イトウマサト

伊藤 雅人 2011東日本大震災後の活動を通して、これまで感じたこと、学んだことを思い…

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伊藤 雅人 2011東日本大震災後の活動を通して、これまで感じたこと、学んだことを思い出しながら綴っていこうと思っています。文章下手なのは見逃してください… 【役職】 ・一社)マルゴト陸前高田 代表理事 ・陸前高田市 まちづくり戦略アドバイザー etc

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  • 01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~

    東日本大震災から10年という節目になり、自分自身も振り返る日記感覚で2021/3/1からNOTEを書き始めました。震災のこともそうですが、ただの一般人が0から1に進むために何をしていったのかとか葛藤とか色々書いています。災害関係無く読んだ方の役に立てたらと思っています。毎日書けるように顔晴ります!

最近の記事

01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#13

■財産東日本大震災から3年、休むこと一日も無く、死に物狂いで活動していた。体重は10kg落ち、めまいがすることも多くなりやむを得ず病院へ行った。 医師から過労だから一週間入院して下さいと言われ、活動が停滞するため入院は一泊にしてもらったが、その後も病院に行っては夜だけ入院する日々。家族には、仕事で帰れないと言い黙っていた。 正直、この時期の記憶は曖昧で、はっきりとしたことは覚えていない。 ある時期から、人に言われたことを覚えられなくなっていった。話したことを忘れ、仕事の

    • 01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#12

      ■復興災害ボランティアセンターを移行してもらうための準備は大変だった。 まずは土地を手に入れないといけない。しかも大型バスが複数台留まれる敷地も必要だ。次に建物。資材は災害ボランティアセンターから寄贈していただいたが、それを保管する場所がないし、事務所もない。ボランティアが夏場休憩する日陰がある場所も必要だ。それと、資材を洗う水場も必要だった。 知り合い伝いに広い土地を貸していただき、建物もNPOから貸していただいたり、寄付を集めてプレハブも手に入れた。水場はすぐ近くに川

      • 01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#11

        ■理由陸前高田市災害ボランティアセンター閉所の理由は、仮設住宅ができ、独居の高齢者などの孤独死を防ぐための見守り支援などに移行するからだった。 当時、ご家族を失った方が、自ら命を絶つことが問題としてメディアで取り上げられ、陸前高田市だけではなく、東北の被災地では、見守りを強化し、そういった方々が出ないよう見守り支援に力を入れ始めていた。 必要なことだと理解していた。しかし、同時に「人の流れを止めないこと」も必要だと思っていた。行政機関が孤独死の防止に努めるのであれば、民間

        • 01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#10

          ■価値災害ボランティアセンターで活動を始め2年、その間11万人のボランティアと出会った。 「瓦礫の撤去は心の整理」以外にも災害ボランティアに伝えていたことがある。それは「怪我をしないこと」。当たり前のように聞こえるが、被災地を訪れてくれるボランティアの方々は、役に立ちたいという強い思いがある。だから瓦礫を早く片付けようとする。そうすると、周りが見えずに瓦礫についた釘を踏み抜いたり、振り投げた瓦礫が一緒に片付けに来ていたボランティアにぶつかるなどの怪我があった。 結果、一番

        01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#13

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        • 01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~
          13本

        記事

          01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#9

          ■葛藤災害ボランティアセンターで働きながら、任意団体で子どもの支援をする生活。生まれて初めて必死だった。 このころ、毎日考えていたことがある。 「なぜ生き残った」「なぜ生きている」 震災によって両親、あるいは片親を失ってしまった子どもがいる。まちの未来のことを考えれば、亡くなってしまった子どもの親より、自分が死んだ方が、まちにとっては良かったんじゃないか。 しかし、私は生きてしまった。たまたま生き残ってしまった。生き残ってしまったのなら、亡くなってしまった人たちの代わ

          01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#9

          01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#8

          ■善意陸前高田市は、避難場所が津波の被害に合い、人口の約7%の市民が亡くなった。そのことは当時、メディアや市民からも非難の声があがり、その対象は市役所職員へも向けられていた。 一方、私は災害ボランティアセンターでの業務として、ボランティアを送り出した後、ニーズ調査(瓦礫の撤去などの依頼受付)のため避難所や仮設住宅、被災した地域などを回っていた。 ある時、ふと思った。非難が集中している市役所には誰も味方がいない。市役所の職員も家族や大切な人を失った「市民」の一人、そんな状況

          01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#8

          01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#7

          ■縁災害ボランティアセンターは瓦礫の撤去や家屋の片付けボランティアのみ受け入れている訳ではない。物資や炊き出しボランティアの受け入れも行っている。 物資は色んなものがあったが、ただその物資の多くは送られてくるものが多かった。送られてきた物資は、災害ボランティアセンターのスタッフが各避難所に連絡し、必要なものだけスタッフが持参して届けることが多かった。 また、災害ボランティアセンターに連絡もなく送られてくるものもあって、どのように配布したら良いのか分からないものもあった。着

          01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#7

          01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#6

          ■信用と行動災害ボランティアセンターで活動を始め、ある程度、道路が確保され、移動が可能になり、電話も使用可能になったが、なぜか被災した方々からの依頼がこない。 そこで、連絡先などを記載したチラシを作り、市内に配布した。 しかし、連絡は来ず、効果がない。原因はボランティアをしてもらうことは被災した方々にとっては初めての経験で、何をお願い出来るのか分からないことと、ボランティアに対する「悪い噂」だと感じた。 「悪い噂」を払拭するためにはどうしたら良いのか、「信用」してもらう

          01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#6

          01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#5

          ■怒り災害ボランティアセンターはどの自治体でも災害があった場合、災害にあった自治体の社会福祉協議会が立ち上げることになっている。 震災直後の陸前高田市災害ボランティアセンターは社会福祉協議会本部が被災していたため、地元の自動車学校の離れにある食堂を貸していただき運営していた。 駐車場もほとんど無かったため、ボランティアの受け入れも一日数十人程度だった。また、災害ボランティアセンターの運営に人手が足りず県内の大学にお願いをし、学生にボランティアスタッフとして協力してもらって

          01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#5

          01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#4

          ■無力余震も落ち着き親戚の家から自宅へ帰り、数日後、初めて我が家に配給のおにぎりが届いた。そのおにぎりには手紙が付いていた。 「東日本大震災の映像をTVでみました。頑張っている人に頑張ってとは言えませんが、私たちも出来ることで応援していきます。5年生 ○○」 これまで何をしてきたんだろうか…自分に出来ることをしてきただろうか…何もしていないことに気付かされた。そして、ボランティアに対して怒りを覚えていた私だったが、この手紙のお陰で、良いボランティアも居ることに気付かせても

          01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#4

          01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#3

          ■噂家族の居る親戚の家に帰った後は色々なことがあった。 一緒に避難していた近所のおばあちゃんの足が浮腫み始め、歩けなくなった。在宅避難のため、配給も来ない。家があったとしても、食料があるわけでもなく、配給を避難所に貰いに行った、近所の方が、「家があるやつが配給を貰いに来るなと言われた」と言っていた。 家があるだけ、恵まれている。例え食料が無くても我慢すれば良いと思ったが、足が浮腫んでしまったおばあちゃんは違う。私が子どものころ、良く面倒を見てくれた。母が居ないとき、ご飯を

          01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#3

          01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#2

          ■夢か現実か我に返った私は家族が心配になった。すぐに車に乗り、自宅へ向かう。 自宅はある程度高台にあったため、子どものころ、近所の人たちは、冗談めかしに「津波が来て我が家が飲まれたら日本は終わりだ」と言っていて、私も、その通りだと思っていた。 目の前の角を曲がって坂道を下れば自宅がある。しかし、津波の第2派、第3派があるかもしれないと思い、高台に車を置き、歩いて自宅へ向かった。 自宅は無事だったが、自宅か2軒ほど下にある家から津波の被害を受けていた。ほんの1時間も立たな

          01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#2

          01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#1

          ■東日本大震災岩手県陸前高田市で生を受け28年。専門学校、大学を除いては、まちから出たことはなく、市内の福祉施設で働いていた。 2011年2月末、7年勤務していた福祉施設を退職。隣の宮城県気仙沼市の福祉施設で内定をもらい3月1日から研修を始め10日目、休みをもらった。 そしてその休日、3月11日…東日本大震災を経験した。 自宅の2階、自室で趣味のTVゲームに熱中していた時だった。 今まで体験したことのない、洗濯機の中に入ったように全身が振り回される地震。母の「地震だ!

          01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#1