受験勉強で得られる3つの力①~「現代文」を学ぶ意義~
受験勉強とは学力を上げることだけではありません。
学力を上げたうえで、どのように長い年月の努力を数十分の試験時間に凝縮するのか。それも受験において重要な力だと思います。
単にどれほど問題が解けるかではなく、その生徒が「何を大切に」学習してきたのか、「何を大切に」生きてきたのか。上位校の入試ではそれすらも問いかける設問が少なくないです。
入試は、3年、6年、4年を過ごす学校と教員の先生方へ向けての、答案を通した自己アピールだと思っています。
受験に臨むうえで大切な3つのこと
①謙虚な気持ちで臨むこと
②自分を信じること
③全力を投じること
①謙虚な気持ちで臨むこと
これは、受験勉強で得られるもっとも大切な「学び」かもしれません。
勉強をすればするほど、自分の知らないことが世の中にはたくさんあり、自分よりもすごい人が数多くいるという事実を学ぶことになります。
だからといって「どうせ自分には無理だと」卑屈になったり、諦めてしまっては成長はありません。
できないことがたくさんある自分だからこそ、謙虚に、どん欲に成長しようとする姿勢は、大きく成長するために必須のものだと思います。
最もはっきり表れるのは「国語の現代文」
現代文なんて、個人の感性だ。感じ方に優劣なんてあるの?
って考えたことのある人もいるんじゃないでしょうか(私はそうでした)
「現代文」とは究極的には、本文には何と書いてありますか?(作問者は)どんな解答を求めていますか?ということを読みとる科目です。
あなたがどう思うか、どう考えたか、ということはほとんどの設問では求められていません。
私は受験勉強をするまで、そのことを理解していませんでした。
すべての問いかけに対し、自分で考えて答えを出すことが勉強だと思っていました。
もちろん、自分で考えることは非常に大切なことです。
勉強において自分で考えることが無意味だと言いたいわけではありません。
しかし自分だけでなく、筆者や作問者、そして過去の偉人たちはもっと深く、もっと突き詰めてその事実について考えてきたわけです。
そのことを考えず独りよがりに、「自分はこう思う!」なぜ?「こう思ったから!」という主張は、他者の意見や事実よりも、自分の感情や理屈を優先する姿勢に他なりません。
勉強、とくに受験勉強で学ぶことができるのは「謙虚になって他者の意見に耳を傾けてみる」、「客観的事実や先行研究を忠実に読み取ってみる」という学びの姿勢そのものです。
現代文の設問では何が求められている?
では、現代文の設問では何が求められているのでしょうか。
一般的な入試問題は筆者、作問者、過去の偉人たちはどのような意見を持っていますか?書いてあることが読み取れますか?ということを問うものです。
「そこには解答者がどう考えるか」が入る余地はないのです。
そしてその解答のヒントはすべて、本文と設問に書いてあります。
つまり「誰よりも公平に、知識を用いて理性的な目で、読み飛ばし読み間違いをせずに正しく読み取る力があるかどうか」を問うのが「現代文」だと思います。
さらにより難易度が高い問題では、そこに書かれている事実に関する、歴史的な背景や、周辺知識を求めるものがあります。
しかしここでも解答者の意見は求められていません。
あくまで先ほどの解答に、辞書的、資料的な知識を持ち合わせているかどうかを加えて問うものです。
そして最後に「筆者の意見を踏まえてあなたの意見を書きなさい」という設問に至ります。
これはどちらかと言うと「現代文」の能力というよりは、「作文・小論文」に近いものになりますが、ここでも採点上重要なのは、あなたの意見の部分ではなく筆者の意見を明確に読み取れているか、また簡潔に表現できているか、の部分です。
あなたの意見の部分は、のびのび書きたいことを書けばよいのです。
(もしくは書きたいことが思い浮かばなければ書きやすいことを書く)
しかし、皆さんが感じるように個人の意見に優劣はあるのでしょうか?
もしも筆者に賛成する意見のみに得点を与え、反対する意見には得点を与えないような偏った設問でありながら「あなたの意見を書きなさい」などという形式をとるとすれば、単なるいじわる問題と言えるでしょう。
ですから、最後の「あなたの意見を書きなさい」という設問でさえ、意見の中身は主としては評価の対象とならず、筆者の意見に対して賛成、反対という立場に背かない内容となっているかどうか、また漢字や文法、原稿用紙の使い方など、基本知識があるかどうかが問われています。
結局、一般的な記述問題を解答する場合と同じく、解答者の意見の立場や内容の優劣によって点数が大きく変わることはないと言えるでしょう。
日頃から生活する中で「自分なりに考える」ことは非常に大切です。
しかし、それが他者との共感を呼ばない、独りよがりな主張にならないように、客観的事実や、科学的な知識に背かないものにするために「勉強」はあると思います。
そうした謙虚な姿勢を忘れずに成長し続けられる人こそが、受験を通して大きな成長をできる人、結果を出せる人になると思います。
また、この勉強は子供たちだけが取り組むことではありません。
私たち大人も学び続ける姿勢を忘れないようにしたいものですね。
(つづく)
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