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古神道と言霊と星読みと【其の二】

「運命は自ら創る」


僕が大学時代に大学に通わなくなった大きな原因の一つですが、笑

当時に猛勉強をした安岡正篤先生の遺した有名な言葉です。


「運命」と聞くと

「運命のルーレット」とか(ZARDとコナンが懐かしい…)、

「運命の赤い糸」とか(これも『時計仕掛けの摩天楼』やん…笑)、

何か”決まりきったもの”のような印象はありませんか?


これに対して「自ら創る」とは、

文字通り「自由」な「創造」を意味しますよね。。


あれ?おかしい・・・

パラドックス?・・・。


たった一言の中に、何か深い意味が込められていることがわかります。


「運命」と「宿命」は違う!!


例によって、書籍からの引用を始めましょう!

いつも長くなるから皆さんを困らせてしまいますが。。m(_ _)m

我々の存在、我々の人生というものは一つの命である。その命は、宇宙の本質たる限りなき創造変化、すなわち動いてやまざるものであるゆえに「運命」というのであります。「運」というのは「動く」という字であり、ダイナミックを意味します。ところが普通は、「運命」ということをそう正しく学問的に理解しないで、きわめて通俗的にこれを誤解して、運命を我々の決まりきった人生の予定コースと解している。何年になったら病気をする、何年何月何日には火事に遭う、来年の正月には親が亡くなる、あなたは四月になったら転任するだろうと、というようなことを運命だと思っているが、そういうものは運命ではなくて「宿命」である宿はヤドであるから泊まる、すなわち固定的・機械的な意味を持つ。運命は運命であって、どこまでもダイナミックなものであって、決して宿命ではない、またメカニカルなものではない。

安岡正篤『人間学講話 運命を創る』より

続いて、別の本からも引用します。

「命」というのは、絶対性、必然性を表し、数学的に言うならば、「必然にして十分」という意味を持っている。自然科学は、宇宙、大自然の「命」、即ち必然的、絶対的なるものを、物の立場から研究して科学的法則を把握した。
人間も、人生そのものが一つの「命」である。それは絶対的な働きであるけれども、その中には複雑きわまりない因果関係がある。その因果関係を探って法則をつかみ、それを操縦することによって、人間は自主性を高め、クリエイティブになり得る。つまり自分で自分の「命」を生み運んでゆくことができるようになる。
我々が宿命的存在、つまり動物的、機械的存在から脱して、自分で自分の運命を創造できるか否かは、その人の学問修養次第である。

安岡正篤『人間学講話 知命と立命』より


一言で言うと「諦め」とか「他人任せ」とか、

「自分の意志で決めて動く/動かす」ということを放棄して、

ただ流されるままに生きているなんてのは、本当に勿体無い!と思います。


言うなれば、


自分の人生の主人公は自分であるのに、

スポーツ選手や有名人の「推し」に走ってしまったり、

”応援”というよりは”傍観者”に回ってしまうような有り様のことです。


そうだったな……
私は……
ただの傍観者にすぎなかったのだ…
私には何も変えることはできないのだから by キース・シャーディス

諫山創『進撃の巨人』より

シャーディス長官の最期の勇ましさには、

マガト隊長と共に強烈な印象で心を打たれました。R.I.P…


「星読み」は「命を知る」ためのもの


「星読み」「占星学」と聞くと、

あたかも決まりきった将来を当てる「占い」のイメージが付き纏います。


ですが、本来の意味合いとしては、

また安岡先生のお言葉をお借りするならば、

「命を知る」というところにあるのだと理解しています。

そこで「命を知らざるは以て君子たること無きなり」ということが、しみじみ分かる。自分というものはどういうものであるか、自分の中にどういう素質があり、能力があり、これを開拓すればどういう自分を作ることができるかというのが「命を知る」、「命を立つ」ことであり、それが分からなければ君子ではない。君子というのは今日の言葉で言うならば、いわゆる指導者、知識人ということだ。
(中略)
自分というものを知らないものだから、いわゆる心を尽くし、己を尽くさない。「命」を知らないものであるから、せっかくの人間に生まれて一生を台無しにする。

安岡正篤『知命と立命』より


「命を知らざるは以て君子たること無きなり」とは、

儒教の祖である孔子の言葉を纏めた『論語』の最終章に出てくる一節です。


「命を知る」ことの重要性がこれだけでわかりますが、


人には誰でも「生まれた瞬間に星々から受け取るエネルギー」があり、

その「個性」は「2万6千年に一度」しか訪れない特別なものです。


これを知らない手はない!ということで、

「星読み」の真の役割も見えてくる、というお話です!^ ^


「言霊(ことだま)=事霊(ことだま)」


『万葉集』の時代には、

「言霊」は「事霊」と表記していた

という事実がございます。


そこから「言霊は現実化する」「言葉がそのまま現実をつくる」

という「言霊信仰」が伺え、

言葉の持つパワーが畏れられていたことが読み取れます。


「畏れる」と「恐れる」とは漢字の表記で意味が違って、


単に「忌み言葉」を避けるとか、

「悪い言葉」は言わないでおこう、

という「悪影響」を恐れるのみならず、


「言葉は強力だから大切に扱おう」「言葉の使い方には気をつけよう」

という前向きな心がけも含むので、

「畏れる(畏まる)」の方が当たっているでしょう。

雪降る新年の「吉日」にこそ「予祝」!!


今日は一日中、私の住む滋賀県では雪模様です。

今年一番の寒波到来といった感じでしょうか。。。


そんな季節にいつでも思い出すのは、


4500首を超える万葉集の和歌の最後を飾った、

編纂者である大伴家持のこの一首!!


新しき年の初めの初春(はつはる)の今日(けふ)降る雪のいやしけ吉事(よごと)



詳しい解説は便利なネットにお任せするとしまして、笑


ここまでお読みならばもうお分かりかと思いますが、


「吉事(よごと)」は「寿詞(よごと)」と同じ


ということです!!


雪が降り積もるように、

善い言葉を重ねていくことで、

よき出来事をどんどん起こして参りましょう!!


本日のメッセージ:


「宿命」を「運命」に変えるには、まずは「言葉」から変えていく。

「運命」は「言葉」を通して「自ら創る」


お後がよろしいようで……。

お読みいただき誠にありがとうございます!!(^0^)

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