いとくず

恥の多い生涯を送りそうです。

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  • 不器用な人類たち

    連載小説、愛おしい不器用な人類たちへのラブレターでもある。

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最近の記事

「生きる」こと

毎日このくらいの時間になると魘される。 「明日もちゃんと学校に行かなきゃ」 「学校に行って、卒業しないと」 別に学ぶということが苦なのではない。 むしろ私にとって学ぶことは、 何よりも楽しいことなのだ。 宿題がすきとか、勉強が好きとか、 そういう事ではなく。 今まで出会ったことの無いことを知るという行為は本当に楽しい。 新しい知に出会う、これが楽しい。 ただ、私は人とコミュニケーションを取るのが非常に苦手だ。 何をどうすればうまく人とコミュニケーションが取れるように

    • 明日になったら

      明日になったら前向きな気持ちになれる。 明日になったら死にたいなんて思わない。 明日になったら… 明日になったら……。 何度そう思ったんだろう。 気づいたらもう20年以上も生きていた。 体や歳は大きくなっても 私の心は5歳くらいで成長が止まっているように思えてしまう。 「大人になるって妥協が上手になるってことだよ」 酔っ払った友人がハイボール片手にそう語っていた。 妥協ねえ、そう思いながら氷を弄んでいた。 思えば私は妥協なんてものが死ぬほど苦手だ。 というか妥協するくら

      • case1:二浪した女学生

        私は今年の夏で21歳になる。 が、今年の4月にようやく桜が咲いた。 長い長い冬だった。 辛くきつい冬だった。 小さい頃から、欲しいものはなんでも買ってもらえた。 あれが欲しい、これが欲しい。 あれがしたい、これがしたい。 なんでも両親は叶えてくれた。 「夕飯を一緒に食べる」こと以外は。 父も母も医者だった。 医学部時代に出会い、結婚したらしい。 たくさんの人を助けたかった母は医局に務め、人の命に直接に関わることが怖かった父は歯科医を開業していた。 家に帰ると1人。 だ

        • はじめに

          これは実際に起きたことかもしれないし、違うかもしれない。と最初に言っておこう。 私の周りには、私を含め生きるのが苦手な人が異常に多い。類は友を呼ぶの言葉の通り、呼んでいるのかもしれない。みんな不器用なのだ。 幸せになりたいのに幸せになれない。なんなら周りを不幸にしてしまう。頼りたいのに頼れない。甘えたいのに甘えられない。天邪鬼が多いのだ。 一般的に見たらとてつもなくめんどくさい人達なのかもしれない。しかし私にとっては愛おしくてたまらないのだ。 好きな人のために可愛くな

        「生きる」こと

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        記事

          珈琲と砂糖と君と。

          私には「腐れ縁」と呼ぶに相応しい存在がいる。 「友達」と呼ぶには、親しすぎる。 「恋人」には絶対になれないし、それよりももっと大切な存在だ。 「家族」と呼ぶのは少し違うが1番近いのかもしれない。 「友達以上恋人以上家族未満」。 表す言葉がないから「腐れ縁」とか「幼なじみ」とか適当に言っている。 同性ではない。 だが、同性の友達以上に心を開ける。 私が鬱になろうとも、パニック障害になろうとも彼は動じなかった。 この事実を伝える時私は声がおそらく震えてたし、号泣していたと思う

          珈琲と砂糖と君と。

          新釈 走れメロス 他四篇

          京都を舞台に愛すべきダメ大学生たちを主人公にした連作短編集だ。 山月記(中島敦)、藪の中(芥川龍之介)、走れメロス(太宰治)、桜の森の満開の下(坂口安吾)、百物語(森鴎外)の5作品をリブート作品である。 どの話も本当に愛すべきクズたちの物語だ。 歴史的なモラトリアムを得て、去っていく友人達に「さらばだ、凡人諸君」と見送り続け、己の才能に溺れ終いには弘法大師堂の天狗となった齋藤秀太郎。 彼女を撮るということに快感を覚え、元彼との復縁話の脚本を描き実際にその映像を作ってし

          新釈 走れメロス 他四篇

          新学期

          今年も1年が始まってしまった。 令和元年度の学校がついに始まってしまった。 初々しい1年生たちが私の専攻にも入ってきた。 キラキラした目を輝かせていた。 これからこの大学での生活がそんなに楽しみなのだろうか? 私はどうだったかな。 なんて思いながら1年生の自己紹介を聞いて茶々を入れていた。 桜は満開だが、私の心に春はまだ来ていない。 今年も憂鬱な1年が始まった。 やりたい事のために今年はどのくらい頑張れるかな…なんて思いながら キラキラ輝く若者に負い目を感じて俯いた。

          変身 カフカ

          「一体この話はなんだったのか?」 この本を読み終わって最初に感じたことはこれだった。 主人公 グレーゴル・ザムザはある朝起きたら巨大な虫になっていた。新鮮な食べ物は不味く感じ、腐った食べ物を美味しいと感じる。ムカデにも似たその姿で歩いた後には不思議な液体。 物語の中で何故彼がこのような姿になってしまったのかは一切説明されていない。 彼は何か罪を犯したというのだろうか? 物語の中で描かれていた変身前の彼は、家庭を支える青年で彼がいないと家庭が成り立たないと言って

          変身 カフカ

          人間失格

          「恥の多い生涯を送ってきました。」 この冒頭の一文は、自分という人間を否定し続けた私を物語に引き込ませるのには十分すぎる魅力を放っていた。 私は幸せという気持ちがわからない。 概念としては理解しているのだが、どうにも自分が幸せであるという感覚がないのだ。 全くもってないという訳では無いし、過去に「嗚呼、なんて幸せなのだろう。このまま時間が止まってしまえ…」と幾度となく思ったこともある。 だがここ4~5年は、自分が幸せを感じてしまうことに対して罪悪感を感じてしまうのだ。 自

          人間失格

          普通

          「いろいろといっちゃってる子です。普通の子じゃないです、やべぇやつです。」 こんな感じで紹介されることがしばしば。 通常運転で生きてきただけなのにおかしいな? くらいには思いますし私も一応人間なので、 心はある。 傷つきもする。 やべえのニュアンスにどうも良いものをみいだせない。 それはきっと義務教育9年間で染み込んだ 「出る杭は打たれる」 「目立ったらいじめられる」 のおかげであろうか。 悲しいものだ、なにか人と違ったことをするだけで変な人!と指を刺されてしまうのだ