自分らしく生きる|わたしが「ババア」になりたい3つの理由。
人生100年時代、あなたはどんな高齢者になりたいですか?
わたしがなりたいのはいわゆる「ババア」です。
どういうこと!?と思ったそこのあなた、この記事を読んで「ババア」への偏見をなくしてみませんか。
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初めに:「ババア」になりたいってどういうこと?
「ババア」という言葉の持つ強さに、ぎょっとする方もいらっしゃるでしょう。
それもそのはずで、辞書で「ババア」という言葉の意味について調べてみると、
成人女性、特に高齢女性に対する侮辱した呼称。酷い蔑称の意味を含む表現に用いられる。
と書いてあります。
もちろん他人様に「このババア!」なんて言うのは言語道断。
しかし、他人に向かって「ババア」と侮辱の言葉を浴びせるのと、自分で「ババア」であることを誇りにしているのとは、精神的にはかなりの差があると思うのです。
「ババア」とは何者なのか
それではまず、「ババア」という言葉にはどんなイメージがあるのか振り返ってみましょう。
ざっと思い返してみても、「クソババア」や「鬼ババア」など、「ババア」に関する派生言葉は結構ありますね。
どれもひどい言葉だと思います。
これらの蔑称から想像できる「ババア」像は、皺だらけの外見にみすぼらしい格好、その他「若い」という美点を取り払ったもの…とイメージできるでしょうか。
そのように整理してみると、「ババア」という概念は、「若くて美しい女性」とは対極にあることがわかります。
また、口が悪かったり愛想がなかったりと「なんでも受容してくれる(都合の)いい女像」とも対極にあると言えるでしょう。
つまり「ババア」とは「男性たち」にとって
・若くて美しい(セックスをしたくなる、性的欲求を呼び起こす)女性
・優しく受け入れてくれる(都合の良い、従順な)女性
とは正反対にある、
自分たちに都合の良くない存在、であるとも解釈できるでしょう。
「男性たち」というのは
そのまま「男性優位の社会」という言葉に置き換えることもできます。
ということは、「ババア」と呼ばれる女性たちは、単に男性優位の社会から逸脱している存在である、というだけなのかもしれません。
……ここまで考えてみると、「ババア」というのはそんなにも忌まわしい存在なのでしょうか?
そして「ババア」に分類されるということは、蔑まれるほどに悪いことなのでしょうか?
「ババア」になりたい3つの理由
ここからは、私が「ババア」になりたい3つの理由について説明していきたいと思います。
理由① 誰にも媚びていない
「ババア」は誰にも媚びません。
だから自分の意見を忌憚なく言うし、嫌いな人間に気を遣うこともありません。
人に媚びないというのは、意外に難しいものです。
誰だって、多少は相手に「よく見られたい」という想いを持っているから。
相手に「よく見られたい」から媚びるのであって、その点、「ババア」には「他人からどう思われるのか」という一種の浅ましさが感じられないのです。
自分は自分。人は人。
そう思っているから、「ババア」は誰にも媚びず、強くいられるのだと思います。
理由② 自分のために生きている
「ババア」はちゃんと、自分のために生きています。
自分勝手に生きているという意味ではありません。
自分が何を求めているのか、本当はどうしたいのか、きちんとわかっている人種なんです。
だから何歳になってもチャレンジ精神が旺盛だし、年齢を重ねることに対してマイナスなイメージを持っていません。
「ババア」には、年齢は単なる数字でしかないのです。
自分の好きなものを食べ、自分の好きなものを身にまとい、自分の好きな生き方をしているのが「ババア」です。
理由③ 愛したいものを愛している
「ババア」は自分が何を愛するのか、自分で決めることができます。
口は悪いかもしれませんが、愛する者たちには最上級に愛を振る舞っています。
それも単に甘やかすのではなく、きちんと世の中の厳しさを教えてくれる存在なのです。
愛したいものを、愛したい形で愛している。
これがまさに、「ババア」の理想型なのかもしれません。
「女」の呪いをといた「ババア」たち
こうやって整理してみると、「ババア」というのは「魔女」という概念に近いかもしれません。
ここでいう「魔女」とは、おとぎ話に出てくるようなそれではなく、普通の人とは少し違うけれど、それぞれにしかない力を持ち、自分の生活を築き上げている人々のことを指します。
しかし、長い歴史の中で、彼女たちは必ずと言っていいほど迫害されていました。
それは、彼女たちに「人とは違う」自分だけの生き方があるからだと思っています。
「魔女」たち、「ババア」たちは、「女はこうでなければならない」というくだらない呪いを颯爽と解き、そこから解放された最強の人類なのです。
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さて、「ババア」キャラで思い出されるのは、『天空の城ラピュタ』に登場する女海賊ドーラや『千と千尋の神隠し』に出てくる湯婆婆などでしょうか。
(ジブリ作品には、魅力的な女性キャラクターがたくさん登場しますね!)
ドーラは若い頃はとても美しい女性でしたが、現在は恰幅もよく、鉤鼻やギョロリとしたその目は、いわゆるオーソドックスな「ババア」といった感じ。
沢山の息子たちを部下として従えています。
ワイルドで、タフで、溢れ出るリーダーシップとカリスマ性。
正直、めっちゃ格好良いです。
一方の湯婆婆はどうでしょうか。
彼女も魔女そのものといった恐ろしい顔をしていますし、ドーラ同様「ババア」と呼ばれるにふさわしい外見です。
それに、ルールを破った者を豚にしたり、引き裂いたりと、なかなか容赦がありません。
さらに我が子を過度に甘やかす「毒親」としての一面も持っています。
しかし有事の際には率先して従業員を守り、「働きたい」と望む者にはチャンスをあげるなど、優秀な経営者としての顔も目立ちます。
そんなドーラや湯婆婆に対し、「女のくせに」とか「女はこうであれ」なんて無粋なことを言ってくる奴らは皆無です。
確かに彼女らは若くもなく、スリムでもありませんが、好きな宝石を身につけたり、気に入りの髪型にしたり、自分のためのおしゃれを楽しんでいます。
そこには「女としての役割」から解放され、「女」のレッテルをはねのけた者たち特有の、強さと美しさがあると思うのです。
誰にも媚びず、すっくと両足で立つ。
そして、愛するものを愛する。
そんな「ババア」になりたい、と私は切に願っています。
まとめ:「ババア」はカッコいい
まとめてみると、「ババア」とは
「自立していて、誰にも媚びず、自分が何を愛しているのか、どう生きていきたいのかきちんと理解している人」という定義になります。
それが、「社会にとって都合の良い女性像」という呪いを解いた人たちの真の姿ではないのかな?とわたしは思うのです。
人生100年時代、わたしたちはその多くの年月を、いわゆる「若くない」時期として過ごします。
しかし、若さだけが本当に正義なのでしょうか?
わたしは年齢を重ね、「ババア」にメタモルフォーゼした時、本当に輝けるのではないか?と今からワクワクする気持ちでいっぱいなのです。
逆を言えば、後悔のないように年齢を重ねていくことの重大さ、のようなものもひしひしと感じています。
まだまだ30歳の小娘、「ババア」になるために修行中です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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