新型コロナウイルスは私たちの価値観をどのように変えるか ~発達障害を例に挙げて~

 最近、世界の話題は新型コロナウイルス一色である。実際、コロナの影響は、健康、経済、政治、移動、生活など、多岐にわたる。では、コロナは、我々人間の「価値観」に対して、どのような影響を及ぼすであろうか。今回は(人間関係考察は一旦脇に置いて)それを考えてみたい。

 ある新しい概念が、人々の価値観に大きく、不可逆な影響を与えることがある。例えば、「発達障害」という概念が我々の価値観をどのように変えたのかを振り返ってみよう。

 発達障害という概念がこの社会に広まる前、いわゆる発達障害の特性を有する人たちはどのような生活を送っていたのだろうか。おそらく、彼らは現代と同じように、社会生活を円滑に営めなかったり、普通の人よりも苦労しながら生きていたと予想される。「なぜ自分は他人と同じように当たり前のことができないのか。」「周りがあいまいなことばかり話して、本当に何が言いたいのか全く分からない。」という悩みを抱えてきたはずだ。

 そして、病院で「発達障害」と診断されることにより、「それまで自分が抱えていた悩みは、自分が悪いのではなく、障害のせいなのだとわかってスッキリした。」という話はよく聞く。もちろん、ショックを覚える人もたくさんいるだろうが。このような意味では、この世にずっと存在したが、誰からも認識されていなかった人たちが定義され、認識されるようになり、他者から配慮を受けやすくなったといえ、良いことであったといえる。

 しかし、この概念は私たちの価値観を大きく変えてしまう。つまり、これまでは「ちょっと変わった奴」「不思議ちゃん」「要領の悪いやつ」程度に思われていた人が、「お前は発達障害の可能性があるから病院に診てもらえ」と言われる・思われるようになってしまったのである。

 「真の名前を知られると呪術の対象となるので、本名は隠す」という発想が古今東西でみられる。まさにこれと同じで、彼らの性格・素質に名前が与えられ、人々に知られてしまったが故に、彼らは呪いをかけられてしまったのだ。

 この「発達障害」という概念は、これまでただの「ちょっと変わった人」に対する私たちのまなざしを決定的に変えてしまった。そして、この概念を知ってしまった我々は、もう二度とそれを知らなかった世界には戻れないのである。

 さて、では今回のコロナ騒動が私たちにもたらした新たな概念とは何であろうか。それは、「スーパースプレッダー」である。

 「スーパースプレッダー」は、各国が2000年代のSARS(重症急性呼吸器症候群)に係る感染拡大経路の調査を行った際に発見された事象のことで、「多くの人への感染拡大の感染源となった患者」を指してこのように名付けられた。私は知らなかったが、今回のコロナ騒動で盛んに報道される中で知った。そういう人は多いだろうし、今は国民のほとんどが知っている概念だろう。

 「スーパースプレッダー」という概念については、当初から多くの有識者が批判をしている。その内容は、「本来、治療の対象となり、慈しまれるべきである患者について、まるで感染拡大の責任を負う悪者のようなレッテルを貼ってしまう。」という点である。

 これについては、私も同意する。「スーパースプレッダー」という概念は、あくまで感染拡大の現象を事後的に検証する上で用いられるべきものであると思うが、現実には、誰が誰にうつしたのかということをリアルタイムに追及し、それを事細かに報道している。これは、「いつ自分が罹患するか」という不安を抱えている私たちからすれば、犯人捜し以外の何ものでもなく、いつか自分も「スーパースプレッダー」になる可能性があるのではないかと考えてしまうのだ。(さらには、「スーパースプレッダーとなりうる者とそうでない者の違いを研究する」というのだ。そんなことを調べてどうするのか。パンデミックの恐れが生じたら、その特性にあたる者をあらかじめ強制隔離でもするのだろうか。)

 そして、このような考えが自分にのみ向けられるものであればいいのだが、人間はどうしてもこの考えを他人にも適用する。具体的にいうと、感染者が発生した場合に「Xさんが前から体調が悪そうだったから、Xさんからうつされたのだ。」と噂したり、電車の中で少し咳をしただけでにらみ付け、距離を取ったり、舌打ちをしたりする、という行動をするようになる。

 本来、自分が罹患していると認識しつつ、人にうつす目的をもって出歩く愛知県の死亡した男性のような場合を除き、感染症の流行は個人に責任を求めるものではない。うつるかどうかは、うつす側の問題ではない。うつる側の抵抗力の問題である。どんなに気を付けたとしても、誰にでも起こりうる問題について責任を求める社会は生きづらい。

 しかし、私たちは「スーパースプレッダー」という概念を知ってしまった。もう、誰も知る前には戻れないのである。ちょっと具合の悪そうな人を見かけても、「お大事に…」と思えなくなってしまったのである。お互いがお互いをスーパースプレッダーではないかと疑い合う地獄が始まった。

 多くの人はコロナに感染しても健康に戻る。経済もいつか回復する。政治は落ち着き、人々は外に出られるようになり、マスクもトイレットペーパーも普通に変えるようになる。しかし、「スーパースプレッダー」という概念による私たちの価値観の変化は、二度と元に戻らないのである。

(以上)
またいつか、「現代日本人の公共観に関する問題」について書きたいと思っています。

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