花咲くころ

『花咲くころ』 友愛と抵抗のダンス

少年が少女に愛を告白する光景を、偶然あなたが目にしたとする。他人事なのに、こちらまで緊張してしまう。かつての自分の記憶を、目の前の二人に重ね合わせるかもしれない。

しかし、その愛のしるしが、「少女を誘拐する」ことであったら…

岩波ホール創立50周年記念作品として上映されている、『花咲くころ』は、ジョージア(グルジア)出身の女性映画監督、ナナ・エクフティミシュヴィリと、その夫であるジモン・グロスによって撮られた映画だ。エクフティミシュヴィリの少女時代、1990年代前半の思い出をもとに、ストーリーがつくられた。

ところで、ジョージアには昔から行われてきた伝統があった。少年が少女に恋心を抱いたとき、少年は結婚のために少女を無理やり誘拐するのだ。古い考えによって、それは「少年が少女を本当に愛している証拠」として受容される。少女が結婚を拒否することは、ほぼ不可能であるという。いわば「強制結婚」である。伝統とはいえ、望まぬ結婚ののちに、花嫁が窓から飛び降りて死を選ぶ、というケースも存在したらしい。現在では殆ど行われていないが、この映画で描かれる90年代にはまだこの習慣が残っていた。

また、1991年にジョージアはソビエト連邦から独立したが、そのさいに新政権と反対勢力との内戦が起こっている。首都トビリシを中心に市街戦が繰り広げられ、多数の死傷者と膨大な難民を生んだ。その後、大統領が逃走し、戦いは小康状態を迎えたが、社会も経済も壊滅的な打撃を受けていた。

そのような重苦しい社会のなかで気丈に生き、友情を育む二人の少女が、この映画の主人公だ。芯は強いが思慮深いエカと、活発で勝ち気な性格のナティア。ふたりはともに学校で学び、あるときは喧騒にまみれた食料の配給所で協力しあってパンを入手する。大人たちは自分のことに精一杯で、他人を気にしていられるような時代ではなかった。混乱する社会のなかで、互いのことを理解し、助け合うエカとナティアの絆はいっそう強いものとなってゆく。

この映画について、少し意外な点がある。荒廃したトビリシの街が、非常に美しく描かれているのだ。季節は春、注ぐ木漏れ日、古風な白い石畳の街路、そして突然の驟雨。ハリウッド映画のくっきりした色合いとはちがう。水彩画のような、やや青みがかった映像によって紡がれるエカとナティアの日常は、清らかに澄んでいる。かの国でいちばん美しい季節を選んだのは、エクフティミシュヴィリ監督の確固たる意思である。たとえ国がぼろぼろに荒れていたとしても、そのなかで彼女は、そしてエカとナティアは、思春期のとても大切な時間を過ごした。エクフティミシュヴィリはふたりの交友を、それは丁寧に語ってゆく。シーン中のカット割りは一切ない。すべてのシーンがワンカットという大胆な映画である。このことについて、エクフティミシュヴィリはつぎのように言う。

「撮影している場所で映画を創り出すことが重要だった(後略)」(『花咲くころ』パンフレットより)

通常、撮影した映像を、編集室で継ぎ接ぎして完成するのが映画である。しかし、エクフティミシュヴィリは可能な限りその編集作業を削減した。私はそのことに、自分の、あるいは彼女たちの、ありのままの思春期の姿をできるだけ誇張なしに表現したい、という気持ちを感じる。

さて、物語は、とある出来事からナティアが一丁の拳銃を手に入れることで動き出す。そして、ナティアは拳銃をエカに渡すのだ。じつはエカの父は罪を犯して刑務所に入っており、そのためにエカ自身がいじめにあっていた。「拳銃を使って、いじめっ子たちを威嚇してやればいい」ナティアはそう勧めた。しかし、冷静なエカは、拳銃を受け取るものの、ナティアの言う通りには使わない。

そのうちに、悲劇が訪れる。冒頭で説明した、誘拐が行われるのだ。標的となったのは、ナティアだった。不良グループのリーダーの少年に一方的に好意を寄せられていたのだ。車で連れ去られたのち、強引に結婚を承諾させられる。そのために学校も退学し、家に閉じ込められたナティア。彼女は他に好きな男の子がいた。しかし、彼女の意思はそっちのけで、大人たちによって結婚式が執り行われる。

結婚式に出席したエカは、花嫁のナティアが浮かべる作り笑いを見て、悲しい気持ちになる。しかし、諦念によって感情を捨てた花嫁は、エカに目配せをし、「祝ってくれないの?」と尋ねる。意を決したエカは、厳しい表情のままジョージアに伝わる男性の民族舞踏を披露する。その素晴らしいダンスに歓声を送る人々。しかし、彼女には周囲の声などまるで聞こえていない。彼女があえて男性の舞踏をチョイスしたのは、自分たちの境遇に対する慎ましい抵抗である。エカは感情を失った花嫁の言葉を代わりに語るように、ただひたすらに踊るのだ。この3分にも及ぶワンカットのダンスシーンがとても美しく、切ない。

そして、エカが隠し持つ拳銃の存在。これが物語の終わりに誰の手に渡るのか。実際に映画を観てほしいので、ここではあえて触れない。この清冽な作品に相応しいラストだった、ということだけを書いておこう。内戦と古い慣習、それらに締め付けられながらも、自分たちの思春期を生きようとする少女。現実に対する葛藤といらだち、それに抗する深い友情。ナナ・エクフティミシュヴィリ監督の思いが刻まれた、素晴らしい映画だった。

write by 鰯崎 友

『花咲くころ』監督:ナナ・エクフティミシュヴィリ、ジモン・グロス 2013

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