の代表として親交を深めます。また、当時ロンドンに駐在していた新渡戸稲造と出会います。豊松の資料の中からは、

          岩内町郷土館令和5年第三回企画展「岩内少年団下田豊松の功績」②Activist(行動する人)下田豊松伝説

          岩内町郷土館令和5年第三回企画展「岩内少年団下田豊松の功績」①Activist(行動する人)下田豊松伝説

          ボーイスカウト日本連盟100周年+1を記念しての企画展です。大正時代、「岩内少年団」をいち早く創設、さらにボーイスカウトの世界大会に日本人として参加するため、開催国であった英国に渡航し、日本の少年団を世界中に知らしめた、下田豊松の功績を紹介しています。 ところが、この下田豊松について、よく知っているという方は町内でも少ないのです。 上の写真は、郷土館内にも常設展示されている、皆さんご存じの国産アスパラガスの生みの親、下田喜久三博士が「(株)日本アスパラガス」の会社を設立し

          岩内町郷土館令和5年第三回企画展「岩内少年団下田豊松の功績」①Activist(行動する人)下田豊松伝説

          岩内町郷土館お宝・珍品展パート7  ~昭和46年(1971)~公開展示(最終回)

           岩内町郷土館開館50周年記念「郷土館お宝・珍品展パート7~昭和46年~」は、6月13日(日)までの開催としておりましたが、臨時休館となり会期が短縮となりました。今回その主な内容を公開展示として連載して参りましたが、いよいよ最終回となりました。  タイトルの写真は、郷土館初代館長の佐藤彌十郎氏(左)と、石山漁業の石山栄作氏です。長年共に戦ってきた老戦士のお二人の姿が、とても印象深い一枚です。  石山栄作氏は、岩内町の石山漁業経営者。昭和時代他に先駆けて、岩内から遙々遠洋

          岩内町郷土館お宝・珍品展パート7  ~昭和46年(1971)~公開展示(最終回)

          岩内町郷土館お宝・珍品展パート7  ~昭和46年(1971)~公開展示(第7回)

          平成20年(2008)4月、岩内町郷土館はリニュアルオープンしました。新たに完成した郷土館は、元の外観イメージをそのままに、新しく耐震性にも強く、生まれ変わりました。郷土館50年のうちの、13年が新しい郷土館で経過しています。 そして運営も新たに指定管理者「NPО法人ぱとりあ岩内」となり、マスコットキャラクターのキョードンも生まれるなど、より便利で親しみやすい施設として、現在に至っています。 リニューアルオープン後は、たくさんの方のご協力により、保津船の復元展示が実現した

          岩内町郷土館お宝・珍品展パート7  ~昭和46年(1971)~公開展示(第7回)

          岩内町郷土館お宝・珍品展パート7  ~昭和46年(1971)~公開展示(第6回)

          「郷土館お宝・珍品展パート7~昭和46年(1971)~」の公開展示、第6回目となりました。今回は少々時代をさかのぼり、毎年恒例のお宝珍品展ならではの、初出資料をご紹介いたします。 年齢50代以上の岩宇地区の方であれば、タイトル上の写真の場所が分かるかもしれません。スゴイ写真です。泊方面から神恵内方面へ向かう途中、このような断崖絶壁に、半洞窟の道が掘られ、橋がかけられている場所がありました! 現在は廃道となっていますが、遺構は残っているようです。 この写真の橋の上に、小さく

          岩内町郷土館お宝・珍品展パート7  ~昭和46年(1971)~公開展示(第6回)

          岩内町郷土館お宝・珍品展パート7  ~昭和46年(1971)~公開展示(第5回)

          岩内町郷土館開館50周年を記念した、本年度第一回企画展「郷土館お宝・珍品展パート7~昭和46年(1971)~」は、臨時休館により会期短縮となりましたが、この度こちらのページで公開展示をいたします。まずは50年前の岩内町の様子から。 『広報いわない』昭和46年6月号より。「北洋のサケ、マス漁に出漁する第18さち丸、第25さち丸、第5竜宝丸の3隻が、大漁旗をなびかせ5月10日、5色のテープ家族の声援を受け、函館に向けて出港しました」 北洋漁業の最盛期、勇壮な船出風景です。

          岩内町郷土館お宝・珍品展パート7  ~昭和46年(1971)~公開展示(第5回)

          郷土館お宝・珍品展パート7~昭和46年(1971)~公開展示(第4回)

          岩内町郷土館は、令和3年6月20日まで臨時休館となっておりますが、会期短縮となった第一回企画展「郷土館お宝・珍品展パート7~昭和46年(1971)~」をこちらのページで公開しております。 郷土館は昭和46年(1971)の開館から今年で50周年となります。平成20年(2008)には大改装しリニューアルオープンをしていますが、そのバラエティに富んだ、岩内独特の内容は、今も昔も変わっていないと感じます。 リニューアルオープン前の展示室の様子です。 有島武郎や俳人泉天郎の文学コ

          郷土館お宝・珍品展パート7~昭和46年(1971)~公開展示(第4回)

          岩内町郷土館お宝・珍品展パート7  ~昭和46年(1971)~公開展示(第3回)

          岩内町郷土館は、令和3年5月31日まで休館中、6月20日まで休館延長予定となっております。これにより、本年度第一回企画展「郷土館お宝・珍品展パート7~昭和46年(1971)~」の会期が短縮となりました。 昭和46年(1971)は、岩内町郷土館の開館した年であり、今年で50周年を迎えます。公開展示第3回目の今回は、50年前の岩内町の町並みの写真を展示いたします。皆様ぜひお楽しみ下さい。 昭和46年、ここは駅前通りの交差点。今の時代も変わらず営業しているお店と、なくなったお店

          岩内町郷土館お宝・珍品展パート7  ~昭和46年(1971)~公開展示(第3回)

          岩内町郷土館お宝・珍品展パート7  ~昭和46年(1971)~公開展示(第2回)

          岩内町郷土館はただいま臨時休館中ですが、6月13日まで開催予定であった「郷土館お宝・珍品展パート7~昭和46年(1971)」の内容を、こちらで公開展示しております。 上は、昭和41年(1966)11月5日付の北海タイムス。郷土館の名前が世に初めて出てきました。 「岩内郷土館建設促進期成会」の発起人会ということで、集まった最初の方々のお名前です。議会議員さんや教育者のみならず、岩内経済を回す諸産業の方々、マスコミまで、さまざまな立場の方が集まりました。 会の「設立趣意書」

          岩内町郷土館お宝・珍品展パート7  ~昭和46年(1971)~公開展示(第2回)

          郷土館お宝・珍品展パート7~昭和46年~を、公開展示いたします(第1回)

          令和3年5月28日現在。北海道の緊急事態宣言により臨時休館を余儀なくされている岩内町郷土館です。今年は開館50周年記念ということもあり、岩内町のこの50年の思い出などを合わせて楽しんでいただけるよう準備をいたしましたが、残念ながら会期短縮となりました。 そこでこのたび、このページ上にて企画展の公開展示をいたします。たくさんの方に楽しんでいただきたいと思います! 岩内駅。 まず、郷土館の生まれた年、昭和46年(1971)。この年、岩内町はどんな様子だったのでしょうか。当時

          郷土館お宝・珍品展パート7~昭和46年~を、公開展示いたします(第1回)