見出し画像

エンディングの先が見えなくて見たくて見ようとして書きはじめて

プレイステーション5が話題の昨今。
しかし我が愛機はプレイステーション4である。
しばらく変更の予定もなく、少なくとも「ドラゴンクエストビルダーズ」の続編が発売されるまでは生涯現役でいてもらおうと心に決めている。

プレイステーション4を購入したのは四年ほど前のことだった。
ひとり暮らしの私はテレビを持っていない。だからゲームは好きでもPS VITAや3DSでお茶を濁していたのだが、プレステ2以来ご無沙汰の据え置き機が恋しくなってきたとある年末、モニターと一緒に導入に踏み切った。

その時ついでとばかりに一緒に買ったソフトは「ドラゴンクエスト11」(3DS版をやらせておいて後年Switchであれこれ追加され更にそれがPS4に移植されるなんてノストラダムスじゃあるまいし予想できてたまるか)。
それと、「Life is Strange」(以下LIS)であった。





何故、LISだったのか。
好きなゲームブロガーさんがプレイ日記を公開していて、毎晩、寝る前にどきどきしながら読んでいたからである。

つまり、内容はほぼ知っていた。
にも関わらず、自分で体験したいと思わせるほど、LISの世界は魅力的に思えてならなかったのだ。

もう一つ。
それまでいわゆる洋ゲーをほぼやったことがなかったため、かてて加えて最近のゲームの傾向もさっぱりだったので、ちょっとお試し気分で、というのもあった。
面白いゲームだろうとはブログで想像がついたし、まずプレステ復帰戦から損をすることにはならないだろうと打算が働きもした。





LISの内容について簡単にふれる。


主人公は写真家を志す少女。
あこがれの写真家が講師を勤めるアートスクールに通うべく幼いころ住んでいた街に戻ってきたら、引っ越す前しょっちゅう一緒にいた親友と再会。
喜びあうのも束の間、主人公は不思議な現象に巻き込まれる。
カメラを使って時間を巻き戻せるようになったのだ。
それだけならラッキーな話なのだが、時間を操ることで過去を変える行為に代償はつきもの。
また幼なじみの変貌もあって、主人公は今いる時間と、幼なじみとともに過ごせなかった時間とのはざまで苦しむことになる。
しかしそれは彼女だけの問題に留まらなかった。


だいたいこんな物語。
選択肢ひとつでちょっとストーリーの流れが変わったり、特にエンディングは大きく二つに分かれるのが見どころだ。
アクション要素もなく(今「ニーアオートマタ」で苦渋を舐めている)、芸術センスが問われることもなく(「ドラクエビルダーズ」シリーズはエンディング後が本番の上にはまったら時間がどんどん溶けていく)、バランス感覚やコントローラー操作技術も必要ない(デススト)。

LISは今年二〇二〇年の三月に続編が日本でも発売されたが、ストーリーだけ変わってそれ以外はほぼ前作のまま。
ただ、ビジュアルはより美しく、どの場面でもついスクリーンショットを撮りたくなるほど。
まるで写真集のようだ。ビルダーズで地形を作るときの参考になる……とういのはまた別のお話。

LISに話を戻す。

ネタバレをなるべくせず簡単にまとめると、これは、
「写真家を目指す主人公と、その幼なじみとの、ちょっと不思議な友情物語」
である。





LISは分岐に分岐を重ねていくシステムだが、クライマックスでは二択のうちひとつを選ばなければならない。
ここが最後の分岐点。どちらをとるかでエンディングも変わる。

私は周回して両方のエンディングを観たが、正直なところ、どちらも捨てがたい。
だが、シナリオの整合性とか倫理観を取り払ってしまうと、あの物語のおわりはこれ、としか思えず、数回プレイしたにも関わらず片方のエンディングは一度しか選んでいない。

それからはLISのことばかり考えて過ごした。

というのは言い過ぎだが、何かにつけ、LISを思い出しては最初からくりかえしくりかえし物語をたどり、あのエンディングを眺めていた。
その間にも別のゲームをプレイしていたのに、LISほど心うたれるものには出会えずにいた。
だからLISに戻るしかなかったのだ。





しかしついに限界が訪れた。


エンディング。

その後、どうなるの。
あの後、どうなってしまうの。


その限界を超える術なんてあるだろうか。


あるじゃないか。

あるじゃないか。


二次創作があるじゃないか。



そうして私は限界を突破したのである。

エンディングのその後を想像して、小説にする。
そんなかたちでとうとう二次創作をはじめたのだ。





それまで二次創作と無縁だったわけではない。
さまざまなジャンルの虜になる度、二次小説やマンガをあさっては伏し拝んできた。

だが、あくまで読み手としての参画であった。
まさか自分が書くがわになるとは、何故だか考えたこともなかった。


理由のひとつとして、小説やマンガを創作はしないけれどもまずまず近しい趣味に興じていたので、というのは言えると思う。
これはこの私ですら躊躇するレベルの闇歴史の頂点。いずれ告白するその日までもうちょっと時間をください。


ともかくも、文章を書くことそのものは日常的ですらあったし、キャラクターのセリフや特徴を掴むのもあれだけゲームプレイしていれば何とかなりそうだったし、問題があるとすれば舞台がアメリカのシアトル周辺(確か)なのでそのあたりの地理や文化をまったく知らないことぐらい。
そこはインターネットの恩恵に存分に浴しながら対応できそうだった。

どういう話にするか、というか、エンディング後に、主人公ふたりにどうなってほしいかはもう頭にあった。


あとはとりあえず書いてみるだけ。

だから、その通りにした。


スマホのテキストエディタ(例の闇歴史のために日頃から愛用していた)にぽちぽちと書きはじめた。
途中で地図を検索したり、車のブレーキは右か左かを調べたりしつつ、ともかくも書いた。
二日ぐらいをかけて一万字ほどの小説を書きあげ、さらに二日を推敲に費やし、完成した。
Pixivに投稿をしたのはその翌日だったと思う。

こうして公開にまでもちこんだ私の二次創作小説の処女作は、百合であった。





先に、私は「LISは友情物語」と記した。
しかしながら、原作のストーリーのそこかしこに、友情でおさまらない要素や雰囲気が見受けられた。
肝心のエンディングまで来るとどうにも友情の度を越している気がしてならなかった。

その後、私はいくつかのジャンルを腐らせていくことになるが、LISに限っては原作準拠ですと胸を張って言える。





何にせよ、LISのおかげで二次創作をできないわけではないと知り、同時に、くだんの闇歴史に終焉をもたらすに至った。
それからLISをもう一本ほど書いたころ、新作ゲーム「デトロイト ビカムヒューマン」にちょっと遅れて手を伸ばし、そこからはひたすらこのゲームを腐らせる狂おしい日々へと移行した。
ツイッターで字書きさんの企画に参加したこともあり、八月から十月までの間に両手の指の数ほどの小説を書いては公開していた。

そのあいまにLISをもう一本だけ書き、ちょうどキリが良い終わりかたをしたので、いったんそこで終了、とした。

秋にはデトロイトでの活動をおさめて、ジャンルを移った。

ガンダム00なんですけどもう十年以上も愛してやまないカップリングが今もってあまりにマイナーすぎて下手をしたら自分以外にその書き手さんがいない孤独にはもう慣れました。最近そちらを書いていないけれどLISもデトロイトもここにこそ到達するまでの布石だったと信じているからまた書きたい。





私が二次創作小説をはじめるきっかけになったゲーム、Life is Strange。
主人公は写真家を目指しているぐらいだから原作ではカメラ技術の話も出てくる。

主人公が好む分野は「セルフィー」である。
つまり、自撮り。

これはやや強引かもしれないが、私が二次創作をはじめたそもそもの理由は、見えないエンディングのその後を見たかったからである。
それは自撮りに通じはしないだろうか。
自分というものを、ひとは見ることができない。
鏡にうつっているものは左右対称だったり、結局は己の視線や意識を通すので、見たいものを見たいように見ているといっても過言ではない。
自撮りも、角度や何やらを調節してあらかじめフィルターをかけてはいるけれども、機械を扱う以上、予期せぬ結果を突きつけられることもあるだろう。

二次創作を始めてから、書くほどに、私もそれを体験している。
書いたもののなかに見たくなかった自分がいたりする。
時には、何故、こういう話なのだろうと我ながら不思議に思うこともある。
あまり読み返すことはしないが、じっと思い出してみると、ああ、そういうことか、とひとり勝手に腑に落ちたりもする。
無意識のうちに何か書くべきものを書いている。
こういう場面が書きたくて、とか、このセリフを言わせたくて、とか、最初に頭にあるのはそういう断片だが、いざ書きあげたとき、現実では押し殺しているぶちまけてしまいたいものが綻びのように、でもしっかりと全体を通してあからさまにはみでてしまっている。

だからか私の話はだいたいが薄暗く、あまり幸福ではない。扱うキャラクターやシチュエーションはほぼマイナー。
書きはじめたころのデトロイトは王道だったが、だんだん自分の向きあいたいものがわかるにつれて、読者数は減っていった。
それで構わなかった。
もしもまたデトロイトを書くならカムスキーです。カムスキー好きーです。





いつからかそういった傾向に気づいて以来、二次創作をはじめてづくづく幸運だったとかみしめっぱなしでいる。

そのきっかけになったLISの存在は、だから、特別というよりも特殊なのだ。





もうずいぶん前に引退なさったが、とても好きな二次創作の字書きさんが、こんなようなことを仰っていた。

自分は別にほもが好きなわけではなくて、ただその二人にとって互いしかいないぎりぎりの関係性やその二人だけしか分かちあえない限りある世界や時間がただただどうしようもなく愛おしくて、今日もひたすらほもを書いている。

そのころ私はまだ二次創作の読み手でしかなかったけれども、当時でさえ頭痛がするまで首を縦に振りつづけたものだった。
まこと僭越ながらいついつまでも師匠と呼ばせて頂きたい。





Life is Strange.

どう日本語に訳したらいいだろう。
奇妙な人生。生きることは不思議なものだ。
なかなかしっくりくる訳が浮かばずに、strange って r をつけると「見知らぬ人」になるよなあ、とか考えてしまう。


生きているといろんな人とすれ違う。
そこから友人になることもあれば、そのまま素通りしたきりであったり、しかも後者のほうが圧倒的に多い。

それが普通なのだ。strange ではまったくない。

でも、じゃあ、どうして他人って世の中にあふれているんだろう。
そして、出会いは何故、なんのために、起こるのだろう。





ひとりひとりが生きているあいだの、書くことは、関わることは、語ることは、つくることは、ふれることは、選ぶことは、決めることは、なにもかもが思いがけないこと。

Life is Strange.

この短い一文を私がうまく訳せる日は、どうもかなり先のいつかになりそうだ。


この記事が参加している募集

習慣にしていること

心に残ったゲーム

サポートして頂いたぶん紅茶を買って淹れて、飲みながら書き続けていきます。