見出し画像

<BACK NUMBER>「ユルゼミノススメ!」+憲法「政教分離原則」

みなさん、こんにちは。

年度末で、お仕事に家事に行事に忙殺される頃ですよね。

いかがお過ごしですか?



伊藤塾では、合格ゼミ等が始まる時期、講師陣は準備に余念がありません。

…そんな時、「髙木さん、受講生に戻ってみない?」と、社内でお声がけが。

「ついに!?…ゆるすぎて、行政書士試験科、出禁??」と不安になりつつ、連れていかれたのは収録部屋。そこには、テキスト校正班の優等生Sクンも。

平林講師&高木&Sクンと、横並びに座らされました。



「合格ゼミのご案内動画、収録スタート!」

「体験ゼミ、やりますよ~!はい、そこの方、法定地上権の要件、4つ、わかりますか~?」にっこにこの藤田講師に、楽しく誘導されます。

「えっ!しまった!そういうこと!?えっと…汗(まずい、浮かばない!マイページの回答、藤田講師やSくんと書いてるのに!)」

「抵当権じゃなくて?法定の…地上権??」、焦る高木を横目に、平林講師はすっとぼけ続けます。

「はい、4つですね。えっと~笑」、正答を絞り出すSクン。



ここからは、収録の総評。

講師やスタッフでも、絞り出すんです。絞り出せないことも多いです。

時には恥ずかしいと思うことがあるかもしれない、でも、それでぐっと力がつくんです。

2度と忘れませんから笑



一方で、仕事に家事に子育てに介護にと、ゼミへの参加が難しい方も多いですよね。

私自身も日々の生活に追われ、ゼミは雲の上のぜいたく品でした。

そのような時は、経験上、「ユルゼミ」を勧めます。

そう、ひとりごちるユルいゼミ。「ユルゼミノススメ!」

いつでもどこでも参加可能、開始可能、退出可能!
家人(法律かじってる人)に向かって「〇×△~?」と唱えると、「え、なんかまちがってない?私人間効力を論じる意味、わかってる?」と突っ込まれ。

高校生の息子に向かって「□$%~?」と唱えると、「え?念仏か?法律って、俺らのためのルールだよね。俺らにわかるように説明できなきゃ、意味なし笑」と。ごもっとも。

しまいには、壁に向かって唱える…涙

でも、こんな調子でユルゼミを続けると…人に説明できるくらい、知識が定着するんです!

特に民法、だまされたと思って、お試しあれ!

あ、お時間に余裕のある方は、是非、合格ゼミに参戦しましょうね!


さて、ユルっとチリツモ作戦!

Q.地方公共団体が、靖国神社に玉串料等を奉納する行為は、両者のかかわり合いが相当とされる限度を超えており、違憲な公金支出である。



さて、この記述は、〇か×か、どちらでしょうか?

制限時間は15秒!







…はい、15秒!




正解は、〇!



判例は、愛媛県による靖国神社への玉串料等の奉納は、その目的が宗教的意義を持ち、その効果が特定の宗教に対する援助、助長、促進になると認められ、それがもたらす県と靖国神社等とのかかわり合いは、我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものであって、憲法20条3項に反するとしています(愛媛玉串料訴訟)。



まずは、条文を挙げてみましょう。

第20条

1項 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

2項 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

3項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。



ご存じの通り、日本には、明治憲法下で神道を国教とし、軍国主義に利用していたという苦い歴史があります。

その歴史的反省を踏まえ、日本国憲法は、第20条で、信教の自由と政教分離原則を定めています。

この趣旨からすると、国家と宗教との完全な分離がベスト。

でも、現実的には完全分離は難しい。

そこで、政教分離にも限界があると考えられています。

では、政教分離原則に反するか否かを、どのような基準で判断するのでしょうか。

この点、判例は、目的効果基準を採用しました(津地鎮祭事件)。

これは、20条3項が禁止する「宗教的活動」とは、

①行為の目的が宗教的意義をもち、

②その効果が宗教に対する援助、助長、促進、圧迫、干渉等になる場合をいう、

とする基準です。



問題文が問う愛媛玉串料訴訟においても、最高裁は、この目的効果基準を用いて違憲判決を出したのです。



近年は、政教分離原則について、目的効果基準を用いない判例も出てきていますが、まずは、目的効果基準が理解できればOK!

そのあと、砂川政教分離事件や孔子廟事件の判例に目を通せれば完ぺき!



最近、旧統一教会の解散命令請求など、宗教に対する話題が上がっているので、今一度、考えておけるとよいですね。



実は私、幼い頃から縁があり、靖国神社にてお世話になっています。

今年の初詣でも、黒いはかま姿のご一行、涙ぐみながら頭を下げる高齢者の方々、私のような年中行事組…色々な方をお見かけしました。

戦没者の鎮魂という靖国神社の役割は認識しつつ、家族との思い出の地で心鎮めたい。お彼岸・お盆・大晦日の仏さま、クリスマスのイエスさま…個人的には、八百万の神以外にも、寛容でありたい。

「信じる自由」そして「信じない自由」、お互いを尊重して寛容であれば、世界から争いはなくなる。難しいけれど、そう信じたい。

では~!